晴れやかな日だった。

 運動会を迎えた当日、マグノリア女学校の運動場では大きな歓声が上がっている。


雲居くもいさん! がんばってー!」

「あと少しだわ! 気合いよ、気合い!」


 雛達は大きな声をあげて駆け抜ける乙女を応援している。

 太陽の下、韋駄天いだてんが如くに駆け抜けるのは瑠璃だった。

 結った金髪が跳ねて、大きな息遣いをして、それでもめもすまに景色を過ぎ去り、あと少しでゴールの距離にある。


 そんな乙女の僅か後ろに追い縋る人物があった。


「ミツ様! もう少しですわよ!」

「勝って下さいまし! ミツ様ー!」


 それはミツだった。

 佳人かじんは視線の先を行く瑠璃を睨み付けながら、何とか喰らい付こうと我武者羅になっている。


 二人の後方には幾らかの競技者の姿があるが距離の開きは大きい。

 つまり二人の運動能力はその歳の少女達と比肩ひけんするまでもなく優れているということだった。


 最早皆の注目はこの二人にのみ向かっていた。

 日頃より怨敵おんてきとして対峙し、曰くは〈マグノリア女学校の竜虎〉とたとえられる二人の決着の行方はどうなるかと皆が見守っていた。


(僅かもすれば追いつかれる……!)


 視界に映らずとも迫る気迫を瑠璃は感じていた。

 それはミツの放つ殺気にも等しい怒涛の戦意だった。


 景色の色合いはせて、自身の呼吸の音と土を蹴る音がやけに中耳ちゅうじに木霊する。

 その内に別の人物の息遣いが聞こえて、視界の端にいよいよ影が差してきた。


(あともう少しだわ、もう少しで追いつける!)


 ミツの心臓は爆ぜてしまう程の熱を帯びていた。

 その胸中には不敗の決意と好敵手の瑠璃に是が非でも勝ちたい気持ちとがある。


 瑠璃とミツの呼吸がいよいよ近くなり、ミツは最後の力を振り絞るようにして大振りに手を動かした。

 その運動を視界に捉えた瑠璃もまた、脚に全神経を集中させて身体を前傾させた。


 抜き手を切って空気を裂き、両者の呼吸がついぞ重なるといった、その寸前だった。


「決着、決着! 一位は雲居さん、二位は竜胆さんです!」


 テープを切ったのは瑠璃だった。

 眼窩がんかから瞳が零れそうな程に力を籠めた乙女は最後の最後に、一寸の距離を勝った。


 決着の様子に悲喜交交ひきこもごも、雛達が声を上げている。

 やはり虎が勝ったと喜ぶ雛、いや竜は負けた訳ではないと未練がましく唸る雛と様々だ。


 その様子を後目しりめにして、注目の二人は矢継ぎ早に息を繰り返し、瑠璃は膝を折り、ミツは天を仰ぐが、それでも互いの視線は互いに向かっていた。


「あ、あらあら、竜胆りんどうさんってば、惜しかったわねぇ、ふふふ」


 口火を切るのは勝者の瑠璃で、乙女は汗を滴らせたままに落ち着いてきた呼吸になると佳人へと歩み寄った。

 同じタイミングで呼吸が整ったミツは眉間に皺を寄せ、への字に口を歪ませて、憎たらしい笑みを浮かべる瑠璃を睨む。


「な、なぁにが惜しかったよ、調子に乗っちゃって……はぁっ。何にせよ、短距離で勝った事実にそうも喜ばれてはね、呆れてしまうわよ」

「あらまぁ、ふぅ……何にせよ勝ちは勝ちなのだから、これはとてもよい気分だわ。幸先がよいというやつね」

「ふん、いってなさいな……どうあれ何であれ、まだ勝負は始まったばかりなのよ。今に見ていなさいな、雲居」

「ええ、残る競技も全て完封してあげてよ、竜胆さん」

「いったわね……吐いた唾ぁ飲めんわよ……!」

「上等だわ、絶対に負けないわよ……!」


 そうして互い、拳一つ分までの距離で睨みあうと背を向け合って各々の帰るべき場所へと歩みを進めていく。


 二人の表情はいつになく真剣で、そこには同程度の競争心があった。

 二人の仲は周囲からすれば相容れぬような、正しく犬猿のそれにも思えるが、実際に二人の中には憎悪や確執かくしつはないし、やはり好敵手として認め合った仲であるから、そこに負の感情はなかった。


 ただ、元来の負けん気がこうも前面に出てしまうと触発されてしまうのは自然のことで、運動会に出場する雛達の多くは二人の勝負の行く末も当然気になるが、甲乙と分かたれた班別の勝敗に心を燃やした。


「お疲れ様、雲居さん! 凄かったわね!」

「本当、本当! 見事な健脚っぷりに思わず大声を上げてしまいましたわ!」

「走る姿もまた気品があってよかったわよ、流石ね!」


 甲の組とされる瑠璃は同じ班の雛達に持て囃されると照れたように頭をかいて、寄越される賞賛に謙遜しつつも、内心は勝利の愉楽ゆらくがあった。

 散々に負けだ負けだとミツに蔑まされてきた乙女にとって第三者から見ても明らかな勝敗の結末というのは実に僥倖ぎょうこうで、決して己は劣る訳ではないと証明することができた。


 いずれにせよ笑顔を浮かべる乙女の様子は普段の姿よりも輝いて見えた。

 その様子に皆もつられて笑顔を浮かべ、然らば完全勝利をもぎ取るぞとときの声を上げた。


「お気になさらないでくださいな、ミツ様」

「そうですわ、今回は偶々の結果でしてよ」

「ええ、不運にも調子が優れなかっただけのことだわ」


 対するミツの乙組では佳人を労ったり哀れんだりと励ましの声をかけるが、それに対するミツは怒りを口にするでもなく、これは前哨戦であると声を荒げて皆にいう。


 そこには己の負けよりも皆の勝利が重要だというような、皆に期待をかけるような意味合いが含まれていた。


 普段から孤高で余計な言葉を口にしない佳人のその台詞に感動したのか、佳人を慕う雛達や、或いは彼女を知る雛達は、これは佳人の心に報いねばならぬと士気高らかにおうと声を揃えた。


「はえー、すっごいね、三女様ってば。あの高飛車な竜も団体戦となれば将としての器量に相応しく、士気の鼓舞もお手の物、と」

「あはは、高飛車な竜って。何にせよ強敵は強敵だよ。負けてらんないわね、蘇芳すおうさん」


 待機席に戻った瑠璃は隣に座るユリの言葉に笑う。

 成程、確かに飛車は成れば竜であると氷解ひょうかいし、ともあれ王の銘まで与えては敗北は必至だと思う。


「はーあぁ、なぁんで出ちゃったかな、運動会……思ったより欠場した生徒、少ないね」

「結果的にはよかったんじゃない? 少数派になるよりは和気藹々とした空気を楽しみましょうよ」

「そうはいえども合戦さながらの空気じゃないのよ……御覧なさいよ、乙組の士気の上がりよう。三女様が一言口にするだけであれだよ。こりゃ本気だねぇ」

「そりゃまあ、勝負とあれば、あの人も本気になるわよ。何せ負けず嫌いなのだからね」


 まるで知った風な口ぶりにユリは意外な顔をするが、それも当然かと頷く。

 元より怨敵が如くに対峙をする両者であるので、そうなると互いの気質は他の人々よりも熟知しているものとして捉えた。


「しかし来賓の数もすんごいねぇ。見てみなよ周囲の賑わい。まるでお祭りのようだわ」

「いやぁ、流石に少しばっかり恥ずかしいよねぇ……蘇芳さんのご両親もきているの?」

「ええ、多分ね。とはいえ姿を探そうにも、これは至難だわ……」


 マグノリア女学校に限らず、運動会は学校行事においては重要な位置にあった。

 無論に父兄の方々が姿を見せる訳だが、そこには他にも関係各位の存在もある。


 元より各地から集まった令嬢の住まう学校となれば注目の程度も推して知るところがあり、御令嬢の燥ぐ様子を発信せんと各新聞社までもが集った。


 一際目立つのは教会関係の一団で、本営には修道服姿をした人物が複数見えた。

 何やら珍道ちんどうにでも迷い込んだかと思う程に混然としていたが、雛達は無論、父兄の目もあるが故に普段よりも真面目なていを取り繕っているようにも見えた。


「ところで雲居さんのご両親はいらっしゃるの?」

「え? あー、いやぁ……」


 水を向けられて瑠璃は少々困った顔をする。

 まごついた口と迷った素振りを見て、ユリは失言だったかと焦った顔になった。

 しかし瑠璃はかぶりを振り、別に気にしなくていい口とにする。


「流石に遠いからね、父も母も都合が悪いそうで。まあ仕方がないことだし、別に恨んだりもしないわよ」

「そう……やはり静岡ですものね、簡単な距離ではないよね」

「うん。手紙でも散々に謝られてさぁ。別にいいからって、仕事を優先してってね」

「うーん、そっかぁ……」


 己だけが寂しい立場という訳ではないと乙女は理解している。


 先々に触れたようにマグノリア女学校には各地から令嬢が集う。

 そうなれば必然、東京とは離れた位置に家族がある雛達もいるし、乙女の両親と同じように不都合によって足を運べない人々だっている。


 故に我儘を口にするとか、不幸だとかと嘆く真似はできないし、寂しさはあっても堪えるのがせめてもの矜持きょうじだった。


「何にせよ今は勝負の時なんだから、萎れていてはダメよ。そうでしょう、蘇芳さん」

「ありゃま、いつになく燃えているねぇ。これもやはり三女様が関係してかしら?」

「そりゃ当然ね。この運動会であの人に分からせてやるのよ。私は負け犬ではないとね」

「おおう、まるで火炎のようだわ……しからば私も尽力じんりょく致しましょうかね、雲居様?」


 お道化たような台詞を口にして立ち上がったユリは、次の種目に刮目かつもくせよという。


「一年の内で運動の得意な雛は少ないけども。私だってやる時はやるってのを知らしめてやろうじゃあないの」

「あらま、次の競技は語学競争よ? もしや蘇芳さんも出るの?」

「ちょっと、何を不安そうにするのよ。足の速さだけが全てではなくてよ、雲居さん?」

「あはは、そっかぁ、学力も含む競技ならば勝ちの目はあるものねぇ」

「ならばとは何よ、まったく失礼しちゃう。まあ見ていなさいな、余裕の一位をもぎ取ってくるわよ」


 意気揚々と立ち上がったユリは背にかけられる応援の声を聞きつつ、はて、何か違和感があると首を傾げる。


「あれ、そういえば呼び方が〈あの女〉から〈あの人〉に変わっていたような……?」


 以前の呼び方は勘違いだろうかと思いつつ、兎角として勝利せんと奮起して彼女は競技場へと駆け出した。


 勇む少女の背を見送りつつ、さて結果はどうなるだろうかと瑠璃は予想した。

 あれでユリは頭の出来がよい方だった。

 瑠璃程までとはいわずとも数理は得意のようだったし物の覚えも悪くはない。優良な生徒であることは確かだったし、生徒達や教師陣からの信頼もあつい。

 ただし運動能力は凡か、それにやや劣るか否かといった微妙なところだった。


 どうあれ、当人の意欲は十分なようだったし、乙女はそれを信じることにして、では応援でもしようと席を立ちあがり、どこか物見ものみによい場所はないかと周囲を見渡した。


「先はお疲れ様。素敵だったよ」

「でも一着でもないのに、何だか自分が情けないよ」


 そんな折、物見の影でなぐさみの光景を乙女は見た。

 涙を零すのは先の短距離走に出場した少女だった。

 不甲斐ない結果を恥じている様子だが、それを元気づける他の人物の姿がある。


 数度、乙女はこの二人の組み合わせを見たことがあった。

 同じクラスの、特に目立ちはしないが、仲のよい二人組だと思っていた。


 しかし今の状況で声をかけるのははばかられるような、不思議な空気がある。

 それを察するかのように少女達に近付く雛の姿はない。


 乙女の目には、その空気が何と呼ぶべきものかは不明だったが、ただ、それは邪魔立てるような、ないしは割って入るような真似が許されないような、そんな風に思えた。


「なーにを呆けているのかしら、雲居さん?」

「へぇっ」


 茫然としているところに背後から声を掛けられ、更には背をなぞる柔い感触があった。

 驚愕のまま振り返った乙女は、そこに悪い笑みを浮かべるフミを見て、何故にこの人物は一年生の待機場にいるのだと呆れの気持ちが生まれた。


 先の頓狂とんきょうな声から刹那に変化した呆れの嘆息たんそくを聞いたフミといえば不服そうに頬を膨らませ、その態度は流石に無礼が過ぎないかと零す。


「ちょっとちょっと、なぁにその反応は。悪戯をするわらべを叱る時の大人のようだわ」

「その感想が適当ですよ、伊東先輩……こんなところで何をしているんですか」

「何もどうも、今し方に勝利した見目麗しき乙女に賞賛のお言葉をお届けにね」

「はぁ、それはとても有難く嬉しいことですがね……」


 やはりこの人物に限っては常識や規律は意味を成さないのだろうと瑠璃は諦観した。

 それよりも運動会に出場するとは意外で、瑠璃は今になってその事実に気がつく。

 如何に世に知れる極道の娘といえども、こういった行事には参加せざるを得ないのだろうと察した。


「あら、もしかして勘違いをしているのかしら」

「え? 何をですか?」

「ほら、私が真面目に運動会に出場しているとか、そういった勘違いよ」


 その台詞に瑠璃は眉根まゆねを寄せる。


「当然ながらに否も否よ。だって運動が嫌いだからねぇ。足を運べども私は見学者なのよ」

「いやいや全く丈夫に見えるんですが。そもそも体調不良であるならば歩き回るというのも可笑しいでしょうに」

「故にこうして落ち着ける場所を探していたのではないの」

「そこまでの過程は無問題だと……?」

「たった今、私は限界がきてしまったのよ。やはり乙女とはこういった風でなければねぇ」

「どこに儚さを感じるというんですか、馬鹿馬鹿しい……」


 ここまでくると呆れが礼にくるものだと実感し、成程正しくだと瑠璃は完結する。

 兎角として物見の為と歩き回る瑠璃の傍にやってきたフミは、先程乙女が見ていた方へと視線をやり、小さく声を漏らした。


「あらまぁ可愛らしい。やはり一月と半もすれば自然と出来上がるものねぇ」

「……? 何を仰っているんですか?」

「さてね。ところで二年の部は見ていたかしら? 結構足の速い子もいたのよ」

「ああ、いや、その時はクラスの子達と話していて、まったく。今はほら、次の競技に蘇芳さんが出場するからって」

「……あなたもあまり周囲に興味がない部類なのかしらねぇ。まあ蘇芳さんは確かに気になるけども」


 周囲に興味がないのか、といわれて瑠璃は疑問を抱く。

 果たして己はそうも無関心だろうかと首を傾げるが、乙女の反応にフミは笑みを浮かべた。


「別にあざけった訳ではなくてよ、雲居さん。ただ不思議に思えてね」

「不思議?」

「ええ。あなた、蘇芳さんとは仲がよいけれども、他に親しい人物がいるのかしら?」


 そう問われて頭に浮かぶ人物はただの一人だった。

 それは好敵手の竜胆ミツだった。

 しかし彼女との関係性に友情はない。互いは先の夜の会話でもそれに頷いている。


 ただ、では他に誰か特別に親しい人物がいるかとなると、そこに浮かぶ顔はない。

 当然ながらにクラスの雛達や、同じ学年の人物達との馴染みはあるし、やはり会話もあれば互いの名を呼び合う時だってある。


 だが、それだけとも呼べた。

 ユリの場合は同室であることも関係するが、それは友人の部類だと瑠璃は思っているし、それはユリも同じくだった。


 瑠璃は自問するが、結局、親しい人物の名前は浮かばなかった。


「意地の悪い質問だったかしらね。別に数が多ければよいという訳でもないのにね」

「え、ああ、そう……なんですかね?」

「特にあなたは、やはりその見た目もあるから、故郷でも苦労をしたように思えるけど」


 フミの予想は的中していた。実際、故郷には友人と呼べる人物が複数いる。

 だがそれに勝る数の苦労や讒謗ざんぼうがあり、絶えない環境でもあった。


 生まれは誇れども環境はそれを揶揄やゆする。

 世の価値観は近代化のそれに伴っていないのではないかと瑠璃は幼い頃から思っていたが、過去を思い出した瑠璃の顔には少々の険しさがあった。


「……他者と親しくなるのって、どうにも難しいというか。ここの皆はよくしてくれるし、それはとても有難いことなんですけども。ただ、それに不慣れで」

「優しさに不慣れというのも悲しい話しねぇ……私なんかもまぁ、似た境遇というか、いや逆に遠い境遇というかだけども、何となく分かるわよ」

「逆の境遇?」

「ほら、何せ我が家は極道でありますのでねぇ」


 皮肉のようにいうフミだが笑みはいつも通りだった。

 幼い頃から蝶よ花よと愛でられてきたフミにとって他者からの優しさは当然のようにも思えたが、それらは全て恐怖に由来するものでもあると彼女は理解していた。


 どうあっても伊東の大親分を敵に回す真似はしたくはないだろうし、たかだか小娘といえど、そこに伊東家嫡女という肩書がつけば話は別だ。


 故にフミは今に至るまで特別の扱いのままに生きてきた。

 下手をしたら華族にも劣らぬ超絶の環境だったかもしれない。


 ただ、そこに自然のような愛や親切はなかったのだろうという気持ちがフミにはある。

 恐怖が前提としてある事実を知るが故に、彼女にとっても他者との関わり合いというものに自然や普通というのが少々理解し難かった。


「故にああいったものに羨望せんぼうを抱いたりもするのよね」

「ああいった?」

「あなたが先程見つめていた乙女等よ」


 フミと瑠璃は振り返り、先の雛達の姿を探したが、既に場所を離れたようだった。

 瑠璃の脳裏に先の光景が過る。

 慰めの景色には不思議な空気があったが、それでも自然とそこに意識が向かうくらいには、乙女の中に引っかかる何かがあった。


 それの正体は分からないが、それを友愛に対する羨望と呼ぶにせよ、果たして己に先のような慰めをしてくれる人物はあるだろうかと疑問し、否と即答できるくらいには、やはり特別な人物は存在しなかった。


「親友、というやつなのでしょうか? それに近しい人物となると蘇芳さんなんですけども、何だか少し違うような気がして」

「ああ、それは間違いなく否よ、ダメダメ。別にあの子が見合わないとかいう訳じゃないわよ? 実際、あの子は可愛い部類ですもの」

「そもそも伊東先輩が頷けるか否かって、それ重要ですか?」

「当然じゃあないの。私は大目付おおめつけね。従って私が認めない人物であるならば、それは相応しくはないのよ」

「それっていうのは?」

「先の乙女等のような関係よ」

「親友というやつですか?」

「あはは、そんなものではないわよ」


 フミの目が瑠璃の瞳に映る。

 大海を思わせる碧の眼に美女の笑顔が映る。

 その口が震え、言葉が生まれた。


「恋人よ」


 火薬の爆ぜる音がして、それと共に競技が始まった。

 競技者の内にはユリの姿があり、彼女は走り出すと用意された問題を手に取り、それを机上で解いていく。

 結果はどうなるだろうかと皆は注目するが、周囲の様子を他所に、瑠璃は目を見開いてフミを見つめていた。


「驚きの顔ね」

「……真似事ではないのですかね、ここでの恋というのは」

「あら、察する節があると?」

「幾度か、そういう視線を寄越されたり、黄色い声を貰ったりして……」

「人気者ねぇ。引く手数多なのは事実なのよ、あなた」

「……先のあれは、恋人の関係だったのですか?」

「ええ、誰がどう見ても明らかにね。負けた半身を慰める半身というやつね。深い絆を前にしては、流石のあなたであっても受け入れ難い現実に思えたかしら」

「或いは――」

「或いは気の迷いだとか、隔絶された限定的な環境が故に、そうなるのではないかと?」


 やはり似た気質の持ち主は似た台詞を口にするものだとフミは呟く。


「あまり他者の気持ちを侮らない方がよくてよ、雲居さん。当人達は本気なのよ。本気で恋をして、本気で愛の気持ちを抱いて、それを口にして、あの子等は結ばれたのよ」

「でも、私達は同性ではないですか」

「それの何がいけないのかしら?」

「何がって、先ずを以って我々の通うここはミッション系でも知られるように、教義がありますし」

「真面目なことを口にするのねぇ。まあそれが故のあなたなのかもしれないけれども」


 よく目を凝らしてみなさいとフミはいう。

 それは周囲をよく観察しろと、刮目せよという意味合いだった。


「ねえ、先の二人の違和感に気がついたのならば、そろそろ分かるのではないかしらね。乙女が乙女に恋をするのは、別に異常でも何でもないということに」


 成程と思う。

 瑠璃は確かに有り得るのだろうと、この瞬間に理解をする。


 運動会当日、雛達の多くが予想に反して出場したのには理由がある。


 それは憧れのあの人の活躍を見る為。

 それは恋しい人物を応援する為。

 それは気になる誰かを心配したが為。


 雛達は各々、特別な気持ちを抱き、来賓の誰彼や身内の誰彼などは端から眼中になく、己にとって特別な人物の為に出場を決意し、今に至る。


 瑠璃は見た。

 雛達の多くは、今出場する選手の誰かを見ていたり、隣り合う誰かと手を繋いだり、気がはやる誰かを宥めたり、各々は各々の恋をそれぞれの形で確かに育み、或いは成就せんと祈り、視線の先にある想い人を見つめている。


「それが隔絶された限定的な環境だからと安直に答えを出すのではなく、もっと深く考え、哲学をするべきだわ」


 ねえ、とフミは瑠璃を見つめた。


「それを〈お〉と呼ぶも〈エス〉と呼ぶも何でもいいけれどもね。あなたもそろそろ気付いてくれたかしら?」


 ああと瑠璃は思った。

 その瞳の色合いは正しく今し方見た雛達の多くと合致するものだと乙女は理解した。


「だからね、雲居さん。あなた、私の稚児ちごになるのは如何かしら?」

「へえぇ?」


 頓狂な声に顔を赤くした瑠璃は、それのどこが可愛らしい告白なんだと思いつつ、やはりこの美女は独特にも程がある感性を持つのだと思った。

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