011:くままを想う気持ちは本物

「お〜い? もしもし〜? 隼兎はやとく〜ん? 大丈夫っ?」


 小熊さんの甘い声が止まっていた時間を動かす。


「だ、大丈夫。ここが天国か現実か判断がつかなかっただけ。もう大丈夫だよ」


「それって大丈夫って言わないよね……」


「大丈夫、大丈夫。とりあえず500円でいいよね?」


 僕は自然と財布から500円玉を取り出していた。

 この動きは5回経験しているが、まだ慣れない。

 そろそろ体に染みついてくれなきゃ推し活に支障を来すことになりかねない。


「な、何で500円?」


「制服チェキを、と思って……」


「カメラ無いからここではチェキは撮れないよ。それにここはイベント広場じゃないし……。でも本当に私のこと……ううん、のことを推してくれてるんだね」


「ん? もちろんだよ! くまま一筋です!」


 食い気味で答えた。

 こればかりは今更照れる必要なんてないし、隠す必要もない。

 本気で、心からくままを推している。

 この〝ときめき〟は紛れもない本物だ。


 でもなぜだろう。妙に引っかかる。

 ……って。

 謙遜なのだろうか。小熊さんからは、自信というものが欠けているように見える。

 ステージの上で輝いているくままと重ねると余計に……。


「ありがとうっ。くままを推してくれる人、おじいちゃん以外で隼兎くんが初めてだよっ! 本当に本当に嬉しいっ」


 この笑顔は本物だ。くままの時にもよく見る――心の底から笑っているときの笑顔だ。


「チェキは撮れなくても普通の写真だったら撮れるよ? 撮る? あっ、もちろん無料だよ。ツーショット写真っ! くままちゃんの制服姿って結構レアだぞ〜!」


 無料でくままと写真が撮れるだと!? しかも制服で!?

 いや、今は小熊さんか。でも小熊さんはくままだし、くままは小熊さんだし、って同一人物なんだからそんなことどっちでもいい!

 目の前にはくままが――小熊さんがいて一緒に写真を、チェキではない普通の写真を撮ろうって言ってくれてるんだ。

 イベントでは禁止されているスマホによる写真撮影を。

 喉から手が出るほど普通の写真を撮りたい。待ち受けにしたい。天使との写真を待ち受けにしたい。

 でも、でも……ダメだ。

 ファンとしてそれはダメだ。本気で応援したいって思ってるならそれだけは絶対にダメだ。


「ダメだっ! くままのこと本気で応援したいから、普通の写真は撮れない!」


「え? どうして?」


 小首を傾げる小熊さん。

 そりゃそうだよな。疑問に思うよな。

 その疑問にちゃんと答えないと。


「情報が飛び交う昨今さっこん、たった一言SNSで本音を漏らしただけで大炎上するコメンテーターがいたり、匂わせ写真を投稿して活動休止になった芸能人がいたり、たった一枚の何気ない写真から男性との交際がバレて引退まで追い込まれたアイドルがいたり、ご当地アイドルといえど同じ。そういったマイナス要素、スキャンダル的なものは避けたい。ファンとして避けなくてはいけない! 一抹の不安がある以上、僕は写真を撮ることができない」


「そ、そこまで考えてくれてるだなんて……。隼兎くんの本気、よーく伝わったよ」


「それならよかった」


「でもすっごく悔しそうな表情してるよ」


「う、ぐっ、ば、バレた?」


「下唇噛みちぎりそうな勢いだね……」


 くっそ、僕の表情筋!

 ここはポーカーフェイスだろ。なに悔しがってるんだ。

 本気でくままを応援したいならファンとして当然の行動だろ。

 欲望に負けるな。欲望に負けるな。欲望に負けるな。


「隼兎くんの本気は伝わったけどさ〜、やっぱり私は普通の写真も撮りたいなぁ〜」


 悪魔の囁きだと!?

 なんて凄まじい誘惑なんだ!

 ここで折れたらくままへの気持ちが嘘になってしまう。

 耐えろ。耐えるんだ僕。


「ほら、スマホだったらチェキよりも画質がいいぞ〜。さっき隼兎くんが見てた私の水着の画像と変わらないくらい画質がいいぞ〜。この画質で一緒に映りたくないのかな? 推しのくままちゃんと一緒に〜」


「うぐッ……うぅ……」


「よしっ、あと一押しって感じだねっ。こんな感じでくっついたらどうかな?」


 小熊さんの肩が僕の肩と触れ合った。

 まるで一流のパティシエが苺をケーキに載せるかのように。

 丁寧に、優しく、それでいて繊細せんさいに――僕の肩に小熊さんの、くままの肩が!


「せ、接触は禁止! ほ、ほら運営さんもお触り禁止だって言ってたじゃんか!」


「ここはイベント会場じゃありませ〜ん。それに肩と肩だけだぞ〜。いやらしいなぁ。このまま欲望に負けて写真撮っちゃお〜う!」


 ――キーンコーンカーンコーン!


 ホームルーム開始を知らせるチャイムが鳴った。

 助かった。このチャイムがなかったら誘惑に負けていた。


「ホームルーム始まっちゃうから! 席に、席に戻ってくれー!」


「あ〜、惜しかったなー。ふふっ」


 触れ合っていた肩と肩が離れていく。

 登校中も感じた寂しさのようなものが僕を襲う。

 やっぱり席に戻らないで……なんて言えるわけがない!


「隼兎くん。またあとでね」


「あっ、う、うん……え? またあとで?」


「うん。ツーショット写真っ! 私諦めてないからっ〜」


「うぐっ……」


 助かったのはだけだった。

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