Perfect Solution!

一九八〇年十月二十三日


 秋月あきづき千夏ちなつは呼びかける。伊代の座席まで来て、伊代に向かってだ。組織で『作倉さん』と呼ばれるのは最高責任者の作倉卓だけであるから、伊代はこの呼びかけには応じない。他に作倉という名字のメンバーはいないのだ。


霜降そうこうパイセン」

「はい、なんでしょう」


 こちらには返事をして、モニターから目線を外して千夏と目を合わせる。先ほどは無反応だった。呼びかけられる前と、呼びかけられた直後とで、ピクリとも動かない。眉すら動かさなかった。


「署までご同行を願うの」


 千夏は伊代の二の腕を掴んだ。急に掴まれたものだから、動転して「はい?」と確認のトーンで声を出す。署というと警察署のことだろうが、身に覚えはない。


「わたしが『能力者保護法』で卒論を書いたのはご存知で?」

「ええ、まあ……秋月さんから何度も聞いていますが」

風車かざぐるま宗治そうじに関する新たな情報が手に入ったの。霜降パイセンにも見てほしいし、一緒に来てほしいの」


 風車宗治。組織の正式名称にも名前を残している、我が国の元首相。二〇〇〇年十二月二十六日に、自宅(※現在、風車総平らが住んでいる風車邸を指す)の風呂場で足を滑らせ、後頭部を打って死亡した男。


 所属している組織の正式名称の一部、というだけで、霜降伊代には関わりのない存在だ。


「何故私を?」


 疑問に対して、間髪を入れずに「気にならないの?」と信じられないものを見るような目をして言われてしまった。能力者保護法は、いわば風車宗治の稿のようなものだ。その命を以て、能力者という存在をこの世に知らしめた。


 余談だが、風車宗治の死後は風車派の楠木くすのき家宣いえのぶが首相となった。ただし、風車宗治ほどの支持率を集められるはずもなく(風車宗治には【威光】があったからこそ、高い支持率を維持できていた。なので、一概に並べてはならないのだが)就任から一年過ぎた辺りで『神影みかげという宗教団体から献金を受けていた』ことが明るみになり、退任させられている。神影は風車宗治を〝唯一神〟として崇めており、その【威光】の恩恵にあずかる代わりに人間的な生活を支えていた団体だ。既出の人物で言うと六道ろくどう海陸かいりのご両親が信者である。


「私は、別に」

「またまたぁ!」

「……何故私を?」

さん、だから?」


 伊代の顔から表情が消えた。音もなく。この変化を見逃す千夏ではない。


「霜降パイセンは霜降パイセンとしてわたしはリスペクトしてるの! だから、七光りとは呼ばないケド?」


 総平との相違点を告げて、伊代を安心させようとする。組織の最高責任者と同じ名字ではも多いだろう。千夏のように不名誉なあだ名を付ける者もいれば、昇進のために取り入ろうとする輩もいる。こんな組織で上を目指して何になるというのだろうか。……ともかく、任意の偽名を名乗るのは賢いやり方だ。


「誰から聞いたのかしら」

「天平パイセン!」

「ああ」


 この「ああ」は納得の「ああ」だ。あるいは諦めの「ああ」だ。天平てんぴょう芦花ろかと千夏の接点を作ってのは伊代だ。この間の更衣室でのファッションショーから、千夏は芦花と親しくなった。芦花は芦花で世話焼きなほうだから組織の『期待の新人』を豪語する千夏は危なっかしくてカワイイ後輩だろうよ。


「ここでは霜降伊代でいさせて」


 黒髪をポニーテールにまとめて、グレーのパンツスーツを着用し、ショルダーホルスターで拳銃グロックを携帯している二十九歳女性の霜降伊代。を、彼女は、――作倉あゆは。そうしておいたほうが、万事において都合がいいからだ。日比谷忠治が執着しているのは霜降伊代だが、霜降伊代という人間は存在していないともいえる。霜降伊代を名乗っている作倉あゆがいるだけで、霜降伊代の存在を公的に証明するものは何もない。ここにいて、ここにはいない。組織にしか存在し得ない存在。


 千夏にこの意図が過不足なく伝わるかはわからない。わからなくてもいい。


「霜降パイセンのほうが言い慣れてるんで、霜降パイセンがそんな感じなら、今後も霜降パイセンって呼ばせていただくの!」

「そうして」


 話が脱線しているが、千夏が持ちかけてきたのは風車宗治の新情報だ。作倉卓のの作倉あゆから見た風車宗治は、我が国の首相という他に『父親の親友』となる。作倉と宗治の関係性は秘書と首相という仕事上のものでは収まりきらず、この二人の間には――特に作倉から宗治に対してはに近しいものがあった。これは娘視点からも明らかなものであって、この感情が親子関係をこじれさせた原因の一つでもある。


 作倉の能力は【予見】で、副次的に『未来を確定させる』力がある。宗治の能力【威光】と噛み合うと、相乗効果が生まれてしまう。宗治が思い描いたその未来を【予見】で強固に定着させるのだ。アカシックレコードは上書きされ、実際に起こった出来事こそが現実になる。


「資料があるんだケド、たーちゃんが『持ち出し厳禁です』って言うから、署まで行かなくちゃならないの」

「職権濫用では?」

「わたしの飽くなき探究心を満たすタメなら仕方ないの」

「巻き込んでいるんですね」

「とにかくゴーゴー!」





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