日比谷忠治
伊代の能力は【必中】である。ターゲットに必ず命中させるのだ。幾許か残されていた人間らしい良心からか、
霧は
伊代は聴覚を研ぎ澄ませて、標的の現在地を特定しようと試みていた。
忠治が他の分裂体と会話できていたのは、あくまで『魂が共通である自分自身だから』だ。この『地母神運営事務局』へと足を踏み入れてからこの祭祀場にたどり着くまでに芽衣が伊代になんらかの細工が施されていたとすれば話は変わってくるが、伊代は出されたお茶にも手をつけていない。敵方が用意した履物に履き替えてしまったならいざ知らず、土足のまま上がり込んでいる。任務において最も大事なのは、警戒を怠らないことだ。すべてを疑ってかからねばならない。親切心からくる行動と見誤って、自らの首を絞めるようでは、命がいくつあっても足りない。
したがって、双方ともに『相手の場所が特定できない』という状況は同じだ。波の【天地】は天候を操る能力であるからして、効果は見込めない。芽衣が巫女服の下に刀を隠し持っていたとしても、この状況では闇雲に切りかからねばならず、当たらなければどうということはないのだ。
伊代は空気の動きを読み解く。霧があるぶん、却って特定しやすいともいえる。丸腰な芽衣は
凝った装飾の扉が芽衣の手で開かれて、伊代は振り向いた。霧の切れ間から、わずかながらも、ホッケーマスクが見える。
「さよなら」
この〝わずか〟があれば事足りる。
伊代は引き金を引いた。この時、能力が発動していれば彼女の両目が青く輝く。その輝きは宝玉にも似て、整った容貌と相まってとても美しいのだが、その美しさに本人は気付いていない。
発射された銃弾というものは真っ直ぐには飛ばない。摩擦係数がかかる。距離減衰もある。万有引力は高速で移動する物体にも適用される。そこに【必中】で補正がかかった。銃弾は後頭部の、ホッケーマスクを固定していたゴムバンドを砕いて体内へと侵入する。大脳の内側で方向を変えて直角に進行し内臓を破壊し尽くした。
「ひぁああああああああああああああああああ!?」
霧が晴れる。床に広がっていく赤黒い血は、N県冬馬の地に
「なんてことを……!」
ひとしきり甲高い悲鳴を上げたのち、芽衣は開けかけた扉から走り去る。悲鳴を聞きつけた他の巫女服が何事かと持ち場を離れて廊下へ出てきていた。
「波さまが! 波さまがあっ!」
その一方で、伊代は一人から四人に増えていた日比谷たちを見て「
「それってぇ、俺たちゴキ」
「ハルくん、ストップ」
「呼ばれたから来てやったのによお。なんでえ。大将首、討ち取ったり。じゃねえか」
忠勝がどっかりと腰を下ろした。せっかく
「伊代さぁんが見えなくなっちゃったから、さみしくなっちゃって」
普段通りの振る舞いが忠治の心のざわめきを鎮めた。四人いれば心細くはないのだ。楽しさとは、とりわけ、他者を求めるものだから。
「帰っていーい?」
忠義は趣味の昆虫採集に戻りたいらしく、小首を傾げて忠治に訊ねる。忠治が答えようとしたタイミングで「逃すな!」と血気盛んな者どもがクワやカマなどの農具を携えてなだれ込んできた。地母神のお世話役をしていた巫女服ではなく、地母神の内情を知ろうともせずに崇めていた冬馬の村民たちだ。
「忠義、虫どもが来てくれたぞ」
「そう? ぼくの好きな虫さんと違うなあ?」
「例えってやつだよ例え!」
錦色の着物は血を吸って錆色に変わってしまった。
ホッケーマスクは外れてしまい、素顔が晒されている。
「うわあ!?」
「なんだこれ……」
「これが、地母神さま……?」
先陣を切った者たちはその真の姿に慄いているが、集団の後ろの連中には足元が見えるわけもなく「気にするな! すすめ!」という声に「そうだそうだ!」「よそものを許すな!」と同調する声が重なって、押し出されるようにして前へ進む。死骸は蹴り飛ばされ、壁へと転がっていった。
「僕らが相手をするので、ハルくんは霜降さんを連れてうまいこと逃げてください!」
「おっけーノブくん! そのつもり!」
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