第35話:隠蔽
アバディーン王国歴101年1月1日、新穀倉地帯、カーツ公子視点
「カーツ様、何か私にできる事はありませんか?」
困った、地球の神々から与えられた知識と力を使って、聖女深雪の辛く哀しい記憶を毎日消しているのに、直ぐに記憶の一端を思い出してしまうようになった。
種豚チャールズ王太子や売女カミラの事は思い出さないが、救世主として戦った辛く苦しく哀しい10年の旅の記憶が蘇ってしまう。
特に、酷政で餓死寸前の生活をしていた、哀れな民の事を思い出してしまうので、今直ぐ助けに行きたいと詰め寄るようになった。
「特に今直ぐやってもらわなければいけない事などありません」
「ですが、多くの人が食べる物もなく苦しんでいるのではありませんか?」
「一緒に農業用の溜池を造り、用水路を整え、穀倉地帯を造ったのは思い出されましたか?」
「ええ、鮮明ではありませんが、造ったのは覚えています。
ですが、人々がその穀物を受け取り食べているのを見た記憶がありません」
「聖女深雪様が思い出せない人々ですが、それは彼らが悪人だからです。
彼らは自分たちが利益を得るためには、平気で人を騙すのです。
その時に傷つき哀しまれたので、思い出さないようにしているのでしょう」
「カーツ様が嘘をついているとは思いませんが、助けたいと思い出すのは、何か理由があるからなのだと思うのです。
私には人々を助ける使命があるのではありませんか?」
困ったな、記憶が蘇る度に、何度も同じ事を説明しているが、どうしても納得してもらえない。
何時かは、この世界の人間の下劣さを納得してくれて、記憶が蘇っても助けたいと言い出さないようになってくれるかも知れない。
そう願って毎日記憶を消す魔術を掛け続けているが、全く変化がない。
いっそ記憶を消すのを止めようかと思ったが、種豚と売女に傷付けられた記憶が戻るのだけは避けたいので、同じ事を繰り返す手間を受け入れている。
「聖女深雪、それは使命ではなく呪いなんだ。
聖女深雪をこの世界に誘拐拉致召喚した精霊と貴族が、この世界に現れる腐敗獣を斃さなければいけないと思い込むようにした、悪質な呪いなのだ」
「そうなのですか?
ですが私は、その腐敗獣を斃したいという思いにはなりません。
私が思うのは、貧しさに苦しんでいる人々を助けたい、です」
「それは……聖女深雪の本質的な優しさでしょう。
ですが、何度も申し上げているように、この世界の民は、そんな聖女深雪の想いを感謝するような、善良な者たちではないのです」
「それはかまいません、感謝されたくて助ける訳ではないのです。
貧しさに心は荒むのは当然の事ですから、善良でないのも分かります。
それでも、助けてあげたいと思うのです、駄目ですか?」
「駄目ではありません、とてもありがたく尊い事です。
ですが、何度も言っているように、それだけの価値がないのです」
「私も何度も申し上げますが、それでも助けたいのです。
私が無能で助ける力がないのならしかたがありませんが、力があるのですよね?」
「あります、聖女深雪様には多くの民を助ける力があります。
その力を使って、俺と一緒に穀倉地帯を造ったのです」
「でしたら、その穀物を貧しい人々に配りましょう」
「配るのはかまいません、今も配っています。
ですが、聖女深雪様をその場にお連れする訳にはいきません。
分け与えた食糧を醜く奪い合う所を見せる訳にはいきませんから」
以前には、まだましな人々が住む村に食糧を与えるのに同席してもらったが、そんな村はほとんどない。
同じ村にだけ食糧を運び込むと、聖女深雪の記憶が戻った時に、何故そのような事になったのか説明するのが面倒だ。
聖女深雪に、俺が食糧を独占していて、他の村には食糧を与えていないと思われるのは絶対に嫌だ。
これまでは表に出さないようにしていたし、自分でも気が付いていない振りをしていたが、俺は聖女深雪の事が心から好きなのだ。
この世界の仕組みを作った神々や、精霊たちの呪いかもしれないが、俺の全力を使った記憶消去の魔術を打ち破るほどの慈愛の心が素晴らしい。
愚かだと思うと同時に、自分にはない、無償の愛に憧れてしまう。
気を抜くと、目が聖女深雪に釘付けになっている。
そんな矛盾した自分の想いを知られたくなくて、他人行儀な話し方になったり、変にへりくだった話し方になったりしてしまう。
もし深雪が全ての記憶を取り戻してしまったら、俺の言動が一致しなくて、驚くと同時に隠していた気持ちに気付かれてしまう。
そんな事になったら、俺のこれまでの言動が、全て聖女深雪への恋愛感情からだと思われてしまう。
確かに、恋愛感情から口にしてしまった言葉や行動が、何1つ無かったとは言わないが、それは極一部で、ほとんどはこの世界の神々や精霊に対する怒りからだ。
私利私欲、恋愛感情で精霊を滅ぼそうとしていると思われるのは嫌だ。
聖女深雪に、そんな男だと思われるのは絶対に嫌だ。
だから、これからの行動を考え直さなければならない。
このまま記憶を消し続けるのか、頃合いを見て記憶を消すのを諦めるかだ。
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