第7話 心に雨が降る

 授業の終わった放課後。

 廊下の窓から外に目をやると、雨の降るグラウンドが見える。

 梅雨に入ってから、毎日のように続く雨。こんな風に雨ばかり続くと、つい気持ちまで沈んでしまう。

 もっともボクの心は、天気なんて関係無しに沈んでいるけれど。


 佐久間くんが中井くんたちに話をつけようとするのを止めてから数日が過ぎたけど、嫌がらせは未だに続いている。

 佐久間くんはボクの言ったことを分かってくれたみたいで騒ぎにはせず、その代わり前にも増してボクに話しかけてくるようになった。


 そのおかげかな、中井くんたちも手出ししにくかったのか、今日は比較的穏やか。

 シャーペンを折られるわけでもなく、教科書を隠されるわけでもなく。

 やられたことと言えば、授業中に後ろから消しゴムを投げられたくらいだった。

 このまま大人しくなってくれればいいんだけど……。


 そんなことを考えながら、ランドセルを背負って下駄箱に向かったけど。

 それは甘い考えだったと、すぐに思い知らされる事となる。


 下駄箱に着いて、上履きから長靴に履き替えようとした時、それに気づいた。

 朝確かに履いてきたはずの長靴が、下駄箱の中にないことに。

 先月お母さんが買ってくれた、水色の長靴。だけどそれはどこにもない。


 誰かが間違えて履いていった? ううん、そんなはずがない。

 すぐに頭に、おそらく中井くんたちの顔が浮かんだ。


 証拠なんてないけど、今までの一連の行動を見ると間違いないだろう。

 たぶん休み時間が昼休みのうちに、長靴をこっそり隠したんだ。


 油断していた。今日は大したことをされなかったから安心してたのに。

 教室では佐久間くんがいたけど、だったら靴を隠せばいい。

 ちょっと考えれば十分考えられることなのに、全然予想できていなかった。


 これからどうしよう? 長靴がないなら、上履きのまま帰るしかない? 

 一瞬そう思ったけど、すぐにその考えを捨てた。


 長靴が隠されたのなら、見つければいい。

 どこにあるかなんて、推理すればいいんだ。

 そうと決まれば、すぐに思考を巡らせる。


 なくなったのは長靴。校舎の中に隠すよりも屋外に隠す方が自然だと思う。

 だとしたら、そう見つけ難い場所には無いだろう。

 今日は一日中雨が降っていたけど、こんな中外の手の込んだ場所に隠したとは思えない。


 問題は外にあるとして、どうやってそこまで行くかなんだけど。

 外に出るためには靴が必要だけど、あいにくなくなったのは長靴。上履きのまま行ってもし先生に見つかったら、何て言われるか分からないし……。


 悩んでる間にすぐ横を同級生たちが、上履きから靴や長靴に履き替えて外に出ていく。

 履く靴があるなんて当たり前のことが、こんなに羨ましいなんて。


 みんなボクがじっとしていることなんて気に止めていないけど、もしこの中の誰かに相談したら、力を貸してくれるかな? 


 でも、声をかける勇気が出ない。

 そうしている間に、徐々にみんないなくなって、下駄箱にはボクだけが取り残されていた。


 仕方がない。

 今なら誰も見ていないし、上履きで外に出ても見つからないだろう。

 そう思って、一歩を踏み出そうとしたその時。


「小林、今帰りか?」

「佐久間くん?」


 不意に現れたのは佐久間くん。

 なんでいるの? いつもは放課後になるとすぐに帰るはずなのに。


「まだ残ってたんだ。何か用事でもあったの?」

「ああ、ちょっと図書室によっててな」


 佐久間くんはそう言って、背負っていたランドセルをコンコンと叩く。

 おそらく中には、図書室で借りた本が入っているのだろう。また、江戸川乱歩かな?


「小林こそ、ちょっと遅いな。図書室によってたわけでもないのに」

「う、うん。ちょっとね……」


 言葉に詰まる。

 長靴を隠された事を話したら、佐久間くんは何て言うだろう?

 できれば知られなくない。けど同時に、ボクが頼れるとしたら、事情を知ってる彼だけだ。


「どうした、小林?」


 ボクの様子がおかしいって思ったのか、佐久間くんが首をかしげてる。

 かなり躊躇ったけど、できれば巻き込みたくなかったけど、それでもボクは口を開いた。


「さ、佐久間くん……少しの間だけ、靴を貸してくれない」

「へ、靴?」


 何を言っているのかわからないといった様子。

 いきなりこんなおかしな事を言ってきて変なやつだって思われてるかもしれないけど、ボクだって必死なんだ。


「別に良いけど……まさか、自分の靴が無いのか?」

「……うん」


 素直に首を縦にふる。

 本当は秘密にしておきたかったけど、頼んでいるのに事情を話さないわけにはいかない。

 佐久間くんは難しい顔をしたけど、何かを察したみたいにうなずいた。


「分かった、靴を探すんだよな。だったら、傘もオレのを使えよ。たぶんお前の傘、無いと思うから」

「う、うん……」


 そう言われればそうだ。靴を隠したのなら、一緒に傘を隠してもおかしくない。

 傘には名前を書いていたから、ボクのだってすぐにわかるだろう。


 そしてその事を指摘したということは、佐久間くんは事情を概ね察したってこと。

 また心配かけちゃうかもだけど、今更どうしようもなかった。


「ごめん。すぐに見つけて返すから」

「オレのことは気にするなって。それより……いや、何でもない」


 何かを言いかけたけど、途中で口をつぐむ佐久間くん。

 そしてボクは彼から借りた靴を履いて、傘立てを見たけど、思った通りボクの傘はなくて傘も借りることにする。


 佐久間くんの名前が書いてある、紺色の傘を手に取って外に出ると、長靴や傘が隠してありそうな場所を探していく。


 雨の中傘をさしながら探すのはやりにくかったけど、隠した中井くんたちにとっても面倒だったはず。

 ならやっぱり、そんな凝った場所には隠されてないと思う。


 そうして15分くらい雨の中を探して、体育館の裏でついに見つけることができた。

 無造作に捨てられてた、傘と長靴。だけど見つかったことに対する喜びは、微塵もなかった。

 雨にさらされていた長靴は中までビショビショ。

 そして傘は真ん中から大きく折られていて、とても使い物にならない。

 そんな長靴と傘を前にしていると、我慢していた涙が溢れてきた。


「どうしてボクがこんな目にあうんだろう……」


 きっかけはやっぱり花瓶が割れたあの時、中井くん達が犯人だって言ってしまったこと。

 もしあの時余計なことを言わなかったら、こんな風に目をつけられることはなかったと思う。


 それじゃあ、ボクのしたことは間違いだった?一瞬そう思ったけど、すぐに首を横にふる。

 もしも黙っていたら、きっと佐久間くんが犯人扱いされていた。

 あの時の行動が間違っていたなんて、思いたくない。


 けどそれじゃあ、何がいけなかったの?

 いくら考えても、答えはでないまま。

 壊れた傘はそのままに、びしょ濡れの長靴だけを手に下駄箱に戻ると、佐久間くんが待っていてくれていた。

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