004:初めてのチェキは〝くままポーズ〟で

 僕の右手は無意識に挙がっていた。

 学校でも給食の時間以外手を挙げたことがない右腕が。どうして、どうしてこういう時に限って。

 小熊さんに集まっていた視線を一気に浴びる。その瞬間、感じたこともない緊張と圧に押し潰されそうになった。


山本隼兎やまもとはやとくんだよね? 見にきてくれたんだ。ありがとうね」


 僕のフルネームを知ってくれてた! クラスメイトとはいえ喋ったことないのに。すごい嬉しい。

 って、そんなことよりも、なんて耳心地の良い声、そして心地良い笑顔なんだろう。

 天使なのかな? 緊張と圧に押し潰されそうになっていた僕を救い出してくれた。

 そうか。僕はこの笑顔を失いたくないと思ったんだ。

 心からそう思ったから、だから体が勝手に動いたんだ。


「お兄さんくままの友達だったのね。どうする? ソロチェキかツーショットチェキか」


 マイク越しではなく直接話しかけてくる女性スタッフ。

 どうするって言われても……こんなの初めてだし、何も考えないで手を上げちゃったからどうしていいか……。


「隼兎くん。せっかくだしツーショットチェキにする? ちょっと高いけど……」


「あっ、は、はい。も、問題ないです」


 天使からのお誘い――いや、女神からの救いの声。断るわけにはいかない。

 すぐさまポケットから財布を取り出し、中身を確認――あった。500円玉。

 その500円玉を女性スタッフに渡す。

 女性スタッフはニッコリと微笑みながら受け取ってくれた。

 その笑顔にドキッとしたが、その感情は緊張と羞恥と恐怖が混ざり合った負の感情によって一瞬でかき消される。


 勢いに任せて――いや、女神様の御言葉のままに動いてツーショットチェキを購入してしまった。

 そもそもチェキってどうやって撮るんだ?

 ポーズは? どうしたらいいんだ?

 というかこんなところ誰かに見られでもしたら……は、恥ずかしすぎる。

 純平が言ってたことがようやくわかったよ。これはかなり恥ずかしいぞ。

 それに一緒にチェキを撮るのは小熊さんだ。

 素顔を知らない関わりのないアイドルならまだしも、小熊さんはクラスメイトだぞ。

 学校がある日なら必ず会うことになるクラスメイトだぞ。

 顔を見るたび、今日のことを思い出してしまう。

 僕だけじゃなく、小熊さんだってそうだ。

 失敗なんてした日には、今日のこの出来事を黒歴史として一生背負っていくしかない。


 逃げ出したい。今すぐにでも。

 でもここで引き下がるという選択肢は……ない、よな……。

 やるしかない、よな……。


「ふふっ」


 小熊さんから突然の笑顔。妖精さんかな?

 できればこのこぼれた笑顔を拾い真空パックに入れて保管したい。

 きっとそれを持っていれば空だって飛べるはず。

 なんて気持ち悪い願望は置いといて、小熊さんはなんで笑ったんだ。

 一体全体何を見て笑ったんだ?


「手と足が一緒に出ちゃってるよ?」


「へ?」


 くっそ恥ずかしい!

 緊張して歩き方がわからなくなってた。

 それに情けない声。「へ?」ってなんだ「へ?」って……。

 くそ。しっかり意識を保て。いつも通り、普段通りにしてればいいじゃんかよ。

 って、いつも通りってなんだ?

 歩き方もわからなくなったくせに、いつも通りなんてできるわけないだろ。


「緊張してるの? 大丈夫だよ。気楽に、楽しく、ねっ?」


 小熊さんの優しくて何もかもを包み込んでくれるような声が背中を押してくれる。

 歩き方がわからない。ぎこちなく歩いてしまう。それでもなぜだろう。背中を押してもらったからだろうか。信じられないほど足取りが軽い。ぷかぷか浮いてるみたいだ。本当に空を飛べちゃうのでは?


「う、うん……えーっと……」


 足取りが軽く感じたのはここまで。

 笑顔で手招きする小熊さんに拒否反応を起こしている。

 否、小熊さんに拒否反応を起こしているのではなく、目の前に立ち塞がるに、だ。

 ステージの上に上がることに対して拒否反応を起こしているんだ。

 って、ステージってこんなに高かったっけ? まるで空だ。届きそうで届かない空だ。

 そうか小熊さんは天女だったのか。 


「どうしたの?」


「えーっと……こ、ここで撮るの?」


「ん? そーだよ」


 どうやらツーショットチェキというのは、空の上――じゃなくてステージの上で撮るらしい。それもステージの上で。


 初めてのチェキで作法なんて全く知らないのに。みんなに見られながらチェキを撮るだって?

 ハードルが高い! 高すぎる! 空よりも高い! ここは月か? 小熊さんはかぐや姫だったのか?


 心臓がこんなにもバクバク鳴ってる。こんなの初めてだぞ。僕の心臓じゃないみたいだ。

 それに足もガタガタ震えてきた。生まれたての子鹿かよ。

 手汗はびしょびしょで最悪。脇汗なんてもっとだ。汗が目立たない服で本当によかった。


「……わ、わかった」


 生まれたての子鹿のような足取りでも止まることなく、手招きする小熊さんへと吸い込まれていく。

 そしてとうとう手が届く距離にまできてしまった。


「ポーズはどうする?」


 どうするって言われても……。


「何か一緒に撮りたいポーズとかある?」


 ポーズのリクエストとかもできるのか?

 一緒に撮りたいポーズか……ん? 一緒に撮りたいポーズってなんだ?

 どこまでのポーズが良くて、どこまでのポーズがダメなんだ?

 まったくわからんぞ。

 そもそもポーズってなに?

 突っ立ってるかピースするかしか知らないぞ。

 というか僕はこのバリエーションで十五年間生きてきたのか。

 いや、幼い頃はもっとポーズを撮っていたはず。

 そのポーズを思い出せばきっとこの状況を乗り切れるはずだ。


「それじゃ〝くままポーズ〟やろ?」


 くままポーズ? 何それ?

 というか逆リクエストとかあるのかよ。

 そりゃ気まずい沈黙が続けばそうなるか。

 うぅ……なんか申し訳ない気分。泣きたい。


「くままポーズはね、こうやってグーして耳を作るの。これでくままポーズの完成。一緒にやってチェキ撮ろ?」


「う、うん……」


 助けられた……のか?

 変なポーズを要求されちゃったけど……なんか羞恥を晒すのが目に見えてわかる。。

 まあいい。ポーズは決まったんだ。あとは撮ってこの場から退散しよう。


「ほら、もっと近付いて、じゃないとチェキに収まんないよ」


「あ、う、うん」


 ち、近い。近すぎる。

 これがチェキの距離なのか。

 体と体が触れ合っちゃいそうだ。


「――ひっ!!」


 当たった。肘が、小熊さんの肘が当たった。

 反射的に変な声が出ちゃったけど、聞かれてないよな。

 いや、この距離だ。聞かれてないわけがない。

 は、恥ずかしい。


「あ、ごめん。肘が当たっちゃった。くままポーズって肘が当たっちゃうのが欠点なのよね。えへっ」


 この距離でのその笑顔は禁止だって。天国か? ここは天国なのか?


「それじゃ撮りますよ〜。ポーズ取ってくださ〜い」


 一瞬で現実に引き戻すのやめて。もう少しだけ天国を味わっていたかった。


「ほら隼兎くん。くままポーズだよ? さっき教えたとおりに、グーにして耳を作って」


「う、うん。こ、こうかな?」


 初めてのくままポーズ。

 どうだろうか。間違ってないだろうか? 

 気持ち悪くはないだろうか?


「そう! 上手! めっちゃ上手! 私よりも上手いんじゃない?」


 ほ、褒められた!

 幸せすぎる。


「えへへへ、そ、そうかな、えへへ」


 やばい。ついニヤけてしまった。

 幸せすぎてニヤけてしまった。



 ――カシャッ!!



「ありがとうございました〜」


 シャッターが切られた音、そして女性スタッフの感謝の言葉が、僕の人生初のチェキの終わりを告げた。


「隼兎くん。ありがとうね。またいつでもライブ見にきてね。チェキもまた撮ろうね!」


「う、うん」


 ふわふわの感情のままステージを降り、現実世界へと戻る。

 右手には現像途中のチェキフィルム。これもまた無意識に受け取っていた。

 壊れ物を持つかのように優しくチェキフィルムを持ち、イベント広場を後にした。

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