明日の正義 〈後編〉
中学一年生の肩を借りて歩く二十九歳女性。幸か不幸か、平日ど真ん中の水曜日の昼前とあって、園内を歩き回っている人の数は少ない。どちらかというと幸か。遊園地に午前中から来るような連中は、アトラクションに夢中である。閉園までアトラクションに乗り放題なのだから、開演からめいっぱい乗ってやろうという魂胆だ。明日もその考えだったのだが。
「全く、無理すんなよな」
呆れを通り越して、哀れに思っている人の口調。
「……面目ない」
おぼつかない足取りからベンチに座らされ、両手で顔を覆った伊代のようやく発することができた言葉だ。少年、
「おばさんさあ、総平とはどーいう関係?」
十三歳からすると二十九歳は『おばさん』だろうが、できることなら『おねえさん』ぐらいにしておいてあげてほしい。訂正するほどの元気がない現在の伊代は「組織の先輩と後輩」と当たり障りのない答えを返した。吐き気はどうにか、なんとか。
「ふーん?」
他にもある。あるのだが、これは彼女の話だ。
「彼氏彼女じゃねえのか」
「……そう見えます?」
「ぜんぜん!」
即答された。続けて「総平、女の子には
「総平はいい奴だよ。いい奴だから、幸せになってほしいな」
明日の瞳はどこか遠くを見つめている。ジェットコースターではなく、空でもなく、ここではない、どこか――どこか、はるか遠い場所を。
「
「オレの?」
「組織はあなたを保護していますが、能力者ではないあなたを保護すべきは別の機関です。もしくは、あなたを親元に帰らせないといけない」
「帰れるものなら帰りてえよ」
なんだか含みのある言い回しに聞こえる。突破口を見つけた。
「オレはどーしても帰らなきゃいけないし、総平は帰らせようとしてる」
「では、親とケンカして家を出てきた、というわけではないのね」
「仲はよかったよ。父上は、」
言いかけて、明日は何故か周囲を見回した。血相を変えて、伊代の右手を掴むと「今度はあれに乗ろっかなー!」と、観覧車を指さす。
伊代はここで「どうしたの?」とは聞かない。キョロキョロと警戒するそぶりも見せない。明日に合わせて「そうね」と立ち上がり、移動を始める。理由を聞くのは後でいい。
小走りして、観覧車に乗り込む。
係員が扉を閉めて、地上からゆっくりと離れていく。
「――父上はクライデ大陸の現在の
二人きりの空間になって、明日は伊代とは視線を合わせず、外の景色を見ながら語り始めた。最初の一文だけでも質問したい箇所がいくつも出てきたが、伊代は「続けて」と催促する。
「母上は第一夫人だけど、元々は『こちらの世界』の人だもんで、オレは小さい頃から『こちらの世界』の話を聞かされていた。ずっと『こちらの世界』には憧れてたよ。ま、実際来てみたらやべーやつばっかりで、母上に騙されたような気分になったなあ」
嘘をついているようには見えない。しかし、本当のことのようにも思えない。何らかの創作物に影響を受けて、口から出まかせにフィクションを語っている――と言ったら、怒られてしまいそうなほどに真剣だ。
「オレはクライデ大陸への帰還方法を考えている。教えてもらってねえからさ。こっちで試行錯誤して『自分で答えを見つけろ』っていうのが修行なんだろうよ。帰ったらオレは
「なるほど?」
帰らなきゃいけない、と明日は言っていた。
帰れば、地位が手に入る。
「どうすりゃ帰れんのかのヒントをなーんももらってないから、オレは『こちらの世界』に着いてから善行を積もうとした。悪いやつらをぶちのめせばいいんだろってな」
「やりすぎです」
「
各地で暴れた結果として組織にたどり着いたのだから、正解とは言い難いが間違いだったとも言い切れない。
「どうして風車さんの家に?」
「メシを探してたらオレよりもちっこいやつに案内されたんだよ。クリスって言ってたかな」
「ああ……クリスさん」
「ナイショにしてくれ、って言ってたから総平には言うなよ」
伊代にも言わないでほしいんだが。
……まあ、いいか。伊代は口が固いから、言うなよと言われたことを報告することはない。言ったところで総平が明日を追い出すようなこともないだろう。
「観覧車に乗る前に、言いかけてやめたのは?」
「クライデ大陸の掟として『こちらの世界』の住民にクライデ大陸の話をしてはならないから。バレたら家が取り潰される。……オレん家の場合はどーなんだろなあ。父上が退位させられんのかな」
「へえ?」
それから寂しそうな顔をして「だから、オレがさっきまでしていた話は大ウソだって思ってくれていい。クライデ大陸なんてこの惑星には存在していないし、オレはドラゴンと人間のハーフでもなければ〝修練の繭〟にも入っていない。いたって普通の、どこにでもいるような男子中学生」とまとめた。
「面白い話だったわ。本が書けそうね」
「本?」
「ドラゴンのいる異世界なんて、ファンタジーなら鉄板じゃないかしら」
明日は視線を宙に泳がせてから「総平に相談してみる」と答える。異世界人の書いたファンタジー、売り方によってはウケそうだ。
「総平で思い出した。メシ食って来いって金渡されてんだけど、どこ行くかここから見て決めようぜ」
観覧車は半周して、最高地点に到達している。人は豆粒ほどの大きさだ。昼食にはまだ早いが、決めておくのは悪くない。
「何系が食べたいの?」
「身体に悪そうな食べ物」
「ざっくりしているわね?」
「平日は給食だし、総平は『今のうちから気を付けておかないと』ってんでお菓子と炭酸は禁止だし」
十三歳の中学生にお菓子と炭酸飲料を禁止は酷じゃなかろうか。ハンバーガーを食べさせたらあとからいちゃもんをつけられそうだ。
何系、と聞いたのはいいが、伊代もこの辺の店に詳しいわけではない。食事は栄養バランスを考えてその手の健康食品を摂取し、任務で帰りが遅くなってしまった場合以外は規則正しく二十一時には就寝する。
「あれ、どうだろう? 並んでるしうめえんじゃね?」
「……中華料理屋?」
赤いのれんに黄色い『昇竜軒』の文字。店の前に背広姿の男性たちが並んでいるようだ。明日はiPhoneをポケットから取り出して店名で調べている。この子もiPhoneを使っているのか。総平に買い与えられたものだろう。
「なんか、テレビで紹介された店っぽい。行ってみたい」
「行ってみたいなら、そこにしましょうかね」
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