第12話 暴走
突然の静寂。
クロウは顔を上げマーサの顔を見る。
さっきまでクロウを優しく見ていたマーサの顔は、目を瞑り、何かを耐えるような表情をしていた。
クロウは察する。なにか、よくないことが起こったと。幼い心に影がさす。不安が、恐怖が、なによりネルたちの身に何が起きたのか、大切なものが無くなってしまう。そんな焦燥感に心がざわめく。
それは子供ながらの機微だったのかもしれない。子供ゆえに不安を解消したいがために。ネルたちの顔を見て、安心するために。
クロウは、マーサが目を瞑ったその瞬間に、玄関に向かって走り出す。
外の状況を把握するため、目をつぶってしまったマーサは、クロウが動いたことにすぐに気付かなかった。
マーサが気がついた時、すでにクロウは玄関の扉に手をかけていた。
「クロウ!!!!!待ちなさい!今!今でてはダメ!!!!戻りなさい!」
必死の叫び、その叫びは虚しくもクロウの耳に届くことはなかった。
開かれる扉、そしてクロウの眼前に広がる凄惨たる現場。
マーサは咄嗟に動けなくなる。
「ネル…ネル?みんなも…なんで?え?ネル…?」
クロウの前に、折れた剣で体を起こし、膝をつくネル。
至る所に傷を負い、全身が血に濡れたアッシュたち。かろうじて息はあるが、その命を刈り取ろうと、魔狼が彼らを取り囲む。
「あぁ…あぁ…うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
絶叫。
さっきまで笑っていた友人の、親の惨たらしい姿を見て、今にも全てが終わってしまう、そんな光景に。
クロウは頭を抱え、叫びながらネルの元へ向かおうとする。
しかし取り乱すクロウを後ろからマーサが抱きかかえた。
「クロウ!クロウ!だめです!行ってはいけません!!!」
マーサにとっても信じられないような惨状。クロウにとっては地獄だろう。
落ち着かせることは無理、それでも今ネルの元へ行かせれば、クロウの命すら危ない。そんな危機感にマーサは必死にクロウを抱きしめる。
「ク…ロ…ウ…。マー…サ…。逃げ…ろ…こいつ…は…やべぇ…逃げ…ろ…」
「嫌だ!ネル!なんで!ネル!ネルってば!お父さん!お父さん!お父さん!!!しんじゃやだ!やだよ!やだ!」
マーサを力ない目で見ながら、クロウを逃すように伝えるネルに、動揺して何も聞こえないクロウ。
逃げるしか他にない。しかしネルが勝ちきれない相手、どうしても逃げる手段が思いつかない。マーサは焦っていた。冷静な思考などとうにできない。
そんな光景を見ていた異様な人物は目を細めた。
魔狼は今にも飛び掛からんと体を低くし、唸り声を上げる。
「待ちなさい!!!お前たち!!」
アルフォンスはクロウを睨め付ける。すると唐突に破顔する。
「素晴らしい!!!素晴らしい素晴らしい!!!なんという黒!!まさしくまさしく!!魔王の血統!!」
そう快哉を叫ぶ。
「純粋な黒!我らとは違う!!尊き黒髪!尊き黒眼!!!!あぁ!なんと言う幸運!雷帝の脆弱さに嫌気がさすところでした!!なんと言う幸福か!」
アルフォンスはそう叫ぶと涙を流す。
「魔王…なにそれ…マーサ…ネル…僕が…悪いの…?」
「クロウ!聞いてはなりません!あんな狂人の戯言に耳を貸すことはありません!」
幸か不幸かアルフォンスの絶叫に、ふと冷静になってしまったクロウの耳に届くよくわからない言葉。コニーも言っていた。魔の何か。
点と点が歪につながってしまう。この惨状は自分のせいだと。そう思い込んでしまう。
マーサの言葉ももう届いていない。あるのは呆然としたクロウに喜びを隠さず両手を広げるアルフォンスの姿。
「さぁさぁ少年!!あなたこそ!我らの同胞!!我らが至宝!!!!私と共に来るのです!さぁ!さぁさぁさぁさぁさぁさぁ!!」
アルフォンスは、膝をつくネルの横を悠々と通り、クロウに近づいてくる。一歩一歩。逆らうことは許さないとばかりに、その膨大な魔力を垂れ流しながら。
マーサは青ざめる。その膨大な魔力と悪意に。恐らく結界も何も意味がない。そう思わさせるほどの実力差。
しかし何もしないと言う選択肢はない。決死の覚悟で己の全てをかけてクロウへ魔力を込める。
バチンッ
アルフォンスがクロウは触れるその直前。その結界はアルフォンスを指を弾き飛ばした。
「なんと…なんと素晴らしい…」
ここで初めてアルフォンスはマーサを見やる。自分にとってはなんの障害にもならない相手。その結界は自分の魔物が容易く破壊した。この幼子にかけられた結界などなんの問題もない。そうたかを括っていた。
しかしどうだ、現実、今アルフォンスを弾いた結界の練度。幼いこの魔の象徴を守らんとするその愛に。
アルフォンスは感動すら覚えていた。
「ご婦人!!素晴らしい結界である!私が相手でなければ!この結界は誰にも破られることはないだろう!!お名前をお聞きしても?」
そう問うたアルフォンスをマーサは睨みつけると口をつぐむ。貴様などに名乗る名などないと、その目は物語っていた。
「ふむ。名乗らぬならばしかたない。この我らが同胞は、私が連れて行きます。少しばかり甘やかされて育っているが、仕方ない、一から教育して差し上げよう!!」
そういうと同時、アルフォンスはパチリと指を鳴らす。すると…
クロウを覆っていた結界が。そこに何もなかったかのように。
消失した——
マーサは目を見開く。攻撃されたわけではない。単純に魔力で押し潰された。
クロウに送っていた膨大な魔力が、アルフォンスの魔力に塗り替えられ、激しい衝撃となってマーサを襲う。
クロウは何も考えられず、ぼーっと2人の様子を見ていた。
よくわからない。よくわからないがマーサが膝をつくのが視界の隅に見える。
今まで、怖い思いをしたことなどなかった。マーサとネルが守ってくれていたから。
今まで、孤独を感じたことがなかった。マーサとネルが一緒にいてくれたから。
今まで、こんなにも自分の無力がこんなにも辛いなんて思わなかった。マーサとネルが脅威から遠ざけてくれていたから。
とめどなく溢れる恐怖と後悔。クロウはその幼い心の中で初めて孤独を感じていた。
怖い。怖い。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い
今までに感じたことのない恐怖。
初めて感じる死の恐怖に、初めて助けを求めた。
しかし無情にも助けは来ない。
「さぁ!さぁさぁ!来なさい!私が連れて行ってあげよう!本当のあなたが!あなたらしくいられる幸せの楽園に!!」
そう言いながら再び伸ばされる手。
そこにはもう守ってくれるものは何もない。
怖い。助けて。怖い。助けて。怖い。助けて!助けて!助けて!!助けて!!!
眼前に迫る脅威にクロウは完全に自分を見失っていた。
逃げることもできず、ただ自分の体をかき抱き。
アルフォンスがクロウへ触れる瞬間。
————弾けた
満タンに入った水風船が割れるように。なんの音もなく。
クロウの体から膨大すぎる魔力が放出される。
「ばかなっ!!!!」
アルフォンスはその魔力をもろに受け、後ずさる。自分とは比べ物にもならない魔力量に、ただただ驚愕しその様子を見る。
しかしクロウは気がつかない。自分を中心に魔力が嵐のように吹き荒れる。
無色透明な魔力。ごく一般的な魔力が、徐々に黒を帯びていく。
黒く、黒く、黒く染まる。
クロウを覆う嵐のような魔力が激しく吹き荒ぶ。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
またも絶叫。クロウはもはや自らを制御できず大声で叫ぶしかできない。
怖い。自分の置かれた状況も分からず。助けも来ない状況で、それでも助けてと泣き叫ぶ。
それに呼応するように、魔力の渦は大きさを広げ、全てを、飲み込まんとする。
「助けて。、たすけてよ!だれか!ねぇ!!!テンちゃん!!!!ドーちゃん!!たすけてよおおおおおおおおおおおお」
まさに暴走。
一度吹き出た魔力はその放出を止めることなく、渦を巻く。
それでもクロウは助けを求める声を止められない。助けて欲しい。愛しい両親を、笑い合った友を。その思いを汲み取るように魔力はどんどんと、溢れでる。
その魔力の中心で、クロウは泣き叫ぶ。誰か助けてと。
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