EX.あたしの彼氏は仕置き人

章分けとか話の順番とかを入れ替えたのでお詫びに更新します。











 朝、ぱちりと目が覚める。

 目の前にはあどけない顔で眠るユートの顔があって、あたしの耳にはすぅすぅと可愛らしいユートの寝息が聞こえてきた。


 あたしはベッドの脇に置いてあるブレスケアを手に取ると、一粒口に放り込む。それから噛み砕いて口の中が清涼感で満たされたところで、寝ているユートの唇にキスをした。


「ちゅっ……♡」


 ユートを起こさないように、触れるだけのキスを一回だけ。

 目の前にユートの寝顔があると我慢できなくて、あたしは毎朝寝ているユートにキスをしていた。

 ユートは朝起きた時の口臭を気にしていて、寝起きのキスをする前にいつもブレスケアを噛んでくれるけど、こうやって寝ているときにあたしがキスをしていることは知らない。


 ユートのことで嫌いなところなんてないんだから、ホントはあたしはユートがブレスケアなんて噛まなくてもいいと思ってるんだけど、あたしもユートが起きてない時にキスする前に噛んでるから、ユートも同じような気持ちなのかなって思って何も言わないようにしている。

 やっぱり、好きな人に少しでも嫌だなって思ってほしくないのはあたしもユートも一緒だと思うし。


 それからあたしはゆっくりとベッドから降りて、朝の支度を始める。

 朝食を食べて、顔を洗って、着替えて、お化粧をして。二人の洗濯物が入った洗濯機も回したりと、朝は結構忙しい。

 ホントはユートにお弁当も作ってあげたかったんだけど、ユートが「さすがにそんなに朝から無理しなくていいよ?」って言ってくれたから、そこはユートの言葉を受け入れた。


 あたしがユートより早く起きるのは、ユートが朝が弱いっていうのもあるし、あたしがユートのお世話をしたいっていうのもあるけど、やっぱり一番の理由は朝起きた時にユートの視界に映るあたしが、一番かわいいあたしであってほしいからだ。


 一緒に住んでるんだからもう何度もすっぴんなんて見られてるし、泣き顔とかあたしの可愛くない姿も見られてるけど、それはそれこれはこれ。

 ユートの一日の始まりに映る光景が、一番かわいいあたしであってほしい。それだけなのだ。


 そうやって朝の準備を終える頃には、そろそろユートが起き出す時間になる。

 あたしはユートが起きる時間に合わせてユートの朝食を作る。


 ユートは朝全然食べない人だったらしくて、一緒に住み始めた当初朝起きても何も食べるそぶりがなかったから、あたしがユートに「ちゃんと朝ごはん食べよ?」とお願いして食べてもらうようになった。

 それでも寝起きのユートは食欲がなくて大したものは食べられないから、あたしが用意するのは食パンとスクランブルエッグとコーヒーの簡単なものくらいだ。


 あたしが食パンをトースターに入れて、卵を割っているとユートが起き出す気配がした。

 ユートの方を見ると、目を開けてぼーっとした表情であたしの方を見ていた。


 普段しっかり意識がある時のユートからはちょっと考えられないような無防備な表情に、あたしは毎朝キュンキュンしてしまう。もう一緒に住み始めて一年以上経つのに、いまだに慣れない。ホントにかわいい。


 あたしは朝食を作る手をいったん止めると、ユートのそばに寄っていく。あたしが移動している間にユートは枕元に置いてあったブレスケアを噛み砕いていた。


 ユートは気にしてるけど、ホントは毎朝キスしてるんだよ……?

 なんて口には出さないけど。


「おはよ、ユート♡」


 目を覚ましたユートに本日二度目のキスをする。

 おはようのキスはあたしの一日の活力だ。


「おはよう、美咲……」


 寝起きの弱弱しい声であいさつをするユートに、さらに胸がキュンとなる。無防備に弱さをさらけ出しているユートに母性本能みたいなものがくすぐられて思わず抱きしめたくなったけど、あたしは鋼の精神でそれを我慢して「二度寝しないようにね!」とユートに告げて朝食作りに戻った。


 前にこの朝の話を梓にして「あたしの精神めっちゃ鍛えられてる。すごくない?」って話したら、梓は呆れた顔で「朝から我慢できなくて勝手にキスするような、発泡スチロールみたいによわよわな精神でよく自慢できるな」みたいなことを言われてしまった。


 それから出来上がった朝食をユートが座って待つテーブルに置いて、ユートの対面に座る。ユートはご飯を食べるといっつも「おいしい。ありがとう、美咲」と感謝を口にしてくれる。あたしはそれがめちゃくちゃ嬉しくて、ユートがご飯を食べてるときはついつい頬が緩んでしまう。


 ご飯を食べ終わるとユートは朝の支度を始めるから、その間にあたしは洗濯をしていた服や下着を干したり、ごみをまとめたりする。まとめたごみは二人で家を出るときに、ユートが持ってごみステーションに捨ててくれる。


 ユートの朝の支度が終わると、大学に行くために二人で一緒に家を出る。ユートがドアの鍵を閉めて、あたしはユートの腕を胸に抱きしめて。

 ユートの指とあたしの指を絡ませて、ぎゅっと握って。ユートに触れていると、それだけであたしの幸福度は爆上がりだ。


 あたしは緩みっぱなしの頬を締めなおすことなんてとっくに放棄して、毎朝ユートと出かけるのだ。






 大学が終わって、帰り道。

 今日はユートと一緒にショッピングモールに来ていた。


 ちょっとあたしが欲しいものがあって、それがたぶんショッピングモールの中にある雑貨屋に置いてあると思うんだけど、まぁそれを買いにショッピングモールに行くのに、ユートが着いてきてくれたのだ。

 ホントはユートに着いてこられるとんだけど、ユートと一緒にデートすること自体はめちゃくちゃ嬉しいので、ユートに着いてこないでなんて言えるわけなかった。

 うう……あたしの精神はよわよわだ……。


 ショッピングモールに着いたあたしとユートは、本屋に入ったり、服を見て見たり、デートを楽しんだ。


「美咲ってこういう、清楚っぽい服って着ないよね」


 ユートがアパレルショップのマネキンが着ている服を見ながらそんなことを言う。


「なになに? あたしに着てほしいの?」


 アパレルショップのマネキンが着ているのは、タイトなロングのレーススカートに、シンプルなトップス。それにサマーカーディガンを肩にかけた、「大人清楚系」って感じの服装だった。

 シンプルで綺麗にまとまってて、今の梓とかが着たら大人の女性って感じで可愛いかもしれないけど、ちょっとあたしの見た目とは合わなさそうな、そんな服。


「いや、そういわけじゃないんだけど。美咲は今の恰好が十分似合ってて可愛いし。ただ、清楚な見た目の美咲もちょっと見てみたいなって思っただけだよ」

「もー、可愛いとか、うれし♡ アリガト♡」


 キュッとユートに抱き着く力を強める。

 あたしはあたしの見た目がどんなのかはしっかり理解しているつもりだから、ユートが見ていた服が似合わないのはよくわかってるけど、いつか機会があったら髪を黒く染めて、化粧も控えめにして清楚系の服装をしてみてもいいかもしれない。

 そんな風に思った。






 目的の雑貨屋に着いてから、あたしは断腸の思いでユートと別れた。


「ちょっと、あたしの個人的に欲しいものだから、ユートは入り口で待ってて」


 そう言って入り口で待ってもらうようにして、あたしは一人で雑貨屋に入った。

 正直に言って、せっかくユートと二人で出かけているのに、ユートの腕を離して一人で行動するのはめちゃくちゃ寂しい。別に泣いたりはしないけど、今まで胸の中にあった温もりがなくなっているのだから、喪失感が半端なかった。


 それでも一人で中に入ってきたのは、目的のものを買うのをユートに見られたくなかったからだ。

 いや、どーせ後で何を買ったかなんて言うのはユートにも知られるんだけど、それでも買うところを見られるのはので、買う瞬間くらいは一人で買いたかった。


 雑貨屋に入って、目的のものを探す。最初はパーティーグッズとかが置いてあるところを見たんだけど、流石に置いてなかったから、あたしは店の奥の方まで足を運んだ。


 そこで目的のものを見つけると、サッと手に取ってレジに向かう。

 こんなものを買おうと思ったのは初めてで、もちろん買うの自体も初めてだったから、レジで会計をしている間はちょっとドキドキしてしまった。

 それから中身がばれないように紙袋に入れてもらって、いざユートのところに戻ろうとレジから離れた時。


「ねーねーおねーさん。今一人なの?」


 軽薄な男の声が後ろからかかってきた。


 おねーさんって言ってるし、あたしの後ろから聞こえてるし、たぶんあたしのことだろうなということはわかったけど、別にその声に答える義理はかけらもなかったからあたしはまるっと無視してユートのところに戻ろうとした。


 そしたらいきなりあたしの視界に「いかにも女で遊んでます」って見た目のチャラそうな男が入り込んできて、あたしは思わず足を止めてしまった。そのまま移動すれば男にぶつかりそうだったということもあって、そんなことになればあたしはまだから、ユートとかお店の人に迷惑が掛かってしまう。


「お、止まってくれた。ね、どうなの?」

「彼氏がそこにいるから。どっか行って」


 高校の時はこんなナンパもそれなりにされてて、バカだったあたしはそれに乗ってしまっていたりもしたけど、今はまったく違う。

 ユート以外の知らない男にいきなり話しかけられるとか、苦痛でしかない。


「えー? でも、あそこから一人で出てきたじゃん? 彼氏いるのにそんなことする?」


 そう言いながら店の奥を指さす男。確かにあのコーナーからあたしは一人で出てきたけど、それと彼氏がいるいないは関係なくない?


「だから何? はっきり言ってマジうざいからどっか行って。そこにいられると出れないじゃん」

「いやいや、ちょっと体かわせば出れるじゃん? 俺邪魔しないし、嫌なら無視して行ってもいいんだよ?」

「無視して行こうとしたらあんたが割り込んできたんでしょ! マジ最悪……」


 確かに男の言う通り、別に男の脇を通って出られないことはない。ないけど、それは男に触る覚悟があればの話だ。

 男の脇を通って出るには隙間はぎりぎりで、たぶん通ろうと思ったら男に触れてしまう。あたしにはそれができないから、こいつに自分からどいてもらうしかなかった。


「そんな機嫌悪くしないでさー。どう? 俺、結構女の子からウケいいんだよ?」

「そんなん知らんし、どーでもいいっての。さっさとどいてって言ってるでしょ」


 そうやって男に言いながら、あたしはだんだん泣きたくなってきた。

 さっきまでユートと幸せな時間を過ごしてたのに、なんなんだよこいつは。何の権利があってあたしとユートの時間を邪魔するんだよ。

 この男に腹が立つし、こんな状況をどうにもできない自分にも泣きたくなる。


 幸いにして男はナンパ男にしてはそれなりに分別のある方なのか、あたしに触ってこようとはしなかったけど、それでもあたしにはどうしようもできなくて。


「まーまー、連れないこと言わずにさ? どう? 俺と遊びにでも。遊んでみたら案外たのしいかも――」

「僕の彼女に、何か御用ですか?」


 自分のふがいなさに目がしらが熱くなりかけた時、男の背後から、世界で一番好きな人の声が聞こえてきて。

 あたしはたったそれだけのことで、それまで感じていたふがいなさや不快感が吹き飛んでしまった。


「ユート♡」


 あたしがユートを呼ぶ声に、目の前の男がぎょっとする。

 なんなんだよこいつ。人の顔見てその顔は失礼じゃん!


「入り口でなんか話しかけられてるのが見えたからさ。この人誰?」

「ぜーんぜん知らないひと。さっきからなんか話しかけてきてウザいの」

「ふーん、そうなんだ。……それで、さっきから何も言いませんけど、僕の彼女に何か御用ですか?」


 そう目の前の男に尋ねたユートの目は、人を見る目じゃなくて、道端に落ちてるごみを見るような目をしていて、あたしは背筋がゾクゾクとしてしまった。

 そんな目で見られた男は意気消沈して「いや、何でもないっす……」と言い残して、ユートの脇をすり抜けて歩いて行った。


 それを見送ったユートは、ふいにグイっとあたしを抱き寄せる。「あ♡」と思わず声が漏れてしまって、それが恥ずかしくてあたしは顔が熱くなっていく。


「さっきはアリガト、ユート」


 そう言ってお礼を言ったあたしに対して、ユートは「ほら、いつもみたいに僕の腕抱きしめなよ」と言って、腕をあたしの前に差し出してくる。だから、伸ばされたユートの腕を、あたしはいつものように胸に抱きしめた。

 でも、ユートから腕を抱きしめてなんていうのは珍しくて、思わずユートの顔を見上げてしまう。


「こうすれば美咲が誰と一緒にいるのか、誰が見たって一目でわかるでしょ?」


 優しく微笑みながらそう言うユートに、あたしはさっきの男に向けていたユートの視線とのギャップに顔から火が出るくらい熱くなって「あう……」とか、意味不明な返事しかできなかった。






 その日の夜。

 あたしは今日雑貨屋で買ったあるものを紙袋から取り出した。


「み、美咲? それって……」

「SM用の手錠♡」


 手首が痛くならないように加工された、SM用の手錠。

 あたしは紙袋から取り出したそれを、自分の手首に着ける。


「知らない男にナンパされたダメなあたしを、どうかお仕置きしてください♡」


 そう言ってベッドにころんと転がる。

 そんなあたしを見てユートはため息を吐くと「そんなもの買いに行ってたのか……」と呆れたように呟いた。


 それからあたしの上にのしかかるようにベッドに上がってくると


「彼氏の僕に何の相談もなくそんなものを買ってくるなんて……確かに、お仕置きが必要かもね」


 あたしを冷たい目で見降ろしながら、手錠を握って両手をばんざいの恰好にさせられた。


 そんなユートの様子に、あたしは胸が張り裂けそうなほどドキドキして、お腹のあたりがキューンとうずいてしまう。


「あ……♡ ユート、やっぱり、ちょっとま――」

「ダメだよ、美咲。今日は、美咲の言うことは聞いてあげない」

「あ、あ♡ そんなぁ♡ そんなの、ダメ♡ ダメだよぉ♡」






 その日は、それまでで一番盛り上がって。

 あたしの手首には、それから時々赤い跡が残るようになった。

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