第10話 黒の獣と狂人

 マントとフードを脱ぎ去ったその姿を見たネルは身を見開いた。


 その髪と瞳は黒に近いグレー。太陽の光に照らされて、色がよく見えるが灯りのない夜中であれば黒と見間違えてもおかしくない様な色をしていた。


 身長は2メートルに届かないほど、よく鍛え上げられた肉体に、顔の左半分は焼かれたように焼け爛れていた。その右半分にも額から右目に切り傷のような傷跡があり。元の顔はもはや判別できないほどであった。


 黒を基調とした貴族のような礼服に身を包み、魔狼の群れの中で笑う姿はまさに狂人。


「おいおい、そりゃあ…。そうかお前…」


 ネルは言葉にできない。

 あの髪色に瞳の色はまさしく魔の象徴に似通っている。本来の黒ほどでないにしろ、こな世界では十分に忌避の対象だろう。


「いやいやいやいやいやいや!!同情など結構!!!なぜなら私は神なる魔王に選ばれし者!!この世を支配するに値する一員として生まれたに過ぎないのだから!!!」


 そう言う男に絶望はない。どんな境遇で生きればこんなにも歪んでしまうのか。

 

 この世界において黒は魔の象徴。

 そしてその色に近い者たちも、また魔王の血を濃く受け継いだ者として虐げられる様な、そんな残酷な現実をその男は物語っている様だった。



 「さてさてさてさて!実験相手殿!!その雷を纏う姿!素晴らしい!先程の一閃もまさに神業!ただの森暮らしの狩人じゃぁないですねぇ?」


 男はもったいつけた様にネルを睨め回す様に見るとそう問いかける。


「いーや。今はしがない狩人さ。森で生きて森で死ぬ。そんな幸せな男だよ。」


 何一つとして情報を渡すわけにはいかない。こいつが何者でも、クロウの存在がバレてしまえばろくな事にはならない。

 ネルの直感がそう告げる。


「ハッハッハッハァ!ご謙遜を!!その身体強化の練度!剣の業!!そしてそしてそして何より!!雷を纏う姿!!!素晴らしい!!!」


そう男は満面の笑みで拍手をしながら宣うと、急に真顔になり告げた。


「雷帝ミネルバ・フォン・アークライト。そうでしょう?森の狩人さん?」

 

 その言葉を告げられたネルは何も答えない。

 しかし、アッシュらは驚愕した様な表情をして、ネルを見る。


 ミネルバ・フォン・アークライト。

 アクロネシア王国が誇る最強の騎士。全身に雷を纏い、その速さは音を置き去りにし、その一太刀は竜の鱗さえも切り裂く。

 まさに人類最強。個でもって戦争の抑止力となり、帝国と聖皇国を牽制してきた英雄。

 その姿を見た人々は畏怖を込めてこう呼んだ。


 雷帝と。


 もう何十年も前、歳をとったと現役を退き、騎士団の隊長となった男。5年前から行方が知れず、死んだとも、隠居したとも噂された人物の名を男は呼んだ。


「雷帝だと…?そんなことが…」

 アッシュはにわかには信じられないと、いまだに何も言わないネルを見る。

 しかし思い当たる節が多すぎた。一刀で魔狼を切り裂くその技術、自分自身を助けてくれた時の雷を纏うその姿。

 疑う余地もない。なぜこんなところにと、とめどなく思考はめぐるがほぼ確実だろう。


 しかし、思い当たってしまう。衰えたといえ雷帝。

 その雷帝が目で追えてすらいないあの男は何者なのかと。


「なんだいお前さん。随分俺に詳しくな。ファンか?大ファンなのかい?」


 ネルは自分の正体がバレている事に驚きはない。別段隠していると言うわけでもなかった。しかし相手にだけ手の内がバレているこの状況にこそ冷や汗をかく。


「あーあーあー!大ファンですとも!いつも思っていたのです!人類最強!!そんな最強と!!!私の作った魔物。どちらが強いのか!どちらが最強なのかと!!!!」


 男はもはやダスティダストを見てすらいない。ネルだけしか眼中にないその目には狂気が宿っていた。


「わたくし、魔王崇拝者の1人、アルフォンス・バーガンディと申します!!!どうぞアルとお呼びください!!さぁさぁさぁ!!実験開始と行きましょう!!」


 そう叫ぶ。アルフォンスと名乗った男は身体中から魔力を溢れさせ、魔狼へ放つ。

 すると魔狼は一瞬苦しそうな痛みに耐える様な表情をした後…。

 先程とは比べ物にならないくらいの魔力を内包していた。

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