篠原さちお

 芦花と千夏からブーイングを喰らいながらもいつも通りのポニーテールにグレーのパンツスーツ姿へ戻った伊代は、時間の五分前に指定のバーに入店した。遊びに来たのではない。任務としてだ。


「どうも」


 軽く片手を挙げて挨拶してきた男は、その銀髪をドレッドヘアにしている。先に入店してバーカウンターに腰掛けていたが、伊代の姿を見て席を立つ。


 篠原ささはら那由他なゆた


 パリッとしたスーツを着て、誰でも知っているようなブランドの腕時計を巻いていても、どうしても髪型に目がいってしまう。この外見は事前に調査済みだ。那由他はとあるeスポーツチームに加入していプロゲーマーで、調べればすぐにインタビュー記事が見つかる。チームのオーナーに騙されて、賞金を全て持っていかれた話が。


「弟がお世話になってます」

「本日はお忙しい中、お時間とっていただきありがとうございます」


 伊代が頭を下げると、那由他は「いいえ! 弟のことですから!」と恐縮する。この時点で、なんだかおかしい。眉をひそめる。その弟、幸雄の言い分と食い違っているのだ。


「個室があるので、そちらでお話ししましょう」


 那由他はバーテンダーに目配せしてから、伊代を店の奥へといざなう。何やら仕掛けがある――わけでもなさそうなので「了解しました」とついていく。変に疑いすぎるのもよくない。


「何か、飲まれます?」


 こういう場所で『飲む』となると酒を勧められているのか。伊代は那由他の表情を窺いながら「お茶をいただけますか?」と注文した。芦花や千夏は勝手に盛り上がっていたのだが、今回の任務に恋愛感情の類いは関わってこない。たまたま、那由他がバーを面会場所として設定してきただけだ。十八歳のあきらが晴海のカフェを選んだように、二十五歳の那由他が六本木のバーを選んだ。ただそれだけの話。


 単独行動だから怪しまれるのだろうか、と考えながら、伊代はおしぼりで手を拭いた。


 溶石を連れてきてもよかったのだが、那由他は能力者ではない。能力者なのは、那由他の弟の幸雄だ。一般人と会うのに、こちらが二人一組である必要性はないだろう。あきらは『神切隊』の隊長として好意的に接してくれていたからよかったものの、もしものことがあったらと思うと肌が泡立つ。


 那由他と伊代とが、三人座れるぐらいの間隔をあけてソファーに座った。カラオケボックスのような空間だ。本来ならば、恋人同士が身を寄せ合って座るのだろう。


 先ほどのバーテンダーが二人分のお茶を持ってくる。ご丁寧にもテーブルの上にコースターが置かれて、氷のたっぷり入った緑茶が用意された。


「……弟が、オレを悪者扱いしているのは知っています」


 扉が閉まってから、那由他は話を切り出した。


「自分がケガをしたのは『兄のせい』だって言っているんでしょう?」


 幸雄の顔には傷がついている。例の地母神は先天的なものだったのだが、こちらは後天的なものだ。その傷を原因にして、滅多なことでは外を出歩かない引きこもり生活を送っている。通行人に指をさされて嘲笑されるのが嫌で嫌で仕方ないのだという、その気持ちを考慮して、組織は必要最低限の生活を支援していた。食料やら、衣料品やらを毎週送り届けている。


 組織としては、幸雄には戦力となってほしい。が、本人が頑なに家を出ないから、幸雄は〝秘密兵器〟となっている。幸雄の【疾走】は『どうにもならないときの最終手段』だ。


「はい。ですが、当時の話を関係者に聞きますと、がありまして」


 伊代の答えに、那由他は「そうでしょうとも」と大きくうなずいた。


「アイツ、虚言癖なんですよ! 昔っから!」


 虚言癖。――能力者には多いのだが、幸雄は病状としてかなり重い。その場しのぎの嘘を平気で並べて、指摘すれば怒り狂う。どうして嘘をついてしまうのかといえば、やはり『身を守る』ためなのだろうが、繰り返していけばこのように信頼を失う。家族からも。


「オレたちがどんだけ苦労したか……! もううんざりなんだよ!」


 伊代が弟の幸雄から聞いた話によれば、兄の那由他からは毎日のように暴力を振るわれていたらしい。


 兄はゲーマー。ここは合っている。ゲームでうまくいかないことがあるとすぐに自室に連れ込まれて、憂さ晴らしとして殴る蹴るをされていた。これは、……合っているとも間違っているともいえない。現場に居合わせたわけでもなければ、ここで本人に指摘したところで否定されるのがオチだ。


 兄のほうが体格がいいから、抵抗しても引きずり込まれていた。確かに、ゲーマーというと『暗い部屋で猫背になってモニターを見つめている』姿から、不健康さをイメージしてしまうが、那由他はさながらラグビーの選手のようなガッチリとした体型をしている。


「私は、立場上、幸雄さんの味方ではありますが、皆さんのお話を聞いていると、どうも『違う』と思っていますよ。味方だからこそ皆さんのお話を聞いているとも言えますか」


 幸雄が。小学校の話だ。犯行は教室で起きていて、クラスメイトが目撃している。なのに、幸雄は一学年上の那由他の犯行なのだと決めつけている。兄のせいで自分の人生が滅茶苦茶になったのだ、と。


 目撃しているだけで、映像としては残ってはいないものの、クラスメイトたちは異口同音にこう証言している。だ、と。


「弟のせいで、すいません」


 那由他が頭を下げる番だ。幸雄は『自分を不幸にした原因』として、家族とは一切関わらないようにしている。先ほど那由他は『もううんざり』と言っていた。距離を取るのがお互いのためだ。


「……あんなこと言っちゃいましたけど、これでも弟のことは心配しているんです。アイツ、元気でやってます?」

「このあと、報告がてら会いに行ってきます。そのあとでメールしますね」


 伊代の返答を受けて、那由他は安堵の表情を見せた。直接は会えないにしろ、弟の安否は気になるものらしい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る