僕の彼女は「他の男とセックスしてきた」と報告してくる

 美咲は時々僕に対して「他の男とセックスしてきた」と報告してくる。それはたいてい彼女の付き合いの中で帰りが遅くなった時で、僕は彼女が友達付き合いの中で何をしているのか知らないから、その言葉が真実かどうかはわからない。


 そもそも何故そんなことを僕に対して報告してくるのかもよくわからない。

 彼女は高校時代に「彼氏がいるのとセフレとセックスするのは別腹」のようなことを言っていたので、僕と付き合っている今でも他の男とセックスしていても別に不思議じゃない。

 そのことについて僕は彼女に止めろというつもりは特にない。だってそれらの事情をとっくに聞いていた上で、それでも高校時代にそれらの行為について彼女に何も言わなかったのに、彼女からの交際の申し込みを受けたからと言って今更その彼女の行動を変えろだなんて僕からは言えない。


 もし言うとしたら高校の時、彼女がその話をしている時に注意するべきだったのだ。一度気にも止めずに流した話を、数年越しに自分ごとになったからといって今更のように注意するのもどうかなと思うのだ。


 だからと言って別に僕は彼女が他の男とセックスしていることを気にも留めない男だ、というわけでもない。口に出さないだけで、彼女が僕の知らない男と睦み合ってるなんて想像するのも普通に嫌なのだ。

 でも、それは僕の気持ちの問題で、そんなことで彼女の今までの生き方を否定するような気持ちもなくて、だから僕の中での結論としては「今までの生き方を変える必要は特にないけど、それはそれとして僕の知らないところでやってて欲しい」というなんとも中途半端なものだった。


 嫌なものは嫌なのだから、それを素直に彼女に伝えたほうがいい、と言う人もいるかもしれないし、世間一般的に言えば間違っているのは彼女の方なのだから、そのことを伝えることに何を憚ることがあるのだろう、と言う人もいるだろう。


 正論ということだけを考えればまさにその通りで、言うタイミングを逃したとか関係なくパートナーがいるのだから他の異性と性的な関係を持つことは今すぐやめるべきだ、と伝えた方が健全で正しい関係を結べることだろう。


 ただ、それはその二人のことを全く知らない第三者だから言えることであって、往々の場合そう言うことで悩んでいる当事者にとっては正論で片づけられないことだから問題になっているのだ。


 僕の彼女、佐藤美咲は人から否定されることを極端に恐れている節がある。

 それが何が原因かなんて言うことは詳しくはわからないけれども、まあだいたいの察しは数年も一緒にいればつくというものだ。

 高校の時、母親とうまくいっていなかった時に母親に言われたこと。次々と変わる彼氏に別れ際に言われたこと。人間関係をうまいこと取り繕っているように見えて、一皮剥ければ意外とドロドロしたところのある所謂と言われる人たち。


 一つ一つは致命的になるようなものではないが、塵も積もればなんとやらと言うもので、小さな彼女へのが積み重なっていって、それで悲しいことに彼女はその積もっていく否定をうまく処理できなくて、いつの間にか人から否定されることを恐れるようになったのだろう。


 そこまで彼女のことを想像できて、それでいて彼氏である僕から彼女のことを否定するようなことを口にするのは憚られた。これはそう言う話なのだ。


 だから彼女が僕と言う彼氏がいるのに他の男とセックスしてくること自体を否定することはないけれども、それはそれとしてそのことを僕に報告してくることは普通に嫌なので、僕はそのことについては彼女に伝えた。


「他の男とセックスしてきたとか、そう言う報告は僕にはいらないよ」

「え、でも……やっぱ彼氏に隠し事とかって言うのは……」

「彼氏彼女だからって、全部が全部知らなきゃいけないわけでもないでしょ?」

「それはそうかもだけど」


 何故か渋る彼女をちょっとだけ強気に説き伏せる。

 彼女は僕の様子を見て少し思案した顔を見せた後、おずおずと頷いた。

 僕はこれで余計なことを知らなくて済むな、と思って彼女に微笑みかけた。


 でもそれはそれとして他の男とセックスしてきたと言う彼女に、その顔も名前も知らない男に嫉妬して滾った情欲をぶつけたのは間違っていないと思う。

 いつもよりも乱暴に致してしまった行為に、何故か彼女は顔を真っ赤にして喜んでいたけれど。






 一時は僕の言葉に従って何も言ってこなかった彼女だったけれど、数ヶ月もしたらまたぽつりと「他の男と――」なんて言いかけたから、僕はフイと彼女の方を向くと、彼女は慌てて口を閉ざした。

 ここ数ヶ月そんなことをいうそぶりもなかったのにまた突然どうしたんだろうと思ったけれど、その日はそれ以上何かを言う雰囲気もなく「ユート♡」とすりすり甘えてきたので、僕も何かを言うことはやめた。


 そういえば、もう彼女と付き合い始めて半年以上になるけれど、今まで彼女の話を聞いている中で僕との交際期間が最長だな、と思い出した。

 彼女の今までの彼氏のことについては僕は殊更に気にしたことはなかったが、話の種の記憶としては覚えている部分もあって、その中では今までの彼氏は長くても三ヶ月程度で別れていたはずだった。


 正直に言って彼女と別れるなんて考えが微塵も湧かない僕は、今までの彼氏は何が不満で彼女と別れたんだろうと思ったりもしたけれど、まぁ普通に考えれば彼氏がいるのに他の男と致していることとかだろうなと自分で納得したりもした。


「ユート、今度の休みの日どこに行く?」

「博物館に行こう。ちょっと興味のある展示をやってるんだ。僕たち大学生だから学生証を見せれば安く入れるし」

「博物館に行くとかおじいちゃんかよぉ」

「いや?」

「行く!」


 僕と彼女は性格も考え方も趣味も生きている世界も違うから、当然のようにデートで行きたいところなんて被ったりしない。でも逆にそれが良くて、彼女は好奇心旺盛だから僕が行きたいところに行ってもその場を全力で楽しむことができる。知らない場所に行くから自分のこだわりなんてなくて、そんなことで僕と衝突しなくて済むねと笑っていた。

 僕は僕で彼女の行きたいところに興味はないけれど、彼女と出かけるところはどこも楽しくて、いつも新しい発見がある。僕はいつも彼女に感謝の言葉を伝えていて、こういう感謝の言葉を伝える機会がつくれるのも、僕の知らないところに連れて行ってくれて、そこで僕の手を引いてくれる彼女のおかげだ。






 本格的に気温が下がってきて、空が遠く感じるようになった冬の日のことだった。

 その日は彼女が大学の友達と遊びに行くということで、僕はたまの一人の時間を過ごしていた。

 大学近くのカフェに入り、持ち込んだ文庫本を開く。ここは人の出入りが少なくて落ち着いて本が読める僕のお気に入りの場所の一つだった。


 持ち込んだ文庫本を半分ほど読んだ頃、二人がけのテーブル席に一人で座っていた僕の向かい側に、誰かが座った気配がして顔を上げた。

 友達と遊んでいる美咲が僕を見かけて座ってきたのかな、などと思っていたら、視界に映ったのは美咲とは違う女性の顔だった。


「や、久しぶり」


 そう言って声をかけてきたのは、高校時代の美咲の友達で、数少ない僕と美咲が高校時代に友達だったことを知っている知り合いの藤梓ふじあずさだった。

 高校時代は美咲と同じように明るく染めていた髪が黒くなっていて、派手に着崩していた制服の印象だった服は、落ち着いて清楚に見えるような服装になっていた。


「久しぶり。どうしたの、突然?」


 実際に声を交わしたのは高校の卒業式以来だったので、半年以上ぶりだった。僕は美咲と違って彼女の連絡先は知らないので、最近の彼女のことは何も知らなかった。


「近くを通ったら偶然鈴木の姿が見えたから。美咲も一緒かな? と思ってお店に入ってみたら一人で本読んでるからさ。寂しい思いしてる友達に声をかけたってわけ」

「それはまぁ、なんというか……ありがとう? って言うべき?」

「なにそれ。まぁ、鈴木は一人でいても全く気にしないようなやつだから余計なお世話だったか」

「僕だって一人だと寂しい時もあるよ」


 なんて軽口を交わしながら僕は文庫本に栞を挟んで閉じた。本を読むのが好きな僕だけれど、流石に人と話す時は本を閉じて相手の顔を見る。美咲と話している時が特別なだけだ。


「今日美咲は? 一緒じゃないの?」

「今日は大学の友達と遊びに行ってるよ。ていうか藤さんは僕と美咲が一緒にいること知ってるの?」

「そりゃ、私は美咲の友達ですから。お話はかねがね」


 揶揄うように言う彼女は、店員を呼ぶためのボタンを押すと、注文をとりに来た店員さんにいくつか注文を告げた。


「そもそも鈴木今自然に美咲のこと下の名前で呼んでたし、仲がいいこととか全く隠す気ないじゃん」

「別に隠すようなことじゃないしね」

「高校の時は隠してたのに?」

「隠してたわけじゃないよ。高校だと僕と美咲の立ち位置が違いすぎて交わらなかっただけ。もちろん、大学でもそう。でも学校外じゃそうじゃないから一緒にいるんだよ。そもそも僕と美咲が仲がいいなんて誰にも聞かれなかったし」


 なんて話をしていると、藤さんが注文したケーキが届いた。


「ま、それもそうか。別に自分から言いふらすようなことでもないし、誰かに聞かれなきゃ言ったりしないよね」

「そういうこと」


 藤さんは手に持っていたスマホをテーブルに置くとフォークを手に取った。ケーキを少しずつ切り取って口に運んでいく。


「美咲とは最近どう? 上手くやってる?」

「美咲からいろいろ聞いてるんじゃないの?」

「聞いてるけど、彼氏君の話も聞きたいなーってだけじゃん」

「欲張りだねぇ」

「そんなことないでしょ」


 そう言って笑う彼女に、特段隠すことのない僕は最近の僕と美咲の話を聞かせていった。

 一緒に住んでいること。美咲は意外と家庭的で料理が上手なこと。寝顔がとても可愛いこと。外だと気の強いギャルって感じなのに、家で二人だと可愛らしく甘えてくること。


 彼女は笑顔で話を聞いてくれて、途中で届いたブラックコーヒーにミルクも砂糖も入れずにぐびぐび飲んで「にっが!」と声をあげていた。


「まぁまぁまぁまぁラブラブなことで。砂糖でも直接口に入れられたのかと思ったわ」

「藤さんが聞いてきたんじゃん」

「そりゃそうだけど! メッセージで聞くのと直接聞くのとじゃ破壊力が全然違う!」


 大体のことを話し終わった後、ふとそう言えばと思い出したことがあって、僕たちの話を美咲から聞いているという藤さんに尋ねることにした。


「そういえば聞きたいことがあるんだけど」

「なになに?」

「時々美咲が僕に「他の男とセックスしてきた」みたいなことを報告してくるんだけど、あれ何? 何か聞いてる?」

「え? あー……うーん……それかぁ……」


 僕の質問に藤さんは難しそうな顔をした。


「まぁ美咲なりの愛情表現というかさぁ……」

「愛情表現? なんで?」


 他の男とセックスしてきた、と僕に伝えることの何が愛情表現なのだろうか。普通は一途に貴方だけを愛します! みたいなことを言う方が一般的な愛情表現なのでは?


「いろいろ不安なんだよ美咲も。別に鈴木のせいじゃないんだけどね」

「んー……そっかぁ……」


 僕は美咲と付き合い始めてから、美咲に僕の気持ちを伝えてきたつもりだったけれど、彼女にはそれだと足りなかったのだろうか。それだったらちょっと悲しい気持ちになってきたな。


「美咲の胸の内の話だから私が勝手に喋っちゃうのもどうかと思うし、あんまり詳しいことは言えないけどさ」


 ちょっとブルーな気持ちになりかけていた僕に、藤さんは力強く言葉を発した。


「これだけは言える。美咲は鈴木のことめっちゃ好きだし、鈴木のこと裏切るようなことはしないよ」


 その言葉に僕の気持ちはちょっと救われて、自然と「ありがとう」というお礼が言えていた。


「ちょっと美咲と話し合ってみるよ。今までちゃんとそのことについて美咲に聞いてこなかったし。藤さんに聞く前に先に美咲に聞くべきだったね」

「そーそー。二人のことなんだからさ、二人でちゃんと話し合ってね」


 今日美咲が帰ってきたらちゃんと話を聞こう。

 藤さんと別れて帰路についた僕はそう決意した。


 そしてその夜。

 美咲は、いつかの日と同じようにべろべろに酔っ払って帰ってきた。

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