絶対不可避 〈後編〉

 そうはいっても、決まりは決まりだ。その後、何事もなかったかのように岩盤浴やサウナで汗を流し、マッサージでリフレッシュしたが、この決まりが覆ることはない。


 霜降そうこう伊代いよは、いつも通り、グレーのパンツスーツを着て、髪はポニーテールにまとめて、九回表の個人事務所――というと聞こえはいいが、マンションの一室――に向かっていた。インターホンを鳴らし、扉を開けてもらって、本人の姿を見つけ次第、撃つ。


 それだけだ。


「鬼ごっこの始まりやね」


 扉の向こう側にいたのは、天平てんぴょう芦花ろか。伊代にウインクすると、部屋に招き入れることはなく、その扉を閉めた。


「芦花!」


 伊代は鍵をかけられる前に室内へと突入する。どこに身を潜めているかわからないので、拳銃を握りしめたまま、警戒して進みつつ、芦花の能力【転送】によって移動した可能性も考える。


「……ちっ」


 携帯電話を取り出して、電話帳を開き、作倉を選んだ。受話器のボタンを押して、呼び出し音が二回鳴ったのちに『逃げられちゃいましたねぇ』という言葉と、半笑いが聞こえてくる。


「芦花の位置を教えてください」

『真上ですよ』


 天井を見た。いない。忍者じゃあるまいし。


「冗談はやめてください」

『その部屋にはいませんが、別の部屋にはいるかもしれません』

「しれません?」

『マンションの別の住人の部屋に移動したようですねぇ。だから、と』


 携帯電話をポケットにしまい、拳銃はホルスターにしまってから九回表が借りている部屋を出る。所持したまま移動して、廊下で一般市民とすれ違えば大問題だ。我が国では拳銃の所持は認められていない。


「まだ上への移動だからマシか」


 芦花の【転送】は芦花がドアノブに手をかけている間だけ、ドア越しに別空間へとつなげる能力だ。上への移動ならまだ階段で上の階に駆け上がり、上の階の住人に扉を開けてもらえばいいだけの話。


 組織に所属している以上、組織の下した命令はだ。これは伊代も、芦花だって変わらない。伊代が湊を倒さねばならないのなら、本来、芦花は妨害してはならない。たとえ知り合いであってもだ。


「……ふぅ」


 普段身体を動かすようにはしていても、息切れはする。縦の移動の次は、横の移動をしなくてはならない。


 芦花はその能力の特性上、必ずその位置情報を通知する発信器を携帯している。これは芦花が正しく組織のメンバーを指定の場所に送り届けたかをチェックするためのものだが、今回においては同行しているであろう湊の追跡に使用されることとなった。


『また移動していますねぇ。どうしましょう?』


 さあ先ほどは503号室であったが、603号室の前に来てのこの言葉だ。


「どうしましょうではないです。どこに行きました?」

『元はといえば、天平さんに話してしまったのが悪いのでは?』

「同期の交友関係まで把握しておりませんで」


 相当イラついているように聞こえた(ように、ではなくイライラはしている)ようで『共犯とはいえ、天平さんは撃たないでくださいよ』と注文が入った。芦花の能力は有用なので、組織としては手放したくない、というのが本音だろう。



「わかっています。で、現在地は」

『三階です』


 三階。上がった階段を今度は降りなければならない。


「もう一人、呼べませんか?」

『ハルくんでいいでしょうか?』

「……日比谷なら他ので」

『いい子ですよ?』


 ただでさえも体力を使わされているのに、電話口では面倒なやり取りをさせられている。伊代はため息をついて「はいはい、そうですね」とやり過ごす。


『ハルくん、がハルくんを頼りにしてくれていますよ』

『ほんとぉー!?』


 やり過ごせなかった。そこにいたようだ。あるいは、作倉が別の端末で呼び出したか。


『手伝ってあげてください。今は707号室にいるようですねぇ』

『もっちろん! 伊代さぁん、いますぐ行っちゃうねぇ!』


 日比谷忠治ただはるの、違うか、日比谷忠弘ただひろの能力は【分裂】だ。忠治は分裂体の一人であり、分裂体は、まあ、わかりやすく言えば幽霊のようなものだから、通常の人間よりも素早く移動ができる。物理的な障壁を度外視して直線的に動けるのが強みだ。


 今回のような上下の移動も、壁を突き抜けて移動ができる。


「バァッ!」


 すなわち、伊代よりも『鬼ごっこ』には向いていて、作倉の指示通りに707号室に先回りした。芦花と湊の二人組の前へと突如現れて、驚かせる。


「これで伊代さんに褒められちゃったりなでられちゃったりしちゃうねぇ!」

「どけ!」

「どかなぁーい」


 忠治も芦花の能力を知っているので、ドアノブに手をかけないようにブロッキングしている。伊代が到着するまでの時間稼ぎだ。触られたら、今度はどこに逃げられるかわかったもんじゃない。


「あゆはあんたのこと嫌いなんやからな」

「あゆってだーれぇ? 知らない知らぁない」

「あんたなんか好きにならんっちゅーことだけ覚えとけばええねんな。教えてもらえないぐらいには、あゆから『どーでもいい』って思われとんの」


 忠治には真意が伝わらなかっただろうが、おわかりだろうか。


 そうこうしているうちに、伊代は三階から七階への移動をした。住民ではないが、階段ではなくエレベーターを使用している。来客といえば来客なので問題なかろう。


「させませんよ!」


 忠治が扉を開けた。

 伊代が湊の姿を見つけ、ホルスターから拳銃を抜く。


キュー、遠くへ行くで」


 隙をついて、芦花はドアノブに右手をかけた。

 左手で湊の手を引いて、ここから遠く離れた北の大地へと移動する。


 銃弾は、。彼の頭に命中するまで飛んでいくだろう。これが伊代の能力【必中】だ。相手が【転送】で逃げ出そうとも、どこまでもついていく。


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