第49話 クロウの思い
森の奥深く。
太陽の気配はまだ薄く、朝靄が静かに家の周りを包んでいた。雨はようやく止んだようで、湿った空気の中に、微かに新緑の匂いが混じっている。
寝室のの窓辺から、クロウは外を見下ろしていた。
霧に沈む森、時おり木々がざわめく。風の通り道がどこか、わかるようだった。
守護者やネル等が王国への報復を決めたその次の日の朝。
クロウには、過去も、本当の出自さえも、自分にはわからない。
ただ、最近になって――ある「違和感」に気づき始めていた。
自分の“居場所”が、どこにも存在しないことに。
成長するたびに、必ず何かが壊れてきている。
幼い頃によくわからない魔王崇拝者と名乗る人に攫われそうになった。
よくわからないうちに帝国の軍が森に踏み入ってきて、殺されかけた。
そんな人達を退けるたびに自分の魔力がどんどん溢れるようになってきている。
そして――自分を見つける者たちの、あの眼。敵意、というにはあまりに明確な“殺意”。
まるで、世界そのものが、自分の存在を「否定」しているようだった。
「……教えてください。僕は――何をしたんですか?」
独り言だった。けれど、声にはかすかな震えがあった。
「また眠れなかったのですか、クロウ」
優しく、包み込むような声が背後から届く。
ゆっくりと振り返ると、そこには年老いた乳母――マーサが立っていた。
かつて王国の聖女として民に祈りを捧げていた老女。今はただ、ひとりの少年のために生きている。
「少し、考えてたんだ。……昔のこと、そして――あの人たちのことも」
「……あの人たち、とは?」
「僕を殺しに来た人たち、攫いに来た人達さ。剣を持って、何の言葉もなく……ただ、僕を“消そう”としていた」
マーサは小さく息を呑み、歩み寄るとそっと彼の背に手を添えた。
その掌は温かく、年輪を重ねた祈りのぬくもりがそこにあった。
「クロウ。貴方が、黒髪と黒い瞳を持っていたから……その国では、それが“魔の象徴”の色として――」
「ううん。……わかってる。理由は、それだけじゃない」
クロウは小さく、しかしはっきりと首を振った。
「あの目には、“恐れ”があった。……ただの偏見じゃなかった。僕を排除しようとする、確かな理由が――そこにあった
それにこの色に魅入られたような人も見た。」
その言葉に、部屋の空気が一瞬にして冷たくなる。
「だから……僕は、行かなきゃいけないと思ってる。王国に行って、訊くんだ。僕が、なぜ追われたのか。……なぜ、生まれたことすら許されないのか」
声は静かだったが、そこには剣よりも鋭い意志が宿っていた。
と、そのとき。
扉が重たく軋んで開いた。
入ってきたのは、岩のような体躯を持つ男――ネルだった。
かつて「雷帝」と呼ばれ、王国最強の騎士として名を馳せた男。今はクロウの父のように、守り手として傍にいる。
「準備は整っている。お前が行くというなら、俺も一緒にいこう。」
「ありがとう、ネル。でも、戦うためじゃない。ただ……話がしたいんだ。もし、まだ誰かが“答える気”を持ってくれているなら……」
「だからこそ、守りが要る。話し合いの場にこそ、鋼は必要になる。お前が求める“真実”は、剣より鋭い棘を持つ」
ネルの言葉に、クロウは少しだけ俯いた。
自分は、誰なのか。
どうして生まれたのか。
そして――この世界は、本当に自分を拒むのか。
その時、空気が変わった。
「……お出かけですか?」
声と共に、白く光が差し込む。
六枚の羽根をゆったりと広げ、慈悲深き天使――テトラ・アーロンが舞い降りてくる。
「“天罰の代行者”としては、少々懸念もありますが……私個人としては、クロウ様の意志を尊重しましょう」
金縁の眼鏡の奥で、金の瞳が静かに揺れた。
「問いを発することは、決して“弱さ”ではありません。ただし、相手がその問いに答えるとは限らない――それだけです」
「それでも、聞きたいんだ」
クロウの言葉は、まっすぐだった。
後ろで、くつくつと笑う声がする。
「ふふ……本当に甘いわね、クロウ」
艶やかな真紅の髪と、しなやかに揺れる尻尾。
かつて“竜の戦姫”と恐れられた、アドラ・エル・ヴァイツ。黒の王に仕えし最古の守護者。
「そんな人の良さで王国に乗り込んだら、きっと泣くことになるわよ? でも……そんな事になったら私達守護者は耐えられないわ。」
「僕は戦いに行くんじゃないよ、アドラ。……ねえ、ドーちゃん。王国って、そんなに酷い場所なのかな?」
ふとドーちゃんと呼ばれたアドラは肩を竦める。
「さあね。でも、あたしだったら火の一つも吹いて挨拶くらいするけど?」
気軽な言葉とは裏腹に、その青い瞳の奥には、どこか凍るような怒りが燃えていた。
続いて現れたのは、夜の香を纏う吸血鬼――カストロとベルロッテ。
「無礼を働く者がいれば、私がその首を断ちましょう。クロウ様が問いを掲げるなら、我らが道を切り拓きます」
「ふふ……貴方の声が震えていようと、目に迷いがあろうと、私は貴方を愛してる。ねえ、クロウ様。……誰に触れられてもいいけれど、その人を噛んでも、いいでしょう?」
艶やかな笑みを浮かべるベルロッテの視線には、何者にも渡したくないという独占欲が滲んでいた。
守護者たちは皆、クロウに“怒り”を抱いていた。
それはクロウに向けられた不当な扱いへの怒り。
けれどクロウ自身は違う。
怒りではなく、ただ――“理由”を知りたかった。
自分が、なぜ拒絶されたのか。
なぜ、命を狙われたのか。
何を知らないまま、生かされているのか。
「……僕は、“生まれた意味”を探したいんだ」
その言葉に、小さな笑い声が返ってきた。
「きっと見つかりますの。クロウしゃまは、幸せになるために生まれたお方ですのよ」
幼い見た目の少女、ブレアがそう言って、にこりと笑った。
その何気ない言葉に、クロウの胸の奥がすうっと温かくなる。
最後に、大地のような重い声が響いた。
「行くのならば、我が盾を前に置け。貴方様を殺そうとする者があれば――すべて、踏み砕いてやる」
それは、ガルガント。
鉄塊のような巨体と、冷徹な忠誠を持つ者。クロウを守る“壁”であり“鉄槌”。
そして――
黒髪の少年は、ゆっくりと前を向いた。
外の霧が、少しずつ晴れてゆく。
「行こう。僕は……問いかけに行く」
自分が、なぜこの世界に拒まれたのか。
その問いに、たとえ誰も答えなくても――
“知りたい”という意志が、彼を突き動かしていた。
霧の向こう、まだ見ぬ王国へ。
答えのない世界に、問いを刻むために。
魔の象徴の王子を幸せにしたい〜皆がいればもう既に幸せなんですけど?〜 はるはるぽてと @trybound
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