第5話 始まった嫌がらせ

 もしかしたら、何か予兆はあったのかもしれない。

 だけど浮かれてしまっていたボクはその事に全然気づいていなくて。気がついた時にはもう始まっていた。


 その日休み時間にトイレから戻ったボクは、次の授業の準備をしようと、机の中から国語の教科書を取り出そうとする。


 だけど……あれ、おかしいな? 教科書が見つからない。

 机の中の物を全部出して見たけれど、そこに国語の教科書はなくて。だけど、家に忘れてきたなんてことはないはず。

 だって朝来たときに、確かにランドセルから取り出したのを覚えているから。


 なくなってしまった教科書。こういう時こそ、推理して探せばいいんだ。とりあえず、ボクが席を離れている間、誰か机に近づいた人はいないか聞いてみよう。


 そう思って、トナリの席の三浦さんに声をかけようとしたけど……。


(今話しかけても、大丈夫かな?)


 三浦さんは数人の友達と楽しそうにお喋りしているけど、こういう時は声をかけにくい。

 人見知りでコミュ症のボクは、クラスメイトに話しかけるだけでも一苦労なのだ。


 考えてみたら今まで探偵をやる時は、いつも佐久間くんがトナリにいて、ボクの代わりに話しかけてくれてた気がする。

 情けない話だけど、どうやらボクは未だに一人だと、誰かに声をかけるのも一苦労なんだ。


 どうしよう、早くしないと授業が始まっちゃう。

 ボクは一歩を踏み出して、三浦さんに声をかけた。


「あ、あの……」

「へー、そんなことがあったんだー」

「三浦さん……」

「ああ、それ分かるー。アタシも似たようなことあったもの」

「み、三浦さん!」

「わっ!? えっ、なに? 小林さん?」


 三度目にしてようやく、ボクの声は三浦さんに届いた。

 ビックリさせちゃって悪かったかなって思ったけど、生憎今はもっと大事なことがあるんだ。


「あの……ボクが席を離れている間、誰かが机に近づいたりしてなかった?」

「えっ?うーん、どうだったってけ? 皆、覚えてない?」

 三浦さんは他の子にも聞いてくれて、みんな思い出そうとしてくれる。

「ああ、そう言えば中井くんが来ていたような……他にも何人か、男子がいたと思うけど」

「中井くんが?」


 中井くん、ボクに何か用でもあったのかな?

 他に手がかりは無いことだし、彼にも話を聞いてみようか?

 だけど、そう思ったその時、無情にも休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。


 残念ながら、これでタイムオーバー。結局、教科書を見つけることはできなかった。

 いくらなんでも、この短い間に探しだすのは無理があったんだ。


「小林さん、何かあったの?

「実は、国語の教科書が見つからなくて」

「そうなの? だったらアタシのを一緒に見れば良いよ」

「えっ、ありがとう」


 三浦さんのおかげで、何とか次の授業は切り抜けることができた。

 教科書が無いことはちゃんと先生にもバレて怒られちゃったけど。本当にどこにいったんだろう、ボクの教科書。


 その後休み時間になって、ボクは中井くんに教科書を知らないか聞いてみることにした。

 中井くんは数人の男子と一緒にいて、ちょっと話しかけにくかったけど、ボクは頑張って声をかけてみる。


「中井くん……中井くん!」


 ボクは中井くんの名前を呼んだけど、彼はボクを見ようともせずに、友達とおしゃべりと続けている。

 もしかして、聞こえてなかったのかなあ?

 ボクの声小さいから。気を取り直して、もう一度聞いてみる。


「中井くん! 中井くん!」


 今度は、さっきよりも大きな声。

 するとさすがに耳に届いたのか、中井くんは面倒くさそうな顔をしながら、ボクに目を向けてくる。


「何だよ、なんか用か?」

「用ってほどじゃないけど……さっきの休み時間、ボクの机のそばにいたって聞いて。その時、国語の教科書見なかった?」


 なにか知ってたらいいんだけど。

 だけど中井くんは、何故かニヤニヤとした笑みを浮かべながら、バカにするような口調で言ってきた。


「何だ、教科書がないのかよ? だったらお得意の推理で、探してみたらいいんじゃないか。名探偵なんだろ?」


 とたんに、周りにいた男子達が一斉に笑い出す。

 それは明らかに、悪意のこもった笑い方で、どうしてこんな風にバカにさなくちゃいけないのか、わけが分からなかった。


「本当に知らない? 今朝来た時は、確かにあったはずなんだけど?」

「何だよ、オレが盗ったって言いたいのかよ?」

「そう言うわけじゃないけど……ごめん、もういいや」


 これ以上聞いても、きっと何も分からないだろう。

 諦めて踵を返すと、さっきまで笑っていた中の一人が、背中越しに言ってきた。


「見つからないなら、ゴミ箱の中でも探してみたらどうだ?」


 ゴミ箱?

 どうしてそんな発想が出るのか、ボクにはわからなかった。

 例えばもし教科書が床に落ちていたとしても、ゴミ箱に捨てようとはまず思わないはず。

 だけど、何だかこの時嫌な予感がして。ボクは早歩きで教室の隅に行くと、そこにあるごみ箱を開いてみた。

 そしたら……。


「——っ⁉」


 はたして教科書は、そこにあった。

 ただし乱暴に二つに折り曲げられていて、所々破れていて。まるでゴミのように、捨てられていたの。


 ボロボロになった……ううん、明らかにわざとボロボロにされた教科書を見て、愕然とする。


 ひどい。いったい誰がこんなことを?

 拾い上げて見てみると、教科書の裏にはしっかりボクの名前が書いてある。

 やっぱり誰かがボクの教科書を盗んで、ゴミ箱に捨てたってこと?


 嫌な考えが浮かんで呆然としていたら、ふと背後に気配を感じた。


「うわ、なんだよその教科書。もうゴミ同然じゃねーか」


 振り返るとそこには中井くんと、その仲間たちがいた。


 そういえば、どうして彼らは教科書がごみ箱に捨てられてると知っていたのか?

 そんなこと、考えるまでもない。 

 ボクは唇を震わせながら、声を絞り出す。


「君達が、やったの……」

「はあ、なんだって? 全然聞こえねーよ」

「ボ、ボクの教科書捨てたのは、君たちなの?」


 震える声を何とかしぼりだしたけど、中井くん達は何がおかしいのか、ゲラゲラと怒りを誘う笑い声を上げる。


「知らねーよ。どこにそんな証拠があるっていうんだよ」

「だ、だって、ゴミ箱にあるって知っていたし……」

「ああ、アレは推理だよ。推理してどこにあるか当てたんだよ」

「そうそう。お前もよくやってるじゃねーか」


 メチャクチャだ。そんなの嘘に決まってる。

 けど彼らは何がおかしいのか、ゲラゲラ笑うばかり。


「ゴミ箱にあるのを当てるだなんて、お前名探偵だな」

「なあに、そんなの大した事無いって。だってコイツ、みんなから嫌われてるもん。教科書が捨てられても、不思議じゃねーよ」

「そうだな、スゲー簡単だな。アハハッ!」


 ──っ!

 中井くんたちの言葉が胸に刺さって、聞いているだけで、嫌な汗が噴き出してくる。


 教科書を盗んで捨てたのが中井くんたちなのは明白なのに。きっと彼らは、バレても構わないって思っているんだろう。

 そうまでして、ボクが傷つくようなことをしているんだ。


 悔しさと悲しさが、徐々に込み上げてくる。

 だけど文句の一つも言ってやりたいのに、声が出てこない。

 情けない話だけど、ボクは怖いんだ。もしもここで反発しても、ボクじゃあ絶対に中井くんたちには勝てないから。

 歯を食いしばって惨めな気持ちを飲み込むと、ボロボロの教科書を手に彼らに背を向ける。


「なんだよ小林。そんな汚い教科書、まさかまだ使うつもりなのか?」 

「新しいの買ってもらえばいいのに」

「そう言うなって。家が貧乏なんだろ。だってコイツこ父ちゃんって……」


 それ以上は、聞くに堪えなかった。

 まぶたを閉じれば何も見えなくなるように、音を遮断する機能が耳にもあればよかったのに。


 ボクはうつむいたまま何も聞こえないふりをして、足早に自分の席へと戻ろうとする。けどその途中。


「わっ」

「あっ」


 ドアの前を通ろうとしたとき、廊下から教室の中へ入ってきた佐久間くんと、危うくぶつかりそうになってしまった。

 俯いていたせいで、前がよく見えてなかったんだ。


 佐久間くんは少し後ずさっただけだったけど、ボクはバランスを崩して、その場でしりもちをついてしまう。

 すると途端に、後ろから中井くん達の笑う声が聞こえてきた。


「ダッセー、小林のやつ、転んでやがるー」


 その言葉に、顔が沸騰したみたいに熱くなる。

 バカにされた事も悔しいけど、こんな情けない姿を佐久間くんに見られた事が、恥ずかしくてしかたがない。


 だけど佐久間くんは中井くん達とは違って笑ったりせずに、転んだボクにそっと手を差し伸べてくれた。


「悪い、前をよく見て無かった。立てるか?」

「あ、ありがとう」


 その手を取って、起き上がる。

 服に微かについたほこりを払っていると、佐久間くんがふと、ボクの持っているボロボロの教科書に目を向けてきた。


「あれ、小林が持ってるそれ……」

「えっ⁉ な、何でもないから」


 教科書を思わず背中に隠して後ずさる。だけど佐久間くんは首をかしげながら、距離を詰めて、手を伸ばしてきた。


「本当か? なんか今、変なものが見えた気がするけど」

「な、なんでもないから触らないで!」

「わ、悪い」


 思わず手を引っ込める佐久間くん。

 ゴメンね。だけど佐久間くんには、どうしてもこれを見られたくなかったんだ。


 もしも佐久間くんがボロボロになった教科書を見たら、何があったかを聞いてくるだろう。

 だけど中井くんたちにされたことを話すのが、とても恥ずかしいことに思えた。

 だってこんなことをされても言い返すことも出来ないなんて、情けないもの。

 ボクは秘密を隠したまま席に戻ると、破れた教科書をそっと引き出しの中へと入れる。


 これでいい。

 今回のことはとても嫌な出来事だったけど、もう終わったこと。運が悪かったと思って、我慢すればいい。

 そう自分に言い聞かせたけれど……。


 この時ボクはまだ、事の重大さを全然理解していなかった。

 この日からボクの、地獄の学校生活が始まったんだ……。





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