THE LOVEBITE

作倉卓

 平日十五時の回転寿司屋に、六十代後半ぐらいと思しき男性と三十手前の女性の二人組で入る。お昼時には遅めで夕食にはまだ早い時間帯の店内は、そこそこ賑わっていた。


 男性は色の濃いサングラスをかけているのが特徴的だ。深緑色のジャケットに、ボタンダウンのシャツと黒いネクタイを巻いて、チノパンと比較的ラフな格好をしている。この男が組織のトップ、作倉さくらすぐるである。女性とは付かず離れずの距離間を保ちながら、入店時に発券されたレシートへ印字された席番号と、テーブル席の番号を確認して、腰掛けた。


 女性のほうはグレーのパンツスーツに高めのポニーテール――霜降そうこう伊代いよだ。以前作倉には『寿司を食べに行きましょう』と誘われていたのだが、まさか回転寿司屋だとは思っていなかったので、待ち合わせの約束を危うく反故ほごにするところだった。


 作倉からは住所しか教えてもらっていない。真面目な伊代は十五分前には到着している。店の前で『風車宗治首相の元秘書の男がこのような庶民的な店をチョイスするかどうか』を検討した。高くて美味い寿司なら、その人生の中でいくらでも食べてきているだろうに。また、作倉の性格からして『偽の住所を渡してきた』可能性が否定しきれない。後輩の秋月あきづき千夏ちなつからは(どこでウワサを聞きつけたのか)出発前に「いいなあー! 上司の奢りで寿司、行きたいの!」と囃し立てられてしまったのもある。


 結果、指定されていた待ち合わせ場所を離れ、辺り一帯に他に寿司屋がないかを探し始めてしまった。先に待ち合わせ場所へ着いていたはずの伊代が『五分遅れて来た』という形でこの会合は始まる。


「タッチパネルで注文するんですねぇ」


 総ての席に設置されているお湯の出る蛇口の写真を携帯電話で撮ってから、作倉は興味深そうにレーンの上のタッチパネルを眺め、さらに視線を上に動かして「そうそう。このガチャガチャが気になっていたんですよ」と笑いかける。


「五枚食べると一回まわせるのでしょう?」

「はい」

「わたしは五枚も食べられませんからねぇ。お好きなネタを好きなだけ食べてください」


 どうやら伊代の胃袋がアテにされているようだ。伊代も来年で三十路とあって、そこまで胃の容量に自信があるわけではない。量で考えれば千夏を連れて行ったほうがよっぽど食べられただろうに。


「はあ……」


 ため息をついてから、一食分が浮くだけマシか、と気を取り直した伊代はタッチパネルに触れて、まずは『大トロ』を頼むこととした。せめてもの抵抗だ。


 一等地の高級寿司屋であろうとファミリーレストランの一種のような回転寿司屋であろうとも、魚には貴賎はない。値段は、人間が身勝手な基準で決めたものにすぎない。鮮度がどうのと屁理屈をこねる人間もいるが、寿司は寿司でも腐らせて作るようなものだってある。


 とはいえ、とはいえだ。


「まさひとくんが亡くなったんですよ」


 赤身の『マグロ』と『えんがわ』をポチポチと押していく。続いて『はまち』も。作倉は上下を逆さまにされて置かれている湯呑みを二個取って、それぞれにお茶の粉を入れた。


氷見野ひみの博士ですか?」


 伊代の記憶が正しければ、作倉が『まさひとくん』と呼ぶのは、この世で唯一、能力者を研究している神佑大学の教授の氷見野ひみの雅人まさひと博士のことだ。作倉とは高校の同級生で、学部こそ違えど大学入学後も交流があったと聞いている。生まれつき声を発することができず、自身が開発した人工知能の〝知恵の実〟を介して会話する。しかし、その障がい以外に大きな病気を患っていた、という話は聞いていない。


「まさひとくんの研究室って、神佑大学の別館にあるのは覚えているでしょう?」


 作倉が蛇口からお湯を注ぐ。伊代には、その熱々のお茶が、N県冬馬地区の『地母神運営事務局』で出されたものと重なって見えた。


「……いいえ」


 は氷見野博士と交流を持っていたが、伊代にとっての氷見野博士は『能力者研究の第一人者』だ。その研究室の敷居を跨いだことは、ない。頼んだ『大トロ』がレーンに乗ってやってくる。


「その別館が。八月の二十五日にね」


 八月二十五日というと、忠治とN県冬馬地区へ向かったあの日の前日に当たる。はて、毎朝の日課としてニュースはくまなくチェックしているのだが、そのような大事件の知らせはあっただろうか。覚えているのは『misties⭐︎の全国ライブツアー』だけ。


「知りませんでした」

「知らないでしょうねぇ」

「能力者による犯罪は、報道されないんですよ」


 それは知っている。能力者保護法により、能力者の個人情報が保護されているからだ。能力とは『自らの身を守る』力であり、防衛機制の一種ともしたのは、他の誰でもない、氷見野博士だ。斯様な不可抗力によって、能力者のその先の人生を闇に落とすわけにはいかない。


「容疑者の六道ろくどう海陸かいりまで犠牲になっているとなると、まあ」

「その人が、氷見野博士を?」


 まだ一皿目にも手をつけていないのに『マグロ』と『えんがわ』と『はまち』の三皿が到着する。


「当時他に人はいなかったようですし、あの建物はれんが造りですから、放火の線も考えにくいでしょうしねぇ。不審な人影を見た、という目撃情報もありません」


 作倉の能力は【予見】だ。サングラスをかけているのは、その瞳の色を隠すため。左目が『過去を視る』赤色で、右目は『未来を視る』青色である。両目で現在を視ている。


 壮年の男性がオッドアイで暮らしていれば、我が国では道ゆく人々から奇異の目で見られてしまう。我が国は、そういう国だ。これは自衛のひとつとしてかけている。


「ご自慢のその目で見た『未来』で、事が起きる前に氷見野博士に警告なさればよかったのでは」


 伊代は決して嫌味のつもりで言ったのではない。作倉の【予見】を知っているからこそ、思ったままの言葉を発している。作倉と氷見野博士との関係性も、それとなく把握しているつもりだ。


「あなたの【必中】が『必ずターゲットに命中させる』ように、わたしの【予見】だと『一度視た未来は』のですよ」

「たとえば『この日火事が起こるから、神佑大学の別館には近づくな』と言っても?」

「そうです。……そうですねぇ、カギを忘れたとか、燃えたら困ってしまうような重要なデータを置きっぱなしとか」


 都合のいい未来ならば指折り数えて待ちたくなる。不都合な未来ならば避けたいものだ。だが、その【予見】で未来を視た段階で因果が確定してしまう。さて、便利なのだか不便なのだか。


 伊代は理解を放棄して、寿司にしょうゆを垂らす。


「その、六道海陸は、氷見野博士とはどのような関係で?」


 氷見野博士は天涯孤独の身だ。元アイドルの母親譲りのルックスで、研究者らしく白衣を着こなし、アンダーリムのメガネをかけていた。――その容姿と〝神佑大学教授〟の肩書きにより、ファンは多かったのだが、恋仲になるほど親しい女性はいなかった。


「それ、気になります?」

「私は氷見野博士と特別親しかったわけではないのですが、氷見野博士が能力者に殺されるような人だったとは思えなくて」

「わたしもそう思いますよ。まさひとくんはわざわざ人の恨みを買うような人ではありませんでしたねぇ」


 氷見野博士が能力者の研究を始めたのは、身近なところに能力者がいたからだ。作倉も該当するが、もう一人――二〇〇〇年十二月二十六日に自宅の風呂場で足を滑らせて死亡した元総理大臣の風車宗治は氷見野博士の幼馴染だった。


 氷見野博士は、風車宗治の【威光】を治そうとしていた。風車宗治が彼自身の能力に苦しめられているのを、知っていたからだ。


 研究は間に合わず、風車宗治は亡くなってしまって、九年経った。自らが救おうとした能力者に、自分が殺されるなんて、夢にも思っていなかっただろう。


「……寿司、食べていいですか?」


 作倉はまともに取り合ってくれなさそうなので、はしを割ってみる。六道海陸については、おいおい調べればいい。


「ああ。すっかり話し込んでしまいましたねぇ。失礼しました。どうぞ?」


 どうせ『失礼しました』だなんて一ミリも思っていないようなトーンで促した。


「いただきます」


 友人の死を部下に伝え終えて、作倉はお茶を一口すする。伊代は律儀にも注文した順番に、寿司を口に運んでいく。皿の上に鎮座していた寿司が胃に収められた。


「冬馬地区の上空であなた方が見かけた青白い生き物に関しては、調査を進めています。他に、おかしなものは見ませんでしたか?」


 追加の注文として『塩だれあかえび』と『ねぎまぐろ』を押してから、伊代は「白い犬を見ました」と切り替えられた話題に応じる。


「馬といい犬といい、あなた方は動物園にデートしに行ってきたんですか?」


 嫌味っぽく返された。空を飛ぶ青白い馬ならいざ知らず、白い犬はさほど珍しくもない。おかしなものとして挙げるには弱い。


「その犬が、香春かわら隆文たかふみに似ていたもので」


 その人名を挙げれば、作倉が面白くない顔をすると、伊代は知っている。知っていて、敢えて『白い犬』と答えた。


「彼が今、どこにいるかは


 伊代が問い詰めると、作倉はその面白くなさそうな顔を微笑みに変えて「そのうちまた会えますよ」と言った。

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