BORN TO BE WILD

明日の正義 〈前編〉

 風車かざぐるま総平そうへいからの頼み事で、伊代は神崎かんざき明日みらいという十三歳の少年と共に都内の遊園地のジェットコースターの待機列に並んでいた。ポニーテールにグレーのパンツスーツの女性と、黒のベストに赤いネクタイとスラックス姿の少年。引率の先生と生徒のように見える。あながち間違いでもないか。


 総平は、風車宗治そうじの長男にあたる。組織の創設時からのメンバーだが、普段は丸の内のオフィスには出勤してこない。都内某所にある風車邸――風車宗治が購入した一軒家――を拠点として、作倉から呼び出されたり、メンバーに依頼したりするときだけ現れる。


「なんでもいいから、明日くんからを引き出してほしい。ちょっとしたことでいいから」


 一週間ほど前。アトラクション乗り放題券二枚を握りしめ、総平は伊代を拝み倒した。その様子を見て、後輩の秋月あきづき千夏ちなつは伊代の席に近寄って「うわ、七光り! 帰れ帰れー!」と総平を追い払おうとする。七光り。父親の【威光】で組織のメンバーとなった男には、ぐうの音も出ないあだ名だ。


「どうして私に?」

「そうだそうだー! 霜降パイセンは忙しいの!」

「秋月さん、自席に戻りなさい」


 伊代にたしなめられて、総平へ「ベーっ!」とあっかんべーをして戻っていく千夏。千夏が組織に加入した経緯も『作倉からスカウトされた』というものなので、エントリーシートを提出して面接を受ける、といった正規ルートではないのだが。


「美人さんのほうが、話してくれるかなと思って……」


 初対面の頃から千夏には目のかたきにされている総平だ。千夏の耳に届かないよう、声をひそめて意図を告げる。


「神崎明日、ねえ」


 二〇〇九年今年の三月、我が国で報告された『能力者の目撃情報』のうちの半数が、この神崎明日だ。結論から先に書いてしまうと、神崎明日は能力者ではない。が、問題児だった。


 具体例を挙げると「人気店の行列にあとから割り込んで合流してきた女性に背後から殴りかかる」とか「降りる人よりも先に電車に乗ろうとした男性に掴みかかって引きずって下ろす」とか。我が国の法律で明確に定められているわけではなく、人間社会で生きていく上で守らなくてはならないマナーを無視している者を狙って、暴力によって制裁を加えていく。


 保護者を捜索して、やめさせなくてはならない。何度か警察の厄介にもなっているのだが、その度に脱走している。本人に聞いても、連絡先を答えない。


 ――そんなこんなで、組織でもウワサになっていたのが、四月の始まりに風車邸の扉を叩いてきた。


 家主の総平は、父親の親友であり自身の親代わりとしても機能していた作倉卓に相談し、神崎明日の身柄を預かることを決めた。本人の申告では十二歳だというので、近くの公立中学校に新入生として籍を置くことになる。


 氷見野博士が開発した『能力者発見装置』では無反応だ。能力者保護法の適用外にある。本当は児童相談所の案件だが、総平はお人好しだった。明日もまた、総平のもとから離れたがらない。


 かれこれ六ヶ月ほどが経過している。


 風車邸に身を寄せるようになってからの明日は、見違えるほどに落ち着いた。かつてのようには暴れ回らず、中学生活をエンジョイしているらしい。運動会ではリレーのアンカーとして活躍したのだとか。先月に行われた(自己申告の誕生日での)誕生日会では同級生たちを風車邸に招待したとか。


 けれども、。総平はさまざまな手段で聞き出そうとしているが、どれもうまくいかない。自らの良心を犠牲に「喋るまでご飯抜き」と命じたこともあったが、三日目にして「ごめんね明日くん」と総平のほうが折れる結末になった。


智司さとしともうまくやっているから、まあ、ずっとうちにいてくれてもいいっちゃいいんだけども……それにしてもだと思わない? よっぽど言いたくないのかなあ」


 総平の弟、智司。先日会った篠原ささはら幸雄さちおと同じく、引きこもりだ。智司は外出できるので、まだマシといえばマシか。明日に対しては「弟ができたみたいで嬉しいッスね」と高評価だ。


 それだけ風車家の一員として受け入れられているというのに、過去の話はしたがらない。


「わかりました」

「お。……来週の水曜日が、学校の開校記念日でお休みなんだけど、どう?」


 伊代は手帳を開いてスケジュールを確認して、総平の手からチケットを引き抜いた。


「問題ないです」

「現地集合でいいかな?」

「はい。たくさん遊びたいでしょうし、集合は開園時間に合わせましょう」

「わあ、助かる……久しぶりに自分の時間が取れそう」


 総平のセリフが『子育て世代の母親』のように聞こえて、心中を察した。三十二歳男性なのに。


 彼女の親戚は、彼女よりも年上が多い。さらには一人っ子である。自身よりも若い人間と関わることは任務ぐらいなものだ。しかも、今回は『子守り』になる。うまくコミュニケーションは取れるだろうか。伊代よりも適しているメンバーがいそうなものだが。


 日比谷にせよ溶石にせよ、伊代は『自らの身を守る』ためならば同行者をことになっている。今回は違う。神崎明日は能力者ではない。能力者であるならば能力者保護法に則って『人間に危害を加えた』として処分できる。が、一般人への発砲は許されない。


「あれに乗りたい」


 明日の目線の先にはジェットコースターがある。身長制限のある乗り物なので、明日の手を引き、階段を登るよりも先に身長計に並ばせた。一四四センチメートル。


「大丈夫そうね」

「そんなちっこくねぇから」

「行きましょうか」


 かつての伊代ならば「ジェットコースターは遠慮しておくわ」と一人で行かせていただろう。その間、地上で時間を潰していればいい。しかし、今の伊代は違う。


 音楽の力により車酔いを克服している。ジェットコースターにも問題なく乗れるはずだ。


 学生時代の終わり、当時の友人たちとテーマパークへ行った。ジェットコースターに乗った伊代は吐き気に苦しめられ、一人だけ退却を余儀なくされる。今なら――。


「あの、すいませぇん」


 座席に案内されて、安全バーを下ろし、任務用のショルダーバッグからイヤホンを取り出して耳に装着しようとしたところで係員が飛んできた。十数年ぶりに乗るものだから、何か不手際があったか。


「イヤホンはちょっと」

「えっ」


 隣の明日からは「取れたら危ねぇから」と、係員が理由を告げる前に突っ込まれる。万が一、運転中に外れて地上に落下したら。落下地点に通行人がいたとしたら大事故だ。


「これがないと」

普通フツーは付けねえんだわ」

「い、いや、それは」

「何キョドッてんの?」


 一回り以上年下の男の子から小馬鹿にされて、さすがの伊代もムッとした顔になる。ここで降りようものならからかわれそうだ。


「別に?」


 と、次なる一手として余裕ぶってみせた。のだが、ジェットコースター特有の急勾配により、その余裕がどこかへと吹き飛ばされてしまった。おしまいだ。

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