ベランジェール・サーガ

水晶柘榴

一章 王都奪還編

プロローグ 本庄里穂

(……さて、どこに行こうかな)


 五月晴れとでも言うべきか、水色の空は高く澄んでいる。朝の空気は心地よい。一方で、首筋に毛先がふれるたびに、その鬱陶しさが夏の空気を感じさせた。まだ暑くはないけれど、そのうち青みの増した空を眺め、暑さに汗を流す日々が訪れるのだろう。

 一限目が休講となってしまい、私は今、時間を持て余している。切り詰めるような課題もなく、急に予定を作り出すほど器用でもない。加えて予習に勤しむほどに、切羽詰まった成績でもないので、こういう時は本当に退屈だ。今日に限って文庫本も忘れてしまった。

 途方に暮れていると、ピコピコと音がしたので、大学の合格祝いに買い替えてもらった、最新機種のスマホからメッセージアプリをタップして開く。まだスマホに合わせたしっくりくるケースが見つかっていないので、見た目は非常にシンプルで、むき身の状態だ。いつ本体に傷が入るのかと気が気じゃない。


【りほー!

休講だったの!そっちは??

暇なら会いたいなっ】


 メッセージに既読を付けると、すぐに彼女の大好きなマスコットキャラクターのスタンプが送られてくる。既読が付くのを待っていたのだろうか。脳裏に浮かぶ親友の愛らしさに、思わず頬が緩む。“りほ”とは私のことだ。

 本条ほんじょう里穂りほ。大学一年生で、古典や民俗学を研究したくてこの大学に入った。源氏物語では富士山が活火山として描かれているとか、卑弥呼の名前に“卑しい”という字が入っているのは、当て字のメモが原因だとか、そんなちょっとしたことでも調べれば楽しい。掘り下げればもっと楽しい。そんな日本史から重ねの色目に興味を持ち、色や建物、西洋の歴史にドレスや染め物と方々に派生してしまい、今ではすっかり雑学王だ。T大のクイズ研究部に勝てるかもしれない。

 なんにでも興味を持った甲斐あって、知識はあっても友達は少ない。メッセージを送ってくれた貴重な友人の名前は、最上もがみ紗奈さな。私みたいな背高のっぽでもなく、小柄でぱっちりとした二重と、フサフサのまつ毛の、可愛い、可愛い女の子だ。私は可愛い友人には基本的に甘いので、用事がない時に彼女の誘いを断ることはまずない。

 顔がいい。性格がいい。名前が可愛い。存在が可愛い。


【休講になったからあえるよ】

【どこにいる?】


 ……紗奈のメッセージに対してややそっけない気がする。けれどこれがいつものやり取りだ。

 何件かメッセージを送り合い、結局大学近くの文具店に買い物に行くことになった。紗奈がシャーペンの芯を切らしてしまったらしい。それならば私も補充したいと思い、文具店で落ち合うこととなったのだ。

 シャーペンの芯くらいなら大学構内のコンビニにも売っている。けれど私の好きなメーカーの物はなく、私の好きな濃さの物もない。子供の頃から濃い鉛筆を使っていたからか、HB特有の、何となくザラザラとした書き味が苦手なのだ。コンビニ自体も、近くに文具店があるからか、文具の品ぞろえが極端に少ない。そんなわけでうちの大学では、お茶するカフェ、お菓子や弁当を買うコンビニ、文具を買う文具屋と用途が分けられている。


「りほっ!」


 後ろから突然腕を組まれても、この声が添えられれば、驚きよりも嬉しさが勝る。門を出ようとしたところで出会ってしまったので、結局大学構内で合流することができた。紗奈も構内にいたようだ。


「おはよう紗奈。今日も元気じゃん」

「うん! 一限から休講でりほと遊べるもん」


 紗奈が笑って首を傾げ、それに合わせて肩につかないくらいのショートボブの髪がふわりと揺れる。この前ハニーブラウンに染めたという髪色は、明るくてかわいい紗奈によく似合っている。小柄な彼女が、私の顔を見上げる時の丸い瞳が、ウサギかリスみたいで本当に可愛い。


「じゃ、とっととシャー芯買って、カフェ行こっか。紗奈は何飲むの?」

「あたしはキャラメルカプチーノ! りほは?」


 門を抜けたところで、信号が赤だったので立ち止まる。まだ文具店で何も買っていないのに、もうカフェの話だ。女同士で話せば、こんなのはよくあることで、コロコロと変わる話が楽しい。きっと紗奈が話し上手なのだろう。


「今日はどうしよっかな……。なんかバニラ系の気分かも」


 紗奈はキャラメルのような甘いものが好きだけれど、私はとくに好物といったものがないので、いつもメニューを見てから適当に注文している。その適当な注文でも、紗奈との時間が楽しめるのだから、何の問題もない。


「一口ちょーだいね。そう言えばこの前のレポート、教授が褒めてたよ。また話聞きたいんだって。ミナも興味あったみたい」


 ミナというのは、紗奈の友達で、私も知っている。悪い子ではないし、一緒に行動することもあるけれど、ライバル視されているのか、課題に取り組んでいる時は頑なに交流しない子だ。


「へえ」


 紗奈に笑い返し、それから横断歩道を渡って、文具店に入った。この文具店は大学近く故か品揃えがよく、もともと文具品が好きなものだから、つい長居してしまう。紗奈はかわいいペンのコーナーを一通り見て、それからHBのシャーペンの芯と、8Bの鉛筆を購入している。また何か絵を描くのだろう。

 私もいつも使っているメーカーからBの芯を取ってレジへ向かった。レジ近くにはワゴンが置かれていて、ボールチェーンの付いた、マスコットが積まれている。ただの動物のマスコットだけど、紗奈はもう夢中だ。可愛いがいっぱい。


「かわいいね」

「うん。ほら、イヌっ! りほみたいな子いたよ~」


 ……さて。私はこんなに可愛いワンコじゃないつもりだけど。発想の全部が全部可愛い紗奈なら、もしかしたら私もワンコの範疇なんだろうか。気持ちはドーベルマンなんだけど、紗奈に言わせると形無しだ。紗奈がワンコのマスコットを手に取ったように、私はウサギのマスコットを手に取った。……紗奈ならウサギだよね。

「わぁ、かわいい!」

「紗奈そっくりじゃん。私これ買う」

 レジに向かうと、紗奈もパタパタ小走りで近づいてきて、私の腕に巻きつく。それから「あたしも買う」と言って笑いあった。

 ちょっと想定よりもお金を使ってしまったけれど、カフェ代に響くほどではない。紗奈の会計を待つ間にワゴンの中を覗き込むと、色々な動物のマスコットが無造作に積まれていて、その全部がかわいらしい見た目をしている。……ワニまで可愛いのはいかがなものか。


「りほー、終わったよ~」


 紗奈も会計を終えたので、私たちは並んで歩きだした。



 店を出た所で、視界の端に何かが見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る