あの日
紅葉 日和
あの日のこと
とある建物の屋上。私だけの秘密の場所。そこからは見下ろす街も、見上げる月や星も、私が日々神経をすり減らしながら惰性で生きている世界と同じとは到底思えないほど綺麗に映った。だから私はここにいる時間が大好きだった。どんなに冷たく汚い世界でも、ここから見れば美しく見えたから。
でもあの日から全てが変わってしまった。
始まりはとある新聞記事。
“新種の植物、発見か?” そう見出しに書かれた紙面の半分ほどの記事は、アメリカの田舎町でる“コッツウェルド”にて、“臭気を放つ巨大な花”が発見されたと写真付きで報じていた。
カラー写真には、立ち並ぶ青々とした街路樹の間に佇む悍ましいほどに真っ赤に色づく巨大な花と、その花の根元に似たような花が群生している様までしっかりと収められており、その気持ちの悪さに鳥肌が止まらなかったのを覚えている。
その翌日、続報が報道された。
“研究チームが発足、新種植物、仮称“A”のサンプルを採取、解明を急ぐ”
その翌日、続報が報道された。
“コッツウェルドの街路樹が全てAに置き換わっていることが確認される、地域住民が独断で伐採を試みるもチェーンソーでも傷付かず断念、現場は大混乱”
その数日後、SNSにある動画が投稿される。
「コッツウェルドが、壊滅した」
個人で撮影したであろう手ブレが酷い画面に映るのは、悍ましい赤一色、木々も、地面も、そして建造物までもが、真っ赤に染まっている、その色には見覚えがあった。
Aだ、巨大なAと化した木々から小さな花が発生し、それらは地面、コンクリートにすら根を張り繁茂していた、いや、繁茂というよりと、その様は寄生しているようにも見える。
最悪なことに、画面端には“人”の形をしたAの群体が映り込んでいた。
そして動画には決定的瞬間が収められた。
耳をつんざくような悲鳴が聞こえ、そちらに焦点が合わさる。
そこには、Aに寄生された人間が映っていたのである。
腕、脚、顔、露出したありとあらゆる場所にAが咲いている男は、その余りの激痛にのた打ち回り、いち早くその苦しみから解放されようとゴンゴン、ゴンゴン、Aの花畑に四つん這いで頭を突っ込み、何度も何度も頭を打ち付けていた。
そして、めしり、鈍い音が響く。
のっそりと男が花畑から頭を挙げて動画の主を、動画を見ている全人類に向けて虚ろな視線を向けた。
亀裂が入った頭が割れる、そこから顔を覗かせるのは、人を人たらしめる脳みそではなく、一際咲き誇るAであった。
動画はここで終わっている。
動画の撮影者がどうなったのかは分からないが、あの状態で無事であるという保証は何処にもないし、なんなら、この動画自体が撮影者のたちの悪いイタズラである可能性も否めない。
だが後者に限っては真実である事が確約された。
他でもないAの研究をしていたチームの、最後の生き残りによって。
「私たちが万全の体制でコッツウェルドから持ち帰ったサンプルは、ほんの小さな花でした。えぇ、本当に小さな花だったんです。研究所での保管も最善の注意を払い、万が一の事が起きないようにと徹底的な滅菌処理も行った上で、原則研究室には個人で入室し、ローテーションで研究に臨んでいました。はい、他のメンバーは何重にも防護壁を隔てた別室でモニタリングと端末での情報共有をして。
……最初に寄生されたのはジェニファーでした、右下腹部が痒いと言って、おもむろに防護服の上から掻きむしりだして、その次の瞬間彼女は防護服を脱ぎ捨てました。それはもう悍ましかったですよ、肌着すらも覆い尽くす程に、彼女の身体にはAが繁殖しつくしていたんですから。そのまま彼女はのた打ち回って、息絶えました。
そうしたら、次はどうなったと思います?
ジェニファーの死体が弾け飛んだんですよ、風船みたいに。彼女の死体からは真っ赤な花弁が飛び出して、研究室中に広がって、次モニターを見たら部屋中Aが繁殖していたんです、壁も天井も電子機器もガラスもお構いなくね。
結論から述べると、Aは侵略的外来種です。外来、とはこの地球上の何処かの事ではありません。過去から未来から宇宙から、或いは別世界から、何者かが送り込んだ化け物です……B級ホラー映画のようだと笑えるでしょう?えぇ、私も信じたくはありません。でも、でもでもでも、あんな、あんな光景、何重にも隔てた防護壁を瞬く間に侵食して、こちら側にやってきたAの姿を見て、常識的な存在であると、どうやって言えましょう。
私は命からがら逃げ延びましたが、研究所は既にAに呑まれました。最期に皆さまに研究の成果を報告して、私の人生を終えさせて頂こうと思います。
助かる方法なんて、ありませんよ、そんなもの」
それが彼の最期の言葉となった。
このメッセージを吹き込み、データを各種メディアに送信した後、彼は拳銃自殺を遂げたのだ。
当時は彼の行動と彼がもたらした混乱に世界中から大バッシングが巻き起こり、Aそっちのけで連日彼への誹謗中傷が相次いだ。
しかし、彼はとても賢い選択をとったのだと今になって思う。
だって、まだ世界が世界であった時に死ねたのだから。
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