日比谷忠治

 目に見えてわかりやすい圧倒的な暴力拳銃で相手を捉えた時に、導かれる結果は確定している。その結果とは、遅かれ早かれ、対象物の命を奪うものだ。殺意はどこまでも、相手を追いかけ続ける。ありとあらゆる物理法則を無視してでも襲いかける。


 伊代の能力は【必中】である。ターゲットにのだ。幾許か残されていた人間らしい良心からか、へのかすかな愛情ゆえの行動か、はたまた、この村では波こそが最も奪われてはならない命だからか、芽衣が己が身で波を庇おうとしたとて、確定してしまった未来は変更不可能になる。


 霧は目眩めくらましとなり【必中】の発動を妨害する。伊代の【必中】は


 伊代は聴覚を研ぎ澄ませて、標的の現在地を特定しようと試みていた。


 忠治が他の分裂体と会話できていたのは、あくまで『魂が共通である自分自身だから』だ。この『地母神運営事務局』へと足を踏み入れてからこの祭祀場にたどり着くまでに芽衣が伊代になんらかの細工が施されていたとすれば話は変わってくるが、伊代は出されたお茶にも手をつけていない。敵方が用意した履物に履き替えてしまったならいざ知らず、土足のまま上がり込んでいる。任務において最も大事なのは、警戒を怠らないことだ。すべてを疑ってかからねばならない。親切心からくる行動と見誤って、自らの首を絞めるようでは、命がいくつあっても足りない。


 したがって、双方ともに『相手の場所が特定できない』という状況は同じだ。波の【天地】は天候を操る能力であるからして、効果は見込めない。芽衣が巫女服の下に刀を隠し持っていたとしても、この状況では闇雲に切りかからねばならず、当たらなければどうということはないのだ。


 伊代は空気の動きを読み解く。霧があるぶん、却って特定しやすいともいえる。丸腰な芽衣は地母神波さまを守るべく、拳銃という脅威から遠ざけようとするに違いない。この空間から安全な場所へと逃げ出すために扉を開ければ、充満している霧もまた抜け出していく。


 凝った装飾の扉が芽衣の手で開かれて、伊代は振り向いた。霧の切れ間から、わずかながらも、ホッケーマスクが見える。


「さよなら」


 この〝わずか〟があれば事足りる。


 伊代は引き金を引いた。この時、能力が発動していれば彼女の両目が青く輝く。その輝きは宝玉にも似て、整った容貌と相まってとても美しいのだが、その美しさに本人は気付いていない。


 発射された銃弾というものは真っ直ぐには飛ばない。摩擦係数がかかる。距離減衰もある。万有引力は高速で移動する物体にも適用される。そこに【必中】で補正がかかった。銃弾は後頭部の、ホッケーマスクを固定していたゴムバンドを砕いて体内へと侵入する。


「ひぁああああああああああああああああああ!?」


 霧が晴れる。床に広がっていく赤黒い血は、N県冬馬の地に御坐おわします地母神とやらが『神』などという大それた存在ではなく、一人の人間であることの証左だ。バケモノは血を流さない。


「なんてことを……!」


 ひとしきり甲高い悲鳴を上げたのち、芽衣は開けかけた扉から走り去る。悲鳴を聞きつけた他の巫女服が何事かと持ち場を離れて廊下へ出てきていた。


「波さまが! 波さまがあっ!」


 その一方で、伊代は一人から四人に増えていた日比谷たちを見て「秋月あきづきが『日比谷先輩を一人見つけたら四人いると思え』って言っていたのを思い出すわ」と苦笑いした。


「それってぇ、俺たちゴキ」

「ハルくん、ストップ」


 秋月あきづき千夏ちなつは、二〇〇九年今年の四月に新卒として入ってきただ。神佑大学法学部卒業という学歴を有しながらも、組織のトップであるところの作倉に勧誘されて二つ返事で加入している、自称・。期待のエースではあるが、その「期待のエース」という言葉をいたく気に入って任務のたびに相方へ自慢している。能力は【相殺】だ。


「呼ばれたから来てやったのによお。なんでえ。大将首、討ち取ったり。じゃねえか」


 忠勝がどっかりと腰を下ろした。せっかく喜怒哀楽エモーショナルに――この決め台詞は、忠勝が考案した。日比谷の分裂体は、それぞれが喜怒哀楽の感情を司っている。この【分裂】という能力は、日比谷忠弘(現在、本体とされている者)が『自らの境遇を悲観して、』ものだ。その際、本体からは感情が喜怒哀楽の順序に剥がれ落ちている――戦わんとしていたのだが。


「伊代さぁんが見えなくなっちゃったから、さみしくなっちゃって」


 普段通りの振る舞いが忠治の心のざわめきを鎮めた。四人いれば心細くはないのだ。楽しさとは、とりわけ、他者を求めるものだから。


「帰っていーい?」


 忠義は趣味の昆虫採集に戻りたいらしく、小首を傾げて忠治に訊ねる。忠治が答えようとしたタイミングで「逃すな!」と血気盛んな者どもがクワやカマなどの農具を携えてなだれ込んできた。地母神のお世話役をしていた巫女服ではなく、地母神の内情を知ろうともせずに崇めていた冬馬の村民たちだ。


「忠義、

「そう? ぼくの好きな虫さんと違うなあ?」

「例えってやつだよ例え!」


 錦色の着物は血を吸って錆色に変わってしまった。

 ホッケーマスクは外れてしまい、素顔が晒されている。


「うわあ!?」

「なんだこれ……」

「これが、地母神さま……?」


 先陣を切った者たちはその真の姿に慄いているが、集団の後ろの連中には足元が見えるわけもなく「気にするな! すすめ!」という声に「そうだそうだ!」「よそものを許すな!」と同調する声が重なって、押し出されるようにして前へ進む。死骸は蹴り飛ばされ、壁へと転がっていった。


「僕らが相手をするので、ハルくんは霜降さんを連れてうまいこと逃げてください!」

「おっけーノブくん! そのつもり!」

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