あのお屋敷


最近「さいかわ卯月賞」に参加させて頂いた拙作「春と雪」

https://kakuyomu.jp/works/16818093075458939731

ですが、

とある理由で私にとって思い入れの強い作品です。


「春と雪」の舞台は設定としては、戦後の日本の旧家なのですが、私の父方の祖母の家がそんな雰囲気の家でした。

大きなお屋敷だけど、真夏でも屋敷の中は静まり返っていて空気がヒンヤリとしている。

そして、絶えず鼻腔に飛び込むお線香の香り。


そこに行くたびに、祖母からバイオリンを弾かされ、その度叱責を受けていたこともあり、子供心に祖母のお屋敷に対する恐怖感を感じていました。


お屋敷の威圧感。

アチコチにある漆黒にも見える影。

遠くから聞こえる大人達のヒソヒソ話。

私を見下ろす日本人形たち。

終始無言の食事時間。

立ち入っては行けない部屋の多さ。

触ってはいけない箱や襖の数々。

テレビなどもってのほか。

全員正座で食べる順番も厳守。

屋敷の全てが私を飲み込もうとしているように感じた。


その雰囲気に堪りかねて、私はよく近所の子ども達の所に行っていた。

でも、その子達もお屋敷には近づきたがらず、私がそこのお屋敷の人間だと知ると「あのおっかない婆ちゃんの孫!?」と言って、微妙な空気になっていた。

母があのお屋敷に行くたびに憂鬱そうな表情になっているのも、子供心に辛かった。


そんなこんなで中学になる頃には理由をつけて祖母の所に帰るのを断わるようになった。


そんな感じで年月は流れ、私は高校3年になった。

祖母が倒れたらしい。


さすがに顔を出さないわけにはいかなかったが、三つ子の魂百まで。

心は重かった。

しかも、私はバイオリンは辞めている。

キッと激しく叱責されるんだろうな……


そう思いおとずれたお屋敷は、こどもの頃より幾分威圧感は減っていたが、それでもわたしを押さえ付け、飲み込もうとするような雰囲気はあった。


そして、再開した祖母は……別人だった。

当時は全身から氷のような怜悧な雰囲気を出してたのが、すっかり……ふつうのお婆ちゃんになっていたのだ。


おどろいた私に祖母は2人だけで話したい、と両親や親族を追い出して言った。


「薫ちゃん、幸せ?」


「う、うん……バイオリンは……辞め……ちゃったけど……ごめんなさい」


「なんで謝るの? あなたが幸せであればいいの。私は覚えてる。4歳だった薫ちゃんが『バイオリン大好き! 大人になったらテレビの前で弾くの』と言ってたこと。だからあなたにはそれを叶えてほしかったから厳しくしちゃった。でも、あなたがバイオリンを辞めて、その上で幸せだったら、それでいいんだよ。あなたの人生なんだから」


祖母の言葉を私は信じられない気持ちで聞いていた。


「私は若い頃に夫を無くした。世間知らずなお嬢様だったけど、強くなった……ううん、ならなければ家や家族を守れなかった。私は幸せだったのか分からない。だから、薫ちゃんは幸せになりなさい。あなたはその権利がある。」


この人は……ずっと戦ってたんだ。


「優しいお婆ちゃんになれなくてゴメンね。もっと甘やかしてあげれば良かった。ギュッとしてあげれば良かったね。なんで今になって気付くのか……馬鹿なお婆ちゃんでゴメンね。でもね……このお屋敷は嫌いにならないでね。ここはあの人が大好きな家だった。だから私も大好きだった。だから薫ちゃんにも好きになって欲しい。このお屋敷もそう思ってるよ」


「じゃあこれから甘やかしてよ。私、お婆ちゃん大好き。このお屋敷も大好きだから」


そう言いながらそれが叶わないことも分かっていた。

祖母は膵臓がんだったのだ。


それから私は毎年1度は祖母の屋敷に顔を出している。


不思議なもので、あれだけ怖かった影は心安らぐ陰影に。

ひそひそ話は風情ある会話に。

見下されてた日本人形は同じ目線で優しく微笑む人形に。

ヒンヤリとした冷たい空気は、心地良く包む涼しさに。

それぞれ変わっていた。

そして、私はこのお屋敷の空気が大好きになった。

お香の香りってなんて心地よいんだろう……


これが祖母と祖父が守りたかった世界なんだ。


でもわたしはこのお屋敷を守ることは出来ない。

色々な事情で。

でも、大好きだ。

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