003:小熊さんはご当地アイドル
思い返せば高校へ入学した日、クラスでの自己紹介の時、小熊さんはご当地アイドルについて何か言っていたっけ。
自分のことで精一杯だった僕は、クラスメイトの自己紹介を訊く余裕がなかった。
それでも記憶の底に微かにあった。それだけインパクトが強かったのだろう。今の今まで忘れてたけど。
「ご当地アイドルが好きなんだとばかりに思ってたけど……まさかやってただなんて……」
「え? なんだって?」
すでにイベント広場内。さらには音を出す機材――音響機器の近くに僕たちは立っている。
僕の独り言のように呟く声は、小熊さんの元気いっぱいな歌声にかき消され、純平の耳に届かなかった。
そのまま僕たちは音響機器の近くから一歩も移動することなく、小熊さんの――ご当地アイドル
歌が終わるまで一分も掛からなかったと思う。僕たちが小熊さんの歌を聴き始めたタイミングが終盤だったからだろう。
いや、それだけじゃない。僕は小熊さんの歌声に、そしてパフォーマンスに感動していたのだ。
きっとそうだ。そうに違いない。その証拠に――
「おい!
呼びかけてくる親友の声に全く気付かなかったのだから。
たった数十秒間聴いただけ、それも初めて聴いた曲なのに、僕はその
「ご、ごめん。な、何?」
「何? じゃねーよ。行こうぜ?」
「え?」
反射的に言葉が出た。どうやら僕はまだこの場にいたいようだ。
「歌ってる人がわかったんだし、行こうぜ」
「つ、次も歌うかもよ?」
「お前最後まで見ていくつもりかよ。同級生のライブだぞ? 誰かに見られでもしたら恥ずかしいだろ。それにあっちも俺たちに見られて恥ずかしいんじゃねーの? やりづらいっていうかさ……」
しっかりと小熊さんのことも気にかけている。純平はなんて優しいんだ。
でも純平のその優しさは理解できても、考えまでは僕には理解できない。いや、数秒前の僕なら理解していたかもしれない。
太陽のように眩しい笑顔を、元気いっぱいに踊る姿を――その両方を一瞬、ほんの一瞬だけ
目と目を合わせて笑顔で手を振ってくれたんだ。天使がいたんだ。
僕の勘違いなんかじゃない。あの光景はちゃんと心に残ってる。刻まれてる。
だから小熊さんならきっと、恥ずかしいとかやりづらいとか思ってないはず。
僕はそう思ってしまったのだ。
もしも恥ずかしいとかやりづらいとか少しでも思っていたのなら、あの笑顔やパフォーマンスをできるはずがない。
「も、もう少しだけ見てくよ。気になるし……」
「マジか……まあ好きにしろ。俺は姉貴が待ってるからな。この辺で帰らせてもらうぜ。姉貴を怒らせると怖いんだ」
「うん。わかった。付き合ってくれてありがとう」
「おう。またな!」
「うん。またね!」
純平は来た方向を戻っていき、小走りで出口へと向かっていった。
僕に付き合ってくれたことに感謝しないとだな。
さて、この〝ときめき〟に正直に答えて、この場に残ってしまった僕だけど、いざ一人になるとなんだか恥ずかしいな。
一人でステージに立って、歌って踊ってた小熊さんはすごいや。
恥ずかしさや緊張なんて
それに今も楽しそうに喋ってる。やっぱり天使だよ。
『――あやめ園のあやめはいつが見頃か知ってますかー? 見頃は6月10日ですよ。100万本のあやめが綺麗に咲きます! 覚えててくださいね。それと冬の風物詩と言えば100羽以上飛来する白鳥の里――』
地元のPRか。なんで地元の……って、そりゃそうか。小熊さんはご当地アイドルだもんな。
それにしてもわかりやすい。かなり勉強と練習をしたんだろうな。
あまりの上手さに一人でいることの恥ずかしさを忘れて聞き入ってしまった。
聞き入ってしまっていたからこそ――
『以上。ご当地アイドル
女性スタッフの一言によって幕が閉じたのだと知る。
本当に、本当にあっという間、一瞬だった。
もっと聞きたかった――地元のPRも歌も。
もっと見たかった――笑顔も踊りも。
『それでは只今よりチェキ会を行います』
え? チェキ会? 天使と? そういうのもやってるのか。大変だなぁ。
『参加される方は受付にて参加券の購入をお願いします。ソロチェキは300円、ツーショットチェキは500円となっております』
チェキ一枚500円? なんだか一気に商売感が出てきたな。
それもそうか。よくわかんないけど運営費用って必要だもんな。
バイトみたいに給料とかも出てるのかな? それも気になる。
『チェキ会に参加される方はいらっしゃいませんかー? いらっしゃらないのなら、これで終了となりますよー』
って、誰も並ばないのかよ。
あんなに頑張って歌ってたのに? それに地元のPRもしてたののに? 可哀想すぎるだろ。
こんなに人がいるんだから、せめて一人くらい並んであげてよ。
おじいちゃんでもおばあちゃんでも、足を止めてるそこの親子でも。
そうじゃないと、小熊さんが……可哀想だって……。
『いらっしゃいませんかー?』
再確認する女性スタッフ。
その横で小熊さんは笑顔を振り撒く。通行人の子供に向かって手を振る。
どうして? なんで? 笑顔のままでいられるの?
悲しくないのか? いや、悲しくないはずない。
『それではこれでチェキ会を終了――、おっ、そこのお兄さん参加されますか? どうぞどうぞこちらへー』
「え?」
そう。呼ばれたのは僕だ。
僕の右手は無意識に挙がっていた。
この状況で手を挙げるということは、そういうことになるよな。
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