第5話 改稿版 告白

「おはよう、昨日は楽しかったね」


 隣に座った弥生は、昨日とは似ても似つかないような表情でこちらに微笑みかけてくる。その笑顔は、ここまでに見たどの笑顔よりも綺麗だったけれども、そのどれよりも作り物みたいだった。楽しかったなんて簡単な表現では済ませなかった。


「え、二人は昨日。放課後に遊んでたの?」


 ちょうど二つ前の席に座っていた女子とそのグループが聞きつけて、こちらへと歩いてくる。その目には、好奇心しか宿っていない。


 そろそろ恋愛に対しての憧れを持ち、恋に恋するような年頃だ。なにか男女間で怪しいことがあれば、すぐに嗅ぎつけて腹を探ろうとする。


 しかし、僕と弥生の関係は単純な恋人関係よりも、昨日からはよっぽど危ういものになっていた。誰にも知られるわけにはいかない秘密があった。


「ええ、どっちから誘ったの? ねえねえ、藤原さんは若山君のどこが好きなの?」


 二人ででかけていれば、こういう想像が働く。しかも、興奮しているのか声はかなり大きくなってだんだんとその波が教室中へと広がっていった。もちろん、弥生も僕もそれに答えることはできないし、適当な返事で嘘を塗り固めても意味がない。


 できることなら、そういう関係ではないと説明できるような言葉をひたすら探していたけれども、そんなものは幼いの僕の辞書には存在しなかった。しかし、こういうところで頼りになるのはやはりコミュニケーションに優れた結衣だった。


「どういうこと? 昨日は冬也と藤原さんと私の三人で遊びに行ったんだよ。ね?」


 前の席で教科書やノートを準備していた結衣が、ふと振り返って弥生の手を取る。そして、弥生としっかり視線を合わせて頷くように指示した。


「う、うんそうだね。楽しかったね」


「へえ、そうなんだ。二人でデートしたわけじゃないんだ」


 そうなると、教室中がこっちに注目していたはずなのに白けてしまった。そして、そのまま各々のしていた会話へと戻っていく。会話を始めた本人である女子グループも、二人で遊びにいっていたわけではないと知るとすぐに席へと戻っていった。


「ありがとう結衣。助かった」


「別にいいよ。その代わり、今日は私が冬也のお家にお邪魔するからね」


「え? ああ、うん」


 結衣なら、母親同士も仲が良いからいつでも家に連れてきていいとは言われている。だから、そのこと自体は別におかしなことでもない。でも、その言い方が少し気になった。先ほどまで握っていたはずの弥生の手を、いささか乱雑に放して、こちらにだけ向かって話している気がする。


「それより冬也、顔色悪いよ。なんかあった?」


「……いいやなんでもないよ。気のせいだと思う」


「ふうん」


 そう返事を返して結衣は再び前へと向き直り、準備の続きをはじめた。ただ、僕はそんな結衣の言葉を頭の中で反芻し続けてあまり授業に集中できなかった。その時の僕にはわからなかったけど、今の僕にならそれがわかる。結衣は、このころから。いや、それよりもずっと前から僕の事を好きでいてくれた。ただ、それを僕は一度もきちんと受け止めることはできていない。結衣の好意に甘えたままでいた。


「じゃあね、若山君」


「ああ、また明日」


 放課後、校門の前で弥生と別れると僕たちは二人で家まで帰ることになった。いつもより、結衣との距離が近かった。おそらく、さっきの一件が関係している。そのことに対してなにか謝るべきかと思ったけど、その言葉を上手く切り出せない。


 結局、そのまま黙ったままで帰り道をどんどん進んでいく。傍から見れば今から僕の家に遊びにくるとは考えられないような雰囲気だった。しかし、唐突に結衣は僕の顔を覗き込んできた。


「ねえ、冬也」


「ん? 何?」


 その声音はいつになく真剣で、僕は思わず息をのんだ。


「今日はちょっと寄り道しない?」


 そして、今に至る。僕たちが来たのは近くの公園だった。もっと厳密にいえば僕と結衣がはじめて出会ったあの公園だ。お互いの親同士が仲が良くて、僕と結衣は親同士が買い物帰りに会話している間に、一緒に過ごしていた。


 その時に、結衣はブランコとジャングルジムが大好きな子供だった。今でも、遊具で遊ぶ子供たちの姿を見ているとジャングルジムに登ったり滑り台を滑ったりしている。なんだか子供たちが、昔の自分たちに重なった気がした。


「ねえ、ブランコを押してよ」


 結衣が座って、ランドセルをブランコの周りに敷かれた人口芝に投げ出す。僕は、その背中をゆっくりと押した。いつのまにか、随分と柔らかくなったその背中にゆっくりと手が沈んだ。長くなった髪が、腕に絡みついた気がした。


「ねえ、弥生ちゃんと何かあったの?」


 背中を押しながら、唐突に結衣はそう言った。


「いいや、何でもないよ」


「やっぱり何かあったんだ」


「そんなことは無いよ」


「ううん。絶対に何かがあった。冬也と私の付き合いはそれぐらいわかってるはずでしょ? 嘘なんてついても、全部わかるよ。だから、教えて」


 ブランコがゆらりと揺れる。そのたびに、結衣の香りが舞った。だけれども、昨日の夕方に嗅いだ弥生の香りとは違って、それはただただ心地よいものだった。


「ねえ、私にだけは本当のこと言ってよ。きっと弥生ちゃんの事なんでしょ?」


 ただ黙って結衣の言葉を受け止めた。そうしている限りは、少なくとも肯定も否定もしないで済むからだ。しかし、その沈黙は僕自身が一番わかっていたけれども肯定したも同然だった。明確に言葉にするわけにはいかないけど、伝わってしまう。


「やっぱりね」


 そして、僕の心を察したのか背中を押す力を結衣が弱めた。このまま行ってしまうんだろうという諦めと絶望が僕を襲う。結衣は、僕に後ろからどくようにいうと思い切り勢いをつけて、僕が答えないことに対して苛立った気持ちを振り切るように思い切りブランコから飛んだ。置いていかれたブランコが、がたがたと歪に揺れる。


「え、ちょ、ちょっと!」


 飛んだ瞬間に、ふんわりとスカートが待って水色のパンツが見えた。そして、結衣は見事に着地して僕のほうを見る。その表情は怒っているようにも、笑っているようにも、泣いているようにも見えた。それはどちらにしても、僕が今までに見たどんな表情よりも輝いて見えた。弥生とは違って、生きた表情のようだった。


「私はね、冬也のことずっと好きだったの」


「え?」


 それはいきなりだった。今までも、こんなことはなかったわけじゃない。結衣からそう言われたことは何度かある。しかしそれは決まって冗談めかして言うだけだった。だけど、その態度とは明らかに違う。真っ直ぐに僕を見据えて、その目はいつものからかうような悪戯心とは違う。真剣だった。


「ずっと幼馴染としてじゃなくて、異性として冬也が好きだよ」


 それは初めて告白された僕にとっても衝撃的なことだった。


 一番真剣な結衣の表情と声に僕は気圧されるしかなかった。


「急に言われても困っちゃうよね。今日はこのまま帰るよ」


「いや違うんだ!」


 そのまま、僕はランドセルを拾って帰ろうとする結衣を呼び止める。それは、偶然にも昨日の弥生と同じようにそのか細い腕を掴んだ。しかし、掴んだ瞬間すぐに結衣がその手を引いた。そんなこと想像もしていなかったから、体が傾く。


「え?」


 僕は、その反動で地面に倒れ込む。慌てて、僕は体を結衣の下に滑り込ませる。幸いにもランドセルの蓋はしっかりと閉まっていたから中身までは散乱していなかったし、僕の背中で頭を守るその役目を果たしていた。しかし、そんなことは問題じゃなかった。そんなことじゃなくて、ただその時の僕には何も考えられなかった。


 目の前にある結衣の目と視線がぶつかって、手の中に結衣の体を抱きしめていること。そのことが頭を支配していった。結衣の心臓が、体の表面まで揺らした。


「ねえ、冬也はさ、ドキドキしてる?」


 その小さな口から発せられる言葉が、僕の耳へと直接届いた。


 甘くて、ふんわりとした香りのままで。


「私はドキドキしているよ」


 結衣は、そのまま僕の手を取って自分の胸へと近づけた。そこには、膨らみ始めた乳房とその内側でどくんどくんとけたたましく鳴る心臓があった。


「私は、昔からそうだよ。幼稚園の頃の夢、冬也のお嫁さんになることって先生に言ったけど本気だったよ。今でも、ずっと二人で生きていきたいと思ってる」


 結衣の心臓の音は、僕よりもさらに早かった。どんどんと早くなって、周りの音を消していく。そして、その音が僕の体に伝わってきて、自分の鼓動も速くなった。


「私は冬也が好き」


 二度目の告白だった。


「ねえ、冬也はどう? 私のことどう思ってる?」


 答えられないまま固まってしまう僕に対して結衣はそう言うと、体を起こした。そして、僕に背を向けたままブランコの下に敷かれた芝生を後にした。


「困らせてごめんね。今日はここで帰るね」


 僕はただ去っていくその背中を見つめることしかできなかった。


 結衣の姿が見えなくなった後でも、僕の心臓の高鳴りはおさまってくれなかった。今まで、好意なんてなくてただただ普通に生きていたつもりだった。だけど、こうして言われることで初めて気づかされた。僕は、どこかで弥生の事を気にしながら、同時に結衣の気持ちにも気づいていなかったことを。


 その日の帰り道は、行きよりもずっと長く感じられた。結衣のこと。そして、弥生のこと。頭から離れてくれなかった。結局、僕はこの時の返事を六年も経った今でも結衣にまともに返事をしていない。それがずっと心に突っかかっている。

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