三人を乗せたタクシーは、晴海埠頭で停車する。イヤホンを外して、タクシー代を支払い、領収書を受け取った伊代の顔色はすこぶる良好だ。ここまで快適なドライブは、伊代の人生では初めての経験だった。海風が心地よい。


「これが、音楽の力……!」


 伊代とは正反対に、あきらはげんなりとした面持ちでタクシーを降りた。和気藹々あいあいの交流時間となるはずが、一方はイヤホンで耳を塞いでいて、もう一方は会話不能。思い描いたものとはかけ離れていて、心が折れてしまった。ツアーのガイド役のように「会場はこちらになります……」と右手を挙げて先導する。


「はい。」


 溶石は、時折、周囲を見渡して警戒しながら進んでいく。先頭が『神切隊』の隊長のあきら、続いて無表情の溶石、最後尾に音楽の力で万全の状態の伊代、といったパーティーだ。


「ん」


 気落ちしていてもいられない。五分後、戦闘力は高いが一切の会話がないパーティーの先頭が立ち止まった。東京湾を一望できるテラスのような場所に到着する。決戦の地にふさわしく、太陽はまぶしい。


 あきらは髪の毛の根本の部分をつまみ上げて、プチッと一本抜き取る。その一本を両手で挟んで拝むと、えいやっと投げた。一メートルほどの長さのその髪の毛は、地面と垂直に突き立つ。


「あれは〝避雷針〟だと思ってください」


 その髪の毛を指さして〝避雷針〟なのだと言う。あきらの髪の毛には妖力が含まれており、髪の毛の長さによって妖術の継続時間が決まる。そのため、あきらは髪の毛を切らずに長髪を保っていた。さらには『神切隊』の隊長は髪の毛を染めてはならない決まりもある。おしゃれを取るか、自らに課せられた責務を取るかでは後者を選ぶのがこのあきらという男だ。


「もしくは、ルアーみたいなもんですね。怪異は良質の妖力におびき寄せられるんで」

「なるほど」

「なので、術が切れる前に」


 倒し切ってくださいお願いしますよ、と言い切るより先に、空の果てから青白いウマが駆け寄ってきた。伊代は二度目になるが、一度目は遠く飛び去っていく姿を見ただけなので、どんどんと全体像が明らかになっていくにつれて「でかいわね……?」と後退りしてしまう。


「地母神が威張り散らしている間、力を蓄えていたんでしょう」


 想定以上の大きさに、もう一本髪の毛を引き抜こうとするあきら。この髪の毛がなくなった時は、あきらが『神切隊』の隊長を退く時だ。あきらの祖父は髪の毛がなくなって引退している。


「迷惑です。」

「あっ、ちょっと!」


 何がなんでも手早く戦いを終わらせたい溶石は、あきらの制止を振り切って冬馬を真正面から迎え打つ。能力【溶解】で溶けてしまうのを見越して、上着を脱いだ。


「きゃっ!」


 あきらは顔を両手で覆ったが、溶石は上裸にはなっていない。脱ぐことを見越して中にタンクトップを着ている。


「なんだあ」

「……。」

「気にせず、どうぞ」

「はい。」


 地上に降り立った冬馬は、体長五メートルほどはある。ヒヒーン、といななくと、後ろ足でバランスを取って、前足を大きく持ち上げ、振り落とした。


「おわっ!?」


 地面が揺れる。あきらが立てた〝避雷針〟はその一箇所に攻撃を集中させるためのものだが、この全体攻撃は吸収してくれない。


「マジかよ」

「……迷惑です。」


 溶石は体勢を立て直すと、能力のリミッターを解除する。体格差は問題にはならない。むしろ、相手が大きければ大きいほどのだから、小さくてちょこまかと動く敵よりも戦いやすい。かもしれない。


 どこでもいい。

 その右手で触れられさえすれば、勝敗は決する。


「ズンズン行っちゃってますけど、止めなくていいんですか?」

「これが平常運転なので」

「危ないんじゃ?」


 冬馬はもう一度前足を持ち上げて、今度は溶石を踏み潰さんと狙いすまして下ろしてくる。


「言わんこっちゃない!」


 あきらが助けに入る前に、溶石は。じゅわりと、その場にはあまり似つかわしくない音がして、その


「ヒィイいいいい!?」


 バランスを崩した冬馬が右に倒れると、すかさず第二撃として腹の部分に触れる。触れていくごとにじゅわりと音を立てて、冬馬の肉体が溶かされていく。


「……この任務って、討伐でよかったのよね?」

「たぶん?」


 小一時間前には、眉根一つ動かさずにホットケーキをナイフで切り分けて、ひとかけらずつを黙々と口に運んでいた青年が、巨大な怪異に単身立ち向かっている。


「討伐でなければ、溶石くんが選ばれることもないでしょうけども」


 獲物を跡形もなく倒すことにおいて優秀な能力だ。捕獲の任務であれば、作倉の人選が悪い。――そういうことにしようか。


「これは、氷雪を呼んでおいたほうがよさそうね」


 伊代は携帯電話を取り出して、妹を呼び出すことにする。家に戻れば氷雪が冷やしてくれるのだが、それは家に戻れればの話だ。


 これだけ連続で【溶解】を使えば、右腕ではない部分に熱エネルギーが残り、溶石の肉体を内側から破壊してしまう。自力で歩けなくなる可能性だってある。諸刃の剣だ。現に、医師からはという診断を受けている。


「霜降さんも、こんなことできちゃうんですか?」

「こんなことって?」

「こんな大型の怪異を一人で倒すなんて……俺いらなくないですか。今回」

「いらなくないわよ。今回は私たちだけでは冬馬の場所を探しきれなかったもの」

「そうっすか……」

「むしろ私がいらなくないでしょうか」

「い、いや、俺と常磐さんだけだったら会話成り立たないんで、今後とも霜降さんに来ていただきたいです」

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