常磐溶

 ホットケーキが好きな男の子がいた。いた。いたのだ。今も生きてはいるだろうが、どこにいるかはわからない。確かにいたのだ。あの日々が幻だったとは言いたくない。なんだかおぼろげで、記憶の中で都合よく作り上げた存在であって、実在しないんじゃないかと不安になることが、あるのだ。


 あの頃は、毎日一緒にいたのに。ある時を境に、ぷつりと切れてしまった。切れてしまったその切れ端を大事に握っている。再び結べるその日まで、大事に握っている。


「霜降さんの分も頼みますか?」

「……いいえ。結構です。朝食は済ませてきましたので」


 物欲しそうな目をしていた伊代を気遣うあきら。伊代はホットケーキを食べたいのではなくて、ただ、別の未来につながっていてほしかった過去を思い出して瞬間的にトリップしていただけだ。


「ください。」


 我関せずと仏頂面をしていた溶石が、口を開いた。あきらはその目をぱちくりとしてから「あ、はい、常磐さんのぶんね。すいませーん、ホットケーキもう一皿ー!」と注文する。


「なんだあ。常磐さん、ずぅっと怖い顔しているから怒っているのかと。腹減ってたんですね」

「はい。」

「ホットケーキ以外にも、このチーズとハムの挟まったホットサンドとか、パスタとかグラタンとかも結構いけるっすよ。甘いものがよければ、自家製プリンのアラモードがばりうま」


 あきらはテーブルの横に避けてあったメニュー表を開くと、ペラペラとめくって見せてくる。どれも美味しそうな写真が並んでいた。


「冬馬を、」

「?」

「冬馬を倒します。」


 今回は『神切隊』と協力しN県冬馬地区から飛び去った青白いウマを捕捉して、倒さなくてはならない。これが伊代と溶石に課せられた任務だ。


「どこにいますか?」


 溶石はせっかちだ。伊代に連れ出されてここまで来るのにも、渋っていた。晴海のカフェに青白いウマがいるはずもないからだ。


「どこって?」

「探しに行きます。」


 立ち上がって店を出ようとするので、伊代は「溶石くん」と腕を掴んで座らせた。右腕に触れるのは危険だが、左腕ならばやけどしない。


「せめてホットケーキを食べてからにしなさい」

「……はい。」


 諭されても納得いかないような顔をしている。溶石は、用がないのなら早く帰りたいタイプだ。右腕を冷まさないといけない、という物理的な理由もあるが。この会合が冬馬の現在地に行くものではないと判明した段階で、回れ右をして帰りたかったぐらいだ。それでもホットケーキを頼んだのは、やはりおなかが空いていたからだろう。腹が減ってはなんとやらだ。


 組織内で伊代の評価が高いのは、その【必中】の能力により的確にターゲットのみを撃ち落とすからだが、溶石に関してはその迅速な仕事ぶりが評価されていた。手早く終わらせなければ命に関わるのだから当然といえば当然だが。


「しっかし、冬馬地区の話、聞きました?」


 あきらは溶石の機嫌が直ったとみて、世間話を始めた。ホットケーキは注文を受けてから一枚ずつ焼くために時間がかかる。


「俺も、ぶっちゃけその、地母神にはいい気はしてなかったんですよ。でも、って」

「そうなんですか?」

「やっぱり『地母神運営事務局』っていう、村の外から来た奴らにでかい顔されっぱなしってのが、よくなかったんじゃないですかね」


 村人たちが地母神を頂点とした運営に嫌気がさして、農具を持って『地母神運営事務局』に押し入り、制圧するも、当代にして最後の地母神であった【天地】の能力者のさまの逆鱗に触れて村全体が冠水した。波さまは相打ちのような形で撃破される。その昔、初代によって討たれた青白いウマこと〝冬馬〟が蘇り、新天地を求めて旅立った。自らを讃える新たな人間を捜して、東の空へ飛んだ。


 ――と、されているようだ。表向きには。


「なるほど」


 あきらの話を一通り聞いてから、伊代は伊代の知っている真実を黒い液体と共に飲み込んだ。能力者による犯罪行為は報道されない。報道されはしないが死者は出ているので、こうして尾びれ背びれがついて、歪んでいく。


「元は守り神であっても、居場所を失って飛び回っているようでは怪異と大して変わりませんからね。どんな災厄を起こすかわかったもんじゃないですから、ここは俺たち『神切隊』の出番ですよ」

「目星はついているんですか」

「もちのろんです」


 頼もしい限りだ。


 組織は対人間のパターンが多い。他の動物に能力のようなものが発現した例は、まだ確認されていない。今後も確認されないだろう。能力者を研究していた氷見野博士はもうこの世にいないからだ。


 能力者を能力者と特定するための装置――氷見野博士の開発した『能力者発見装置』の有効範囲は狭い。組織が保有している台数は五台と少ない。氷見野博士が亡くなったので、台数が増えることも、この装置自体がより高性能になることもないだろう。故障したらおしまいだ。


 能力者は見た目にはわからない。先述の『能力者発見装置』で能力者特有の生体電位を検出しなくてはならないので、情報を得てから現場に出向くほかない。だいたいハズレだ。


 新たな能力者を発見するため、組織では情報提供を広く呼びかけているが、これもどうにもうまくいっていない。組織の最高責任者であるところの作倉が直接スカウトしにいくこともある。その結果が秋月あきづき千夏ちなつだ。あてにならない。


 対して『神切隊』のような古くからある組織には、独自の情報網が構築されている。ましてや青白くて空を駆け回るようなウマの目撃情報だ。いとも容易く集まってきただろう。


「食べたら行きましょう。」


 追加注文ぶんのホットケーキがテーブルに届けられた。

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