ニューヨーク
秋中琢兎
ニューヨーク
紫とピンクのネオンサインが夜の街に煌めき、落ちてきた雪を溶かしていく。どこからかクリスマスソングが聞こえてくる。
確か、マライア・キャリーだったか。
懐かしい。
世間は、クリスマスとやらで浮かれているようだ。周りを見れば、カップルだらけで、一人で歩いているのは俺くらいだった。別に嫉妬をしているわけじゃない。ただ今の俺には、美しい夜でさえ忌々しく思えてくる。
冷え切った空気が、まるで1人で歩く俺を嘲笑いながらこの街のビルとビルの間を抜けていった。
「ちくしょう、急に寒くなったもんだ」
俺はトレンチコートの襟を立たせ、目的地のバーへと足早に歩きながらタバコを吸った。燻らせた紫煙が体に纏わりつく。
今日はきっと寂しい夜になる。
俺はとある殺人事件の捜査を担当している。被害者は資産家の男で、自宅にて何者かにナイフで刺殺された。資産家の妻は、アメリカのシアトルに出張中で完璧なアリバイがあった。被害者の男のシャツにキスマークがあったことから、秘密の愛人に殺されたのだろうとは思っていたが、聞き込みの結果、被害者の周囲の女性たちも完璧なアリバイがあった。
現場に残されていた凶器のナイフからも指紋が出ず事件はとうとう迷宮入りしそうだった。連日連夜のハードな捜査のせいで精神も身体も疲れ果てていた。一度リフレッシュする必要があると判断し、行きつけのバーへ行くにした。
だが、店はやっていなかった。俺は、その日が定休日だってことを忙しさのあまりすっかり忘れていた。どうしても一杯やりたかった俺は、近くをうろうろと徘徊し何処に入ろうか吟味した結果、偶然その日がオープン初日のバーを見かけ立ち寄ることに決めた。
ダイアナとは、そこで出会ってすぐにお互いを求める仲になった。
「私の口紅は世界で1つの特注品だから、大事にしまっていて」とダイアナは言った。俺はいつの間にか本気になっていた。
できれば逃がしてやりたいが、真相が分かった今となれば俺は刑事でダイアナは真犯人。追うものと追われるものの関係でそれ以上でもそれ以下でもない。
目的地に着き、扉を開く。
客は居なかった。
ただ1人、ダイアナがいた。
金色の美しい髪に、真っ赤に染まった唇は、矢張り今日も美しかった。
「あら、刑事さん。今はまだ準備中なの」とダイアナは言った。
「すまなかった。どうしても一杯やりたくて」
「しょうがないひとね」とダイアナは言って、俺の大好きなウィスキーのロックを作ってくれた。
ダイアナはカウンターで、頬づえをつきながら「事件は解決した?」と聞いた。
「あぁ」
「よかったわね。これで私たち、もっと会える」ダイアナが悪戯に放った言葉が俺の
「むしろその逆だ。会えなくなった」
「どうして?」
「被害者のシャツに付いていたキスマークと、君が俺にくれたキスマーク付きの名刺が、君があの事件の犯人であると教えてくれた」
「なにそれ。キスマークだけで判断するなんてあんまりよ」
「口紅の色だよ。君のその美しい口紅は、特注で同じ色は存在しないって教えてくれたよな。それがなんで、被害者のシャツに付いた口紅と君からもらった名刺の口紅のカラーコードが一致したんだ?」
聞こえるはずのない雪の降る音が、聞こえそうなほどの静寂が訪れた。
ダイアナは涙を流した。どうやら観念したらしい。
「わたしがやりました。彼と私は、1年前に出会ったんです。あの頃は、わたしも少しやんちゃで彼が既婚者だって分かってて関係をもっていたんです。でも、そのうち独占欲というものがつよくなって。彼が愛してくれてるって言ったのにまだ、奥さんと別れていなくて! それで!」
「ダイアナ。俺は君に、こんなクリスマスプレゼントは渡したくなかった」
俺がダイアナの綺麗な両手首に手錠をかけると「ママ!」と声が聞こえた。裏口に隠れていたのか、一度見かけただけのキャサリンがいた。これからキャサリンは1人でやっていかなければいけない。
俺は辛くなって、2人に背を向けた。
「ママ! いっちゃやだ!」
「いいの。キャサリン、ママはこれから少しお出かけしてくるわ。その間、お店を頼むわよ。刑事さん、行きましょう」
泣きじゃくるキャサリンを背に、俺はダイアナの大きな手を引きながら外に出た。
◆◆◆
『資産家殺人事件、犯人ついに逮捕』
資産家である鈴木興太郎氏(65)が、都内の自宅にて刺殺された。警察の賢明な捜査の末、愛人関係であった武田憲司容疑者(56)を殺人の容疑で逮捕。容疑者は、新宿2丁目でバー『ニューヨーク』を経営しており、鈴木興太郎氏とそこで出会い愛人関係となったと警察の取り調べで語った。現在も取り調べが続いている。
ニューヨーク 秋中琢兎 @akinaka_takuto
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