日比谷忠はる

 茅葺き屋根の『地母神運営事務局』の内部を、芽衣が先導して移動する。何人かの巫女服とすれ違った。そのどれもに名札がつけられている。こうなると、つけていないのが客だと一瞬で見分けがつくだろう。巫女服を着てここまで来るような人間はまずいないのだが。


 芽衣は「さま、東京からお越しになられた日比谷忠治さんと、霜降伊代さんです」と中にいる地母神へ呼びかけながら、凝った装飾の施された扉を開けた。玄関から応接間に通されて、さらに奥へと移動してきている。ここまでに男性の姿は見られなかった。


 扉を開き切った先には祭壇があった。

 そこに何者か――いや、人間かも怪しいような、人のカタチをした物体が座らされている。


 頭部にホッケーマスクが装着されているが、体型からして『女の子』だろう。地神なので、伊代と同世代か上の年齢の、妙齢の女性を想定していた二人は、その容姿に面食らって、顔を見合わせた。ポジティブな表現でなら華奢、ネガティブな表現ならば貧相。地母神なる字面のイメージから浮かび上がってくる豊満だとか豊穣だとかいう二文字とは正反対だ。決して豊かとはいえない。


 枯れ木のような体型へ、錦色の着物が。着ている、とは言いがたい。伊代は右手に握ったままだったボールペンと、左手のメモ帳をショルダーバッグに戻す。両手をフリーな状態にしておきたかった。任意のタイミングで拳銃が抜けるようにだ。


「そのお顔を見せてくれちゃったりはしなぁい?」


 隠したいのだからわざわざマスクを被っているのだろう。伊代は忠治の頭を叩いた。不躾なお願いではなかろうか。


「ほほほ……いいでしょう。波さま、仮面を外しましょう」


 案外、要求が通ってしまった。忠治は殴られ損――というわけでもない。痛みはなく、伊代に頭を触れられたぐらいの認識だ。


 地母神のウワサを聞きつけてN県冬馬地区を訪れ、その地母神こと波さまをする大多数の人間が、彼女のホッケーマスクを訝しがるのだろう。やはり、外見だけでは『地母神』の要素のカケラも感じられない。パブリックイメージとのズレがある。


「御意」


 波さまは小さくうなずくと、そのホッケーマスクを骨ばった手で外した。そこに、。そのパーツひとつひとつがひどく歪んでいて、腫れぼったく、お世辞にも――美しいとはいえない。伊代は、せめて何か、……どちらかといえば『褒め』に類する言葉を発しようとして、考えを巡らせる。その顔を見たがったはずの忠治は、ストレートに「うわ」とこぼした。


 波さまは悲しげな表情となって、ホッケーマスクを被りなおす。被ってしまえば、見えなくなる。見えなくなれば、そこにはホッケーマスクが被せられた人間の頭部があるだけだ。中身がどんな状態であるかは、外さなければわからない。付けていれば、何も知らぬ人間に怯えられることも、怖がられることもない。


 来客ふたりの目線は波さまに向けられていたので、ふたりとも芽衣の表情の変化には気づきやしなかったが、彼女は邪悪な笑みを浮かべていた。外から興味本位でやってきた人間を地母神に会わせるたびにこのやりとりは発生して、誰しもが地母神の素顔を見ては顔をしかめるのだ。今回も変わらない。


 神はこの村から出てはいけない。

 出ていけないのだと、思い込ませる。


 地母神はみにくい。環境がそうさせてしまった。人為的に能力者を作るべくして、初代の地母神――冬馬、いや、討魔の地を拓いたであるの子と子で掛け合わせて、血を濃くして、生まれた子どもたちの中で、とする。これがだ。人間という生命は、近親と近親とを結びつけると体質が弱く出てしまう。ロクでもない連中が能力者に目をつけ、常識と生命倫理を踏みにじって『不思議な力』だけを求める。この『地母神運営事務局』は一例でしかない。彼らにとってみれば、能力者は自らと同じ種族ではないのだ。人間とはみなしていない。


 ゆえに、伊代はショルダーホルスターから拳銃を引き抜いた。総ての原因を断つために、波さまと呼ばれている一人の少女に銃口を向ける。


 少女だ。少女なのだ。どれだけこの村で地母神と崇められようとも、彼女は一人の女の子として認められるべきだ。しかし、人間としての生存権を保障しかねるのであれば、。中心となっている地母神の血が途絶えれば、この地の悪しき風習はおしまいだ。


「な!?」


 我が国では民間人の所持を認めていない代物を上着の内側から取り出されて、芽衣は驚きの声を上げる。伊代の構えているグロッグは波の視界にも収まっていた。そして自らに照準が合っていることにも気付いただろう。波は左手を挙げて「霧」と言った。


 その言葉を合図として、広間には。急激に視界が奪われていく。足元の赤いじゅうたんですらモヤがかかって、前後不覚になりそうだ。伊代は拳銃を構えたまま、深呼吸をする。天候を操る能力者であれば、このぐらいの芸当は朝飯前か。事前情報で知り得ていた技を繰り出されたところで、どうということはない。


「伊代さぁん! どこぉ!?」


 伊代の隣に立っていたはずの忠治の姿も見えなくなる。忠治からも伊代が見えなくなり、混乱しているようだ。


 忠治は『N県冬馬地区の場所』と『推奨される移動手段は車』と『霜降伊代との任務』の三点しか聞かされていないので、波の能力が【天地】とは知らない。伊代が特別に落ち着いている、のもあるが、持っている情報量の違いはある。


「んもぉ。見えなくなっちゃったら伊代さぁんが戦いにくかったりしちゃうじゃあん。俺がなんとかしちゃおっかな!」


 なんとかする。忠治もしくは日比谷の〝なんとかする〟は具体的には『他の分裂体を呼び出す』を指す。一人で伊代さんを捜すよりは四人で捜したほうが効率はいい。


「ここにも虫さんっているぅ?」


 忠治が指をパチンと鳴らすと、忠義ただよしが召喚された。右手には虫取り網。趣味の虫取りの最中だったらしい。


「いるいる。超たくさん」

「ちょうちょさんがたくさん!」

「そうそう!」

「ちょうちょさん、たくさん、とる!」


 ぶんぶんと虫取り網を振り回す忠義。霧の中にはちょうちょさんはいないが、この屋敷の外に出ればその辺を飛び回ってはいるだろう。


「……なんですか、もう……直したばかりなのに……」


 この場所に移動させられてすぐにメガネがくもってしまい、レンズをメガネ拭きでぬぐいながらぶつくさと悪態をついているのは忠信ただのぶ。メガネに度は入っていないが、水滴が付着しているのを放ってはおけない。フレームが劣化したら、修理費はまたかかってしまう。お気に入りの一本を大事にするタイプだ。


「イェーイ、ノブくぅん!」

「伊代さんとふたりきりにしてもらえたから、僕らの出る幕はないんじゃなかったでしたっけ?」

「あっれれぇ、そぉんなこと言っちゃったっけぇ?」

「言ってましたよ」

「覚えてなかったり忘れてたりしちゃうなぁ」


 そんなふたりの真ん中に、オールバックに髪の毛を固めた男が割り込んだ。腕をふたりの肩に回してガシッと掴むと「四人揃ったんだし、決めポーズでもしておくか!」と言い放った。この霧の中で戦隊モノのような名乗りをしたところで誰の目に留まるわけでもないのだが。


「正義はただ、勝つのみだ。――ならば、喜怒哀楽エモーショナルに、決めるぜ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る