第3話 改稿版 姉妹

「おじゃまします」


 緊張しながら、僕は弥生の家へと足を踏みいれた。女子の部屋という意味では、結衣の家にも何度かお邪魔していたのだが、それとは明確に家に対してかかっているお金の量が違った。一軒家が立て並ぶ普通の住宅街であったはずなのに、その家だけがなんだかとびぬけて目立っていた。まさに成功者の家だ。まっさらな状態の白い外壁に、紫色をした屋根。物語のなかにでてくるような、それでも現実にあり得るような外観の家に庭も備え付けられている。


「あらあらいらっしゃい。ゆっくりしていってね」


「ありがとうございます。お邪魔します」


 玄関には、弥生の母親が出迎えに来てくれていた。弥生の母親は、ゆるくウェーブがかった長い髪と少しだけ眠そうな垂れた目を持ちながら顔立ちは整っていた。どこか上品でありながら、母親らしさも持ち合わせている不思議な人。どちらかというと美人というよりは可愛いというイメージが強かった。


 弥生に似ているとは言えない。玄関に飾ってあった写真立ての中にいる四人家族。弥生の母が椅子に座り、その後ろに父親らしき人が立っている。母親の膝の上で抱かれているのは弥生だろう。もう一人は姉だろうか。重ねた年数によるものだろうか、弥生よりも数段笑顔が上手い。


 それを見る限りは弥生も弥生の姉もどちらかといえば父親よりの顔をしていた。


「じゃあ、後からお部屋にジュースとクッキーを持っていくから、手洗いとうがいをしてから遊びなさいね。弥生、洗面所までお客さんを案内して」


「わかってる!」


 弥生は、母親の言葉を背中に受けながら僕の手をとって洗面台へと案内された。廊下の奥にある木製のドア、その先に行くようにと案内された。弥生がドアを開けてくれた瞬間に、湯気が顔にぶつかった。顔中に暖かな空気が広がり、白い空気が晴れた瞬間に視界はほんのりと赤い肌色に染められる。


「あれ? 友達?」


「わぁ!」


 僕は、情けなくそんな声を出してしまった。目の前にあるのは、その長く綺麗な髪の毛から水滴をしたたらせ、すらりと肩口から腰へと落ちるあばら、それを覆う美しく白い肌だった。それが熱によって温められてより色めいていた。それは、もちろん初心な僕を本能的に誘惑する。


 しかし、それよりも先に驚きを隠せなかった。


「ご、ごめんなさい」


 僕は慌てて、洗面所から廊下へと飛び出してドアを閉める。


 中から、弥生と裸の女性が話し合う声が聞こえてきた。


「もう、お姉ちゃん。お客さんが来るのにお風呂に入らないでって言ったでしょ」


「そうだった? ごめん、ごめん。つい、暑くてね。それより、あの子は彼氏?」


「もう、そんなんじゃない!」


 吐き捨てて、弥生は洗面所から出てきた。そしてそのまま手を掴んで二階へと上がっていく。その音は、お姉さんに聞かせるように音を鳴らしているようだった。


「二階のトイレでも手を洗えるから、若山君も早くいこ」


 半ば強制的に引っ張られて、階段をあがっていく。何度かつま先が階段の先にぶつかる。ふと振り返ると、裸のまま廊下に出たお姉さんが手を合わせて顔から下は申し訳なさそうにしていた。


「ごめんね、いきなりあんなもの見せちゃって」


 トイレで手を洗った後にそう言いながら、弥生は二階にある自分の部屋へと僕を招き入れた。部屋は、まずベッドが目についた。女の子らしい部屋というよりも、どちらかといえばシンプルな部屋だった。引っ越してきたばかりというのもあるかもしれないけれども、結衣の部屋に比べれば随分と殺風景だ。縫いぐるみがいくつも枕元に並んでいる結衣とは違って、弥生のベッドには枕と掛布団しか無い。


 本棚には小学生向けの参考書や雑誌が並んでいるのと、少し大きめの机に高級そうな時計が飾られてあること以外は、本当に普通の勉強机だ。小学生が自分の部屋を持っているにしては綺麗すぎる。


「本当に、ごめんなさい。お姉ちゃん、いつもあんな感じで適当なの」


「いや、べつに」


 僕はそういって、視線を逸らす。そうはいっても、目の前にまだそこまで仲が良いわけではない女の子がいる、さらには先ほど女性の裸を見たという状況でいつもの結衣の部屋で二人きりでいる時のように、くつろげるはずがない。親と一緒に洋画を見ていたらベッドシーンに差し掛かった時のような気まずさがある。ぶつ切りの単語だけが僕たちの会話を繋いでいた。


「そうだ! ジュースとクッキー持ってくるね」


 弥生はそう言って部屋を飛び出すと階段を駆け下りていった。階段を降りていく弥生の足音よりも、強く心音が大きくなっていた。僕は何をすることもなく、ランドセルを無駄に開いて、普段はしないのに宿題の部分を確認する。どうせ、いまから勉強をするわけでもないのに。


「お待たせ。若山君」


「あ、うん」


 弥生が戻ってくると、クッキーとジュースが乗ったお盆を持っていた。そして、そのお盆を小さな丸い机に置いてから僕をベッドへと座らせた。僕は言われるがまま座るけれども、やっぱりここでいつも弥生が寝ていると思うと落ち着かない。クッキーを食べながら、少しだけ沈黙の時間が流れた。


「若山君は、お姉ちゃんのことどう思う?」


「どうって?」


 クッキーが口の中からなくなってから、弥生はそう切り出した。


 しかし、僕にはその質問の意味がわからなかった。


「可愛いと思う? それとも怖い?」


 その問いは普通なら、ありえないはずの二択だった。僕は首を横に振った。僕はその弥生のお姉さんを見ても綺麗だなと思っただけだし、気味が悪いとか怖いとかそんなマイナスな感情はなかった。だけど、弥生は家族であるにも関わらずにお姉さんのことをよくは思っていないようだった。


「どうしたの。なんだか、顔色が悪いよ」


 明らかにそれは体調不良ではなくて、どうやら何かにおびえているように見えた。


「ううん、気にしないで。それより、一緒に宿題でもする?」


 弥生は、僕に気を遣ってくれていつもの調子に戻った。


 それから、僕と弥生は一緒に宿題をしたり本を読んだりとして時間を過ごした。その間にもまるで影を落とすかのように弥生の表情が曇ることがあったけれども、僕はそれを気づいていながら無視した。


 ただ、お姉さんと会ってから表情が暗い。


 先ほどのやりとりも僕の前でなんだかんだ仲の良い姉妹を演じているようだった。


「若山君って頭が良いんだね」


 一緒にドリルを解き始めていると、どうやら僕のほうがすらすらと文字が紙の上を踊るように舞っていた。そう言われて、上手く返せるような機転は利かない。


「別に、そんなことは……」


「ううん、すごいよ」


 そういって弥生は笑う。


 その顔が、まるでその笑顔の仮面をかぶっているように僕には見えた。



「なにかあるなら信頼して話してほしい」


「へ?」


 ちょうど、弥生が三つ目のクッキーに手を伸ばしたところだった。僕はいつのまにか、そのか弱い手を掴んでいた。そんなことは初めてで、どうしても弥生を目の前にしていると調子が狂ってしまう。


 恰好をつけたいわけじゃないし、ダサいのもわかっているのに自分の言葉が口から出てこなくて、代わりにドラマや漫画の主人公が語るような言葉ばかりで弥生に対して話しかける。そういう意味では、僕も弥生に対して隠し事をしていた。


 窓の外から烏の鳴き声が聞こえた。そして、その隙間にぽつりと雨が降った気がした。しかし、それは部屋の外、窓から見える景色の話じゃなくて、それは弥生の腕を掴んでいた僕の手の甲へとまっすぐに落ちて跳ねた。それは、じんわりとした温かさをもってどんどんと広がっていく。


「ど、どうしたの」


 僕は、あわてて立ち上がる。そして、まるで王子様のように片膝をついて弥生の目をしっかりと見つめた。思えば、この時に初めて僕は藤原弥生という人間に初めて向き合った気がする。そのふくらんだ目元からは今にも溢れそうな涙。それを、ほっぺたを押し上げてかろうじて我慢している。


 僕は、そのほっぺたに触れて、手を耳の下に通して髪を梳く。ふんわりと、女の子がプールに入った後にする特別なにおいが部屋中に舞った。


 まるで、雨に降られた小動物のように弥生は体を小さく震わせている。


「なにかあったのなら、話してほしい。僕が解決できるわけじゃないけれども、少しでも力になりたい。少しでもいいから、話してくれ」


 その言葉を信じてくれたのかはわからない。だけど、その時の僕には確かに弥生のことを助けたい、救いたい、力になりたいというその一心で話していた。


「わかった、若山君のことを信じてみるね。でも、今はだめかな」

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