香春文
人の人生が一編の映画にたとえるのなら、その人の人生に予兆もなく現れて、その
床に貼られたバミリ(※舞台やステージ上において演者が立つ位置を指定するテープ)が、さも当然のようにど真ん中にある。
だから、こいつの話をするのは嫌なんだ。これは彼女の物語であり、
「霜降先生!」
「こら」
「あっ……」
諌められて、焦って周りを見る。特に知り合いの顔は見当たらず、胸をなでおろした。
「外では伊代、ッスね」
校内で先に声をかけたのは伊代のほうだ。伊代が芦花直伝の実力行使に出るまでもなく、難なく今度の土曜に出かける約束をした。その『今度の土曜』が今日にあたる。
「ええ、ああ」
苗字にさん付けあたりから始めるのが適切な距離感じゃなかろうか。こういうのは、段階を踏んで、一歩ずつ歩み寄っていくものであるはずだ。急に三段ぐらい飛ばして近づいて来られるとしどろもどろになってしまう。
この日までに何パターンかシミュレートしてきたシチュエーションと違う。
「ま、まあ、いいわ」
作倉が伊代を隆文に仕向けた理由として一つ考えられるのは、伊代の【必中】であれば『必ず【狼男】の息の根を止める』ことができるからだろうが、そうであるのなら親しくさせる必要はない。悪手だ。やりにくくなるだけだ。
「で、どこに行くんッスか?」
どうせ一ヶ月で辞めるとはいえ、その一ヶ月の間はなるべく穏便にやり過ごしておきたい。なので、伊代は高校の近くではなく、その高校の最寄駅からは離れたターミナル駅の改札で待ち合わせとした。土曜の昼下がりとあれば程よく賑わっている。
「どこにしましょう」
服はいつものグレーのパンツスーツではなく、白いフリルワンピースを着ている。髪型もお決まりのポニーテールではなくおさげに変えて、カモフラージュとして度の入っていない丸メガネをかけた。鏡にうつる自分の姿を見て、伊代自身が違和感を覚えたほどだ。彼女ならこういう格好もするだろうか。年齢を鑑みると若干の子どもっぽさはあるかもしれない。拳銃はハート型のポシェットに収納されている。
「この辺か。オレ、行ってみたい店があるんッスけど」
誘ってきたのは伊代であり、伊代は前日までルートを練っていたにもかかわらず、判断を委ねてしまう。緻密な計画が吹っ飛んでしまったのだ。そんなものなど始めから考えられていなかったかのように、抹消された。
隆文と目を合わせてからだ。
「では、そこでっ!?」
「?」
「あ、いあ、……おかしくないです」
手を引かれそうになって、一旦引っ込めて、自ら差し出す。今回の任務は『恋仲になること』だ。手ぐらいつなげなくてどうする。
「可愛いッスね」
「かわ!」
「からかうなって?」
「いいや、その、ありがとうございます?」
概ね好調に進んでいる。伊代の計画通りではないが、導かれる結果が同じであれば問題はない。――本当にそうか?
「行ってみたい、って、この辺に住んでいたことが?」
「ちょっとだけ。昔っから引っ越しが多くて、地元って言えるような地元がないんッスよね」
「引っ越しですか」
「親父が転勤族で。あっちこっちの小学校や中学校に。高校に上がってからッスかね、落ち着いたの」
親父が、か。真の理由がそうではないことを、伊代は知っている。知っているからこそ、近づいている。隆文本人は知らないことだ。知らなくてもいい。
全国各地で毎月『ケモノに噛みちぎられた女性の死体』が見つかっていた。その場所と、その当時隆文が住んでいたとされる地域が一致する。その【狼男】の能力者は、他者を魅了しその人生を狂わせるだけではない。時に終わらせることもあった。
ここ三年で落ち着いたのにも理由はある。
こちらの理由は、伊代は知らない。
組織とは真っ向から対立している、組織としては潰さなくてはならない、亡くなった
なんせ【狼男】は能力者であって人間の域を超えている(便宜上能力者の枠組みに押し込んでいるだけだ)から、自然治癒力が人間よりも高い。腕を切っても断面から新しい腕が生える。足を潰そうとも再生する。病気にもかからない。そんな【狼男】の力を医学転用し、不死身の薬を作ろうと企んでいるらしい。無理な話だ。
「この店はあれッス。男一人だと入りにくいから……」
「そういうものかしら」
「そういうものッス」
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