第3話

「今度作る予定の白雪姫のドレス案、考えてみたけれど、どう思う?」

「うーん。私、造形とかさっぱりだから素人意見しか言えないけれど」

「それがいい」

「そう言われると張り切っちゃうな」

「それはやめてくれ。お前は調子に乗ると変な方向に行きがちだ」

「んだとコアラッ!」

「そのとおりだろう、このトリガラ!」


 それから二ヶ月後、私たちはタメ口を言い合う仲になっていた。いや、タメ口どころではない。ちょっとしたきっかけでシャーシャー猫のように威嚇しあう間柄、という表現が一番しっくりくる。

 きっかけは、人形劇部の新歓コンパだった。

 新入部員の一年生プラス私のために開かれた歓迎会で、私はちょうど二十歳を迎えたのもあり、初めてのお酒に挑戦した。

 お酒に酔っ払うと、陽気になったり、黙りこくったり、眠くなったり、いつも以上に笑ったり、涙もろくなったりと、人によってパターンはさまざまだだが、私の場合は絡み酒だったようだ。

 恐る恐る飲んだカルーアミルクがおいしくて、あまりお酒を飲んだ感じがしなかったので、カンパリオレンジ、モヒート、スクリュードライバーと立て続けに飲んだのが悪かった。その上、飲んでも顔が赤くならないタイプだったので一見しただけでは酔っているのか分からないのもまずかった。

 ヘラヘラ笑いながら向かった二次会のカラオケで、私は隣に座っていたコアラにどんどん絡み出した、らしい。

 らしい、としかいえなかった。というのも二次会以降の記憶が少し曖昧なのだ。コアラの背中をバンバン叩いた覚えはある。ちょうど叩きやすい位置にあったのだ。だが「鼻から牛乳」を選曲して「歌えー!」と言いながらコアラにマイクを渡して強要した記憶はない。弁解するなら、あの時、私はコアラを高校の友達のミカだと思っていた。

 周りから「ご指名だー歌え歌え!」とはやし立てられたコアラは、一度も歌ったことのない曲を仏頂面で「チャラリー鼻から牛乳ー」と歌いあげた。だが続けて、爆笑必至ソングのブリーフ&トランクスの「青のり」を私がいれると「お前はなんなんだ!」とキレられ、マッツンに宥められたあと、私はふてくされてすみっこにずっといたらしい。

 翌日、周りからその話をされた時には真っ青になって関係者全員に謝りにいったが、私に雑に扱われたコアラは、私を雑に扱っていい枠に押し込めると決めたようで、現在に至る。あの日からどうしてこうなったと我ながら思うが、でも私はこの関係性を気に入っていた。



「こっちは真面目に聞いているんだ」

「さもこっちが日々、不真面目に生きているような言い草だな」

 そうだろう、とボソッとコアラは言ったが、これ以上言い合いになったら話が進まないので聞き逃して、コアラの図案を見た。純白のドレスだ。雰囲気としてセーラームーンのセレニティドレスが一番近いだろう。

「へぇ、白にしたんだね」

「青と黄色だと、まんま夢の国系になるし、どうせならちょっと方向性変えたくて」

「すごく綺麗だけど、何かアクセントが欲しいかな。そうだ、雷鳥とかどう?」

「雷鳥?」

「そう。オスの冬毛は真白なんだけれど、目の上に赤いコブみたいなのがついていて、背景の雪山にすごく映えるんだ。こんな感じ」

 スマホ検索したオスの雷鳥の画像を見せると、コアラはほう、とうなずいた。

「いいな。この赤のアクセント。すごくいい。ありがとう、ちょっとこの案を取り入れてみる」

 口角をきゅっとあげたコアラを見て、あ、この顔だと思った。普段は真面目な顔をして、あまり表情を変えないコアラがたまに見せる、この最大限の笑顔が好きだった。あまり見れないレアものだけに、今日はいい仕事をしたなとニマニマしていると、コアラから「人に見せない方がいい、気持ち悪い顔をしているぞ」と言われたので「んだとコアラッ!?」とまた言い合いになった。



 付き合ってはいなかった。

 恋愛ごとに関してはほぼ経験ゼロで、友達から先というものが分からず、もしかしたらこの関係性が壊れてしまうのではという恐れがどこかにあった。

「君らのやっていることさ、大学生じゃなくて高校生なんだよ」

「見てて、もどかしすぎるねん」

「はよ、付き合えや」

 とマッツンから呆れ交じりにガンガン言われていたが、その一歩を超えるきっかけはなかなかつかめずにいた。


 人形劇部の活動の方は順調だった。

 高校で演劇部だったのもあり、人前に出るのは緊張しないし、発声の仕方も知っていたから、すぐに溶け込めた。

 それに園児たちの反応がすごくいい。怖い場面ではシンと静まり返り、ここぞ!というところではワーワーはしゃいで素直に心から笑ってくれるので演じ甲斐があった。

 毎日が楽しく、アサミに誘われて人形劇部に入ってよかった。私はこんな日がずっと続くと思っていた。



「はーい、そうしましたら文化祭の出し物を考える会を始めます。カンパーイ!!」

「カンパーーイ!」

 その日は後輩のアパートに集まって、人形劇部の文化祭の出し物を何にするか話し合う、という名目でタコパが行われた。

 大阪出身の子が持ってきたタコ焼き機でひたすらタコ焼きを焼いて食べる飲み会だったが、最初は海鮮系や明太子だった具材が、途中からマシュマロ、チョコと途中からどんどんカオスになっていった。

「コアラ、買い出し頼むわ」

 食材がつきそうになった頃、マッツンがメンゴのポーズしながら言うと、コアラは立ち上がった。

「了解。ガラ、荷物持ち頼む」

「普通、逆だろ! トリガラと呼ばれる女のこの細腕が見えないのか!」

「いいから、とっとと行ってくぞ」

「うおい! 置いていくな」

 私はコアラの追いかけたが、慌てていたのもあり、ほぼ手ぶらで外に出てきてしまった。

「あ、ごめん。自転車の鍵、置いてきちゃった。とってくる」

「いいよ。後ろに乗れよ。スーパーまでそんなに距離ないし」

 コアラは自転車にまたがり、荷台を指し示した。

 ああ、漫画っぽいシチュエーションだと思った。

 お酒が入っていたのもあり、私はためらわずにコアラの後ろに跨った。

 いつも以上に近いコアラにドキドキして、BUMP OF CHICKENの「車輪の歌」のようでいいなと感じたのは最初だけだった。

 実際にコアラがこぎ始めると、私は悲鳴をあげた。

「ひいいいい、怖い怖い怖い!!」

「うっわ! 左右バランスよく乗っかれよ! 」

「だって初めてなんだよ!! ひいいいいいいい!!」

 自転車二人乗りというのは、案外むずかしい。

 後ろに座る人間は、前の人間と違ってハンドルがないので何もつかむ場所がない。一輪車に乗る感覚が近いが、残念ながら私は一輪車は大の苦手だった。

「背中をつかめ!」

 言われるがままコアラの背中にすがりつくと、とたん、体は安定して怖さはなくなった。コアラの背中はじっとり湿っていた。イヤな匂いではなくて、ほっとする匂いだった。

 より体を安定させるよう、手をコアラの腰に回すと、コアラは一瞬びくりと震わせて硬くなった。ピタリと密着した体は、あったかくて心地よかった。コアラは何も言わなかった。私もずっと体を預けながら黙ってた。何かが胸にまっていて言葉が出てこなかった。

 そのまま私たちは、学生アパート棟をふらふらよろめきながら、ひんやりとした夜風を受けながら走った。


「君たちー! 自転車の二人乗りは禁止だぞー!!!」

 夜の沈黙の世界を騒がしく壊したのは、パトロール中の自転車に乗った警察だった。

「コアラ、急げ! 飲酒運転で捕まるぞ!」

「無茶言うな!」

「あはははは!」

 コアラはペダルを一生懸命こいだが、案の定、警察にはすぐに捕まって、しこたま怒られて、自転車を引きながらスーパーに向かった。買い出しがすんでアパートの前まで帰っても、私はすぐ部屋に戻ろうとしなかった。

 コアラが好きだ。

 始まりはアキバに四人で遊びに行った日で、そこからどんどんコアラのことを知ってもっともっと知りたいと思った。

 今の関係性も悪くないとも思う。でも例え断られても、それ以上の関係性になりたかった。今がそのチャンスだった。

「あの……!」

「待ってくれ」

 私が口を開けると、コアラが声を被せて制止した。勢いで言おうとした声が引っ込むんだ。

「俺から言う。でも、今じゃない。今度、ガラが酔っ払っていない時にする」

「なにそれ」

「だって今言って、忘れられたら困る」

 頭の中が急に鮮明になり、コアラの言葉がスッと体に溶け込んだ。

 すうっと酔いが覚めるとはこういうことか、と思った。

「待ってる」

 


 部屋に戻った私は浮かれていた。

 もしかしたら一方的だったかもしれないこの想いがそうではなかった。

 その事実に私は嬉しくて楽しくて、一度覚めた酔いを取り戻すように飲みまくり、ああ、早く明日が来ないかと目を細めた。




 思い返すのは、いつだってこの日の夜のことだ。

 あの時、お酒を飲んでいなかったら。

 あの時、私の方から言っていたら。

 未来はきっと違っていたと思う。


 でも、そういう選択をしなかった。だからいくら望んでも変わらない。

 もう過ぎたことだから仕方ないと言える日は来るだろうか。


 この傷はまだ癒えていない。

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