第16話 竜族の誇り

 アドラがゆっくりと両手を挙げた瞬間、

 それまでの砕けた空気が一変した。


 重く、緊張に満ちた“張り詰めた静寂”があたりを支配する。

 その場にいた誰もが、息を呑み、目を逸らすことができなかった。


 そして――彼女は詠う。



---


「闘争よ」


  「嗚呼

 其の剣で我を切り裂き

 其の矢で我が瞳を抉れ」


  「見せてみよ

 汝が研鑽の賜を

 我が身を焼き

 我が魂をも凍える程の奇跡の力を」


  「心せよ

 其の一切合切を我が牙で

 其の魂を灰燼に帰す」


  「我は尖兵

 黒き王の歩む道を創る者」


  「さぁ今こそ闘争の時」


  「とくと見よ

 汝の希望を打ち砕こう」


  「総てを砕く無常の鉄槌ラグナレイヴン



---


 詠唱が終わると同時に――


 アドラの掲げた手のひらに、赤と黒の魔力が吹き荒れる。

 その中心には巨大な業火の塊。周囲を巡るように、いくつもの小さな火球が浮遊していた。


「……私の魔術はね。生かしたり、守ったりなんて器用なことはできないの。

 燃やす、押し潰す、それでおしまい。……ま、私が解除しない限り永遠に燃え続けるけどね?」


 冗談めかしたその言葉に、アルフォンスの背筋が凍りつく。

 それはもはや魔法ではない。“終焉”そのものだった。


「……はぁ。なにが“とっておき”よ。あんたの本領はこんな広域殲滅じゃないでしょ」


 隣で見ていたテトラが嘆息する。


「その火球なんて飾りでしょ。殴ったほうが強いのに……」


「ははは……はは……なんで、こうなったんだ……」


 アルフォンスが膝をつく。

 見上げた空に広がるのは、自らに降りかかる死の炎。


「私の人生は、なんだったんだ……この髪、この瞳で生まれ……ずっと迫害されて……やっと……やっと見返してやれるって……思ったのに……」


 それは、彼の人生の全てを吐き出すような声だった。


「……あなたの人生がどれほど苦しかったのか、私は知らない。

 でもね――あなたは、私のご主人に牙を向いた。それだけが、不幸。

 それだけが、あなたの罪よ」


 アドラの目に、同情も憐憫もなかった。

 そのまま、両手を――静かに、振り下ろす。


「……さようなら。黄泉の旅路の果てでも研鑽を積みなさい。

 次の人生では、少しはマシになってるかもね」


「……あぁ……やっぱり……許されないのか……

 ……幸せに……なりたかった……

 ……幸せになることすら、許されない……」


 呟きとともに、火が降った。


 アドラの魔術。

 それは逃げ場のない“終焉の鉄槌”だった。


 中心にいたアルフォンスを焼き尽くし、その周囲の木々、大地すら黒い灰に変えていく。


 


「……本当に。

 “幸せになるのに、誰の許しがいるっていうのかしら”」


 誰に向けるでもなく、アドラはぽつりと呟く。

 かすれた声は風にさらわれ、誰の耳にも届かぬまま、消えていった。


 


 ――そしてすべてが灰となった。


 アドラが静かに魔術を解除する。

 そこにあったはずのデミドラゴンも、アルフォンスも、森の木々すらも――すべて無に還っていた。


 


 ……それでも、命は繋がれていた。


 ネルとアッシュは、テトラの治癒魔術で意識を取り戻しつつあり、命に別状はない。

 クロウはまだ眠ったまま。けれど、心は確かにそこに在る。


 


 黒の王の覚醒

 そして、二人の守護者の顕現。


 その事実がもたらす影響は計り知れない。

 だが――それが何を意味するのか、今はまだ誰にもわからなかった。


 


 ……ただ一つ、確かなことがある。


 いまこの瞬間、クロウを取り巻く世界は、確実に動き出したのだ。


 


 アドラとテトラは、まだ眠るクロウを静かに抱え、歩き出す。

 ようやく訪れた“平穏”を、守るように。


 


「……にしても、あれであの態度よ。

 ベルがいなくて本当によかったわ」


「あー……ほんとに。

 あの子がいたら、この森どころか、国が二つは吹き飛ぶわね」


 二人はふと、まだ見ぬ仲間に想いを馳せる。

 ――歪んだ愛に狂い、黒の王にすべてを捧げる、ある女を。


 


 そうして、森に渦巻いた混沌の騒動は、静かに幕を下ろした。


 

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