篠原幸雄
この部屋の合鍵は組織が保管しており、有事の際は事前の確認なしの開閉が可能だ。今回は有事というほどではないので、昨日のうちに一報入れ、バーを出た段階で「三十分後に着きます」とメールを送っている。
「お邪魔します」
たった一畳に、パソコンとオフィスチェア、さらに本人が趣味で集めた怪しげなオカルトグッズが所狭しと並べられていた。前回伊代が訪れた時よりもコレクションの数は増えている。通信販売で購入しているらしい。ちなみに、何の仕事もしないメンバーに給料を渡せるほど組織は潤っていないので、幸雄には簡単な事務処理の仕事が回されている。
「ちょっと待っててください」
かろうじて足の踏み場はあり、伊代はそのわずかなスペースに立たされることとなった。立つのがやっとだ。座る場所などない。兄の那由他とよく似た声の弟は「ちょっと待っててください」と言って、キーボードで『またあとで』と打ち込んでいる。床に散らばっているものを片付けて、来客が座れるだけのスペースを作ってくれる――わけではないようだ。
「……メール?」
伊代がモニターを覗き込む。横書きのテキストだ。左上に『現在の入室者(2)ヒロ、スカイ』とある。一行ずつが文章となっていて、メールでのやりとりのように見えるが、宛先や送り主はない。その一行の一番左に『スカイ』と『ヒロ』という名前のようなものが交互に並んでいた。日常会話と思しきセンテンスを挟んで、一番右に本日の日付と時間。
「チャットですよチャット」
画面上では『ヒロ』が『またあとで』と発言し、対して『スカイ』が『じゃあの』と返事をしている。
「この『スカイ』という人は」
「おれのチャッ友です」
「チャッ友……?」
「ネット上の友だち、みたいな?」
幸雄はオフィスチェアを半回転させて、伊代と向き合った。ところどころ皮膚が見えるレベルの傷痕が痛々しい。篠原家の、特に母親――那由他の母でもある陽子さんは、その傷を治そうとしていたらしいのだが、本人は通院を頑なに拒否し続けたという。
『兄のせいだ。兄のせいでこうなったのだから、兄に誠心誠意謝ってもらわないかぎりはこのままでいる』
兄は兄で、先ほど聞いた通りだ。認めるはずもない。現場に居合わせたクラスメイトがいて、目撃情報は出揃っている。それでも、幸雄は『ウソをついている』とのたまうのだ。正解が多数決で決まるのなら、とっくに敗北している。
「この『スカイ』さんと会ったことは?」
伊代の問いかけには、半笑いで「ないよ」と答える。上下ジャージ姿で、髪もヒゲも伸びっぱなし。兄と同じ銀髪だから、染めているのではなく血筋で銀髪なのだろう。
「スカイも引きこもりらしくて。ローグライクゲーム? が好きで、その話をしてくる。話を聞いてたらおれもやりたくなっちゃって、今ハマってるところです。もちろん、仕事もしていますよ」
ローグライクはゲームのジャンルのうちのひとつで、初期状態からのダンジョンのクリアを目的としたものだ。そのダンジョンに入るたびにマップが生成されるので、対応力が試される。トラップだらけの階層があったり、階層を変えた瞬間に敵に囲まれたりと、一筋縄ではいかない。
「ゲーマーの那由他さんが聞いたら喜ぶわね」
弟が同じ趣味に興じている。そこから兄弟の仲が改善することがあるやもしれない。
「そんなわけあるかよ」
「そうかしら」
「あいつがやってんのは『人殺しのゲーム』だって、霜降さんも知ってるっしょ?」
「まあ……」
ゲームに無関心な伊代にしてみればどちらも『ゲーム』だ。ロールプレイングにせよ、シミュレーションにせよ、そこに大きな差異があるようには思えないのだが、ゲーマーにとっては違うものなのだとしたら、口をつぐむしかない。
那由他はファーストパーソンシューターのゲームのプロだ。五人一組でチームを組んで、武器を選び、役割を分担して、相手の五人を先に倒したほうが勝利する。
「あいつとおれは違う! あいつはキレやすくて、すぐに殴ってくる、ヤバいやつなんです! あいつの言うことを信じちゃいけない!」
興奮し始めた。兄を引き合いに出したのはよくなかったか。それでも伊代は「那由他さん、あなたを心配してたわよ」と伝える。
「そんなわけ! あるか!」
顔を真っ赤にして、頭を掻きむしる。兄の想いは、うまく伝わらないようだ。
「あいつは! おれをこんな、……こんな顔にして、平気で、プロゲーマーなんてやってる! あんな、目立つ髪型しちゃってさあ! 霜降さんも見たでしょ? 何あれ! 目立ってなんぼみたいな? 賞金取られちゃって、ざまあねえなあって感じだよ! もっと不幸になってくれ!」
弟も弟なりに兄の現況を追っているようだ。もし、この弟が兄に直接危害を加えるようなことがあれば、能力者保護法により幸雄を処分しなくてはならない。幸雄も重々承知していて、恨み言を吐き捨てるだけなのだろう。
幸雄の能力は【疾走】という。わかりやすく言うと『対象の時間を操作する』能力だ。たとえば植木鉢に種を植えたとして、その植木鉢の時間を周囲よりも早めた場合、その【疾走】を適用した一分後には立派に花を咲かせている。
植木鉢でなく人間を対象にしたら?
――その人の主観では一年が経過していても、実際は一秒しか経っていないという現象を起こせてしまう。
だから、篠原幸雄は保護しなくてはならない。ただでさえも妄想に取り憑かれている人間だ。暴走しないように制御していかなくてはならない。作倉は、利用価値があると判断している。
「あいつ、どうせまた『やってない』って言ってたんでしょう?」
ほら来た。
「おれ、わかったんですよ。証拠があればいいんですよね。あいつがやったっていう」
「クラスメイトたちの証言については?」
「あれは、みんなあいつに脅されてるんですよ! みんながウソをついて、おれを悪者にしようとしてるんです!」
何度聞いたことか。幸雄はそういうスタンスなのだ。教室に監視カメラが設置されていたり、今の世の中のように誰しもが携帯電話を持ち歩いていて――小学生だと厳しいかもしれないが――手軽に映像を残せたりしていれば、幸雄の旗色は悪くなっただろう。
「おれは『アカシックレコード』を手に入れます」
伊代には耳馴染みのない単語が出てきた。古今東西の森羅万象を記した〝正しい歴史〟の本。それがこの世界における『アカシックレコード』だ。
「……なんですか、それ」
「過去と未来、この世界で起きるすべての出来事が書いてあるんですよ! すごくないですか?」
幸雄の好きなオカルトグッズの一種だろう、と伊代は真剣に取り合わない。もしくは、ゲーム内のアイテムだとか。しかし何の反応を返さないのは心象が悪いので「すごいですね」と感情のこもっていない声で返した。手に入れて、どうする。
「それさえあれば、あいつがやったんだってみんなに言えるんです! だから、おれは『アカシックレコード』を手に入れます!」
過去がわかったとして、現在が劇的に変化するわけではない。万が一、幸雄の弁が正しかったとしても、この十数年は戻ってこない。篠原家はもうこのままだ。スタート地点にも帰れない。
「そうね……」
おそらく『過去の視える』左目を持つ作倉は、すでに答えを知っているのだろう。現在、何の手も打っていないというのは、すなわちそういうことだ。――きっと、現状維持が正しい。
【Next→パーフェクト・エディション!】
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