第4話

「き、気持ち悪い……頭痛い」

 翌日、調子にのって飲み過ぎた私は人生初めての二日酔いで死んでいた。

 大学に行くどころか起き上がることもできず、ガンガン痛む頭を抱えて水だけ口にして、昨日の自分を呪って半日を過ごした。

 お昼前には頭痛はだいぶマシになっていて、よろよろと体を起こしてスマホを開けばメッセージが大量に届いていた。

 だいたいは生存確認系であったが、一件は、気になるカフェがあるから行かない?というアサミからのランチのお誘いだった。

 調べれば電車ですぐの場所であった。朝からろくに固形物も食べておらず、調子が戻ってきた胃はお腹を鳴らして空腹を主張し始めたので、すぐに了解と返信した。

 今、考えれば当時の私は自分のことしか考えておらず、周りから向けられる感情にとんと無頓着むとんちゃくであった。




「コアラと付き合う気だったらさ、やめてくれない?」

 私が席に座るなり、なんの前置きもなく、アサミは一言目にそういった。

「え?」

 楽しくご飯を食べる気満々だった私は、ただただ呆気あっけに取られた。

 なにかの冗談だと思ってアサミを見たが、彼女の顔は一切笑っていなかった。

「私、前からコアラのこと気になっていたんだ。だから諦めて」

「でもアサミ……今、先輩と、付き合っているじゃん」

 震える声で言うと、アサミはギロリと睨んだ。

 アサミからは人形劇部の先輩との惚気のろけ話をずっと聞いていた。

 彼のハゲが少しずつ進行していて、誕生日プレゼントを育毛剤シャンプーにしたら傷つくだろうかと相談された。相手の家に挨拶に行くためにカジュアルな洋服を一緒に買いに行って欲しいと頼まれたことだってある。だから、アサミの発言に私は唖然あぜんとした。

「付き合っているけれど、それとは話が別」

「別って……」

「はっきり言ってさ、ガラ、目障りなんだよ。付き合う気もないのに好意をふりまいて、いざ距離を詰められたらスッと逃げる。そういう思わせぶりな態度に周りがどれだけ迷惑していると思う?」

「私はそんなつもりじゃ……!」

「そういうところだよ。人の好意を当たり前のように受け取って、足蹴あしげにしていることに気づいていないでしょう? 何様のつもり? こんなことなら人形劇部に誘うんじゃなかったってずっと思った。ガラのせいで雰囲気が悪くなってすごく迷惑」

 ショックだった。彼女からこんな風に思われていたなんて、知らなかった。言われるまで気づけなかった。ポロリと涙が出るとアサミはせせら笑った。

「いつもだったら何かしでかしても、泣いたら周りがフォローしてくれるのにね。残念ながら今は助けてくれる人は誰もいないよ。あーずっと文句言いたかったんだよ」

 彼女の攻撃はそれからさらに続いた。悪意にさらされ何も言えずにうつむくしかない中、言いたいことを言い切ったアサミも黙り、やがて長い沈黙が続いた。しびれを切らしたアサミは「じゃあ、そういうことで」というと、カフェを出て行った。



 次の日には大学へ行ったけれど、声をかけようとしてくれたコアラのことを避けてしまった。

 アサミがただただ怖かった。誰かからあんなにも憎しみのこもった目を向けられたことなんてなかった。たとえアサミがそばにいなくても、あの突き刺さるような視線をどこからか感じる気がしてならなかった。

 わざとらしく逃げるのが二回も三回も続けば、気まずい雰囲気が生まれる。そして四回目はなかった。自分から避けておいて、もう来てくれないと思ってしまう身勝手さに吐きそうになる。

 アサミと顔を合わせるのが怖くて人形劇部の部室には顔も出せなかった。それに人形劇部のみんなから迷惑がられているという言葉が突き刺さっていた。

 うまくやれていると思っていた。でもそれは自分がそう感じていただけで、周りからはズレていると思われていたかもしれないと考えると、息がつまるようであった。居場所を失ってしまった喪失感そうしつかんさいなまれながら鬱々うつうつとした日々を過ごす自分に、勘のいい友人から何かあったのかと聞かれたが、なんでもないと答えた。もしアサミとのことを言えば、告げ口のようで「そうやってすぐ泣いて人にすがるんだね」とどこからかアサミの声が聞こえた。彼女の言葉は呪いのように体を蝕んでいた。

 講義が終われば逃げるように大学を出たが、いつもより早く家に帰って親から何かあったのかと詮索されるのもめんどくさく、時間を潰すために山手線をぐるぐる回った。本を読むふりをして、ぼーっとしていれば何も考えずに済み、そのまま一日が過ぎていくことにほっとした。そうやって何もしていないくせに、誰かがなんとかしてくれて、あの日々に戻れるなら戻りたいと願ってしまう他人任せの自分に嫌気がさして、深々とためいきをついた。

「お、ガラじゃん。奇遇。こんなところでどうしたの?」

 ここ二、三日のルーチンになっていた山手線に乗っていたところへ唐突に声をかけられ、頭を上げた。

 手すりにつかまりながら、席に座る私を見下ろしていたのはマッツンだった。




「今日は人形劇部の活動日じゃなかったっけ?」

「お互い様。ガラこそ、ここ最近休みがちじゃん。何かあった?」

「別になにも」

「そういう風には全然見えないんだよ。誰にも言えない話とかあったら聞くけれど」

「だからなにもない」

「コアラとも? 俺、何かしてしまったかなって、ずいぶん悩んでたぞ。ぶっちゃけなにがあったん?」

 一番聞かれたくなかったところをつかれて、ぐっと言葉が喉に詰まった。一番の友達であるマッツンにコアラが相談しないわけがなかった。

 マッツンにすべて話してしまおうかという気持ちが湧いたが、私がここ最近、帰宅時間を遅らせるために山手線に乗っているのを知っていながら、知らない風を装って近づいてきたかもしれない。警戒心が募り黙っていると、マッツンは頬をかいた。

「率直に言うけれど、アサミだろ?」

「え?」

「あたり?」

 私の顔が答えになっていたようで、マッツンはニカっと笑った。

「俺、アサミと付き合っていたことあるから、みんなが知らないアサミのこと、結構知っているんだよね」

「付き合っていたなんて、初めて聞くんだけれど」

「一ヶ月もたなかったからね。ちなみにあのWデートのあとから付き合い始めた」

「スピード破局すぎるでしょう。なにがあった」

「まあ色々と。今はその話は置いておいておこう。アサミは女王気質で自分が世界の中心じゃないと気に入らないんだよ。ちっちゃくてかわいいし、今まで望めば大抵なことは思い通りにできたんじゃないかな。でもコアラはアサミが気を引こうとしても一切、なびかなかった相手だったんだ。なのにガラはすぐに仲良くなっただろう? 相当、気に入らなかったと思うよ」

「そんな子供みたいに……」

「子供なんだよ。それにさ、ガラ、演技うまいし、子供受けよかったし、本当に人形劇が好きでたまらないって姿勢がみんなの目を引くんだ。今まで人形劇部で中心にいたアサミは、地位を脅かす敵だと感じたんじゃないかな」

「でも、そもそも人形劇部に誘ってくれたのはアサミなのに、なんで?」

「下に見られていたから。もしガラが元演劇部で自分よりもうまく演技ができるって最初から知っていたら、誘っていなかったと思う。ともかく俺としてはさ、コアラとガラの仲を応援したいの。野暮なちょっかいでメチャクチャにして欲しくないんだよ」

 マッツンの真摯な言葉に、目の奥に光が生まれてあふれそうになった。

「……ありがとう、マッツン」

 今まで溜め込んだ感情を解放できた安堵で、ささくれだった心が落ち着いていく。喉に引っかかって出てこなかった想いが、言葉としてすっと出てきた。

「私、なんでもハキハキ決めてみんなのことを引っ張ってくれるアサミをすごいなってずっと尊敬していたし、憧れていた。入学式の帰り道にアサミが話しかけてくれたのがきっかけで仲良くなって、二人で旅行にも行ったことがあったんだよ。でもそんな友達関係がこんなに簡単に崩れてしまうんだと悲しくてさ。気づけない自分も悪いんだけれど、人間の二面性がすごく怖い」

「何事も経験だし、知らないより知っていた方がいいよ。ガラ、抜けてて隙があるから、これを機に危機管理意識をつけたがいい」

「うん、そうする。ぶっちゃけ今までマッツンのこと、チャラそうだって思っていた。でもすごく根は真面目なんだね」

「よく言われる。まあこんな外見だから仕方がないか」

 ワハハとマッツンは笑った。

 彼は今まで見た目で誤解を受けたことがいっぱいあるのだろう。そんなマッツンをあの真面目なコアラが支えていたんじゃないかとふと感じた。

 いろいろと吐き出して、楽になった。

 明日、コアラとちゃんと話そう。

 そしてあの日の続きの言葉を聞くんだ。


 そう心に誓うと、ぎゅっと手で拳をつくった。

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