古くは無宿むしゅくの通り者や博徒ばくとで形成された任侠にんきょう組織というのは地域に縄張りを持ち博奕ばくえき等で運営していた。


 股旅またたびと呼ばれるように各地の渡世人ヤクザは地方を巡ったり他組織との連携を図ったり、幕府とまで関係を持つことも少なからず、闇の力が持つ影響力というのは多大な物があった。


 それでも明治中葉には賭博とばく犯処分規則が運用され、これにより全国に存在した数多くの組織は崩壊し、以降の市井しせいでは暴力沙汰も減り平和な世が生まれる。


 ところが平和な世も長くは続かなかった。

 結局は明治末葉にもなると複数の組織が頭角を現し、腕の知れた梟雄きょうゆうに群がっては再度勢力を伸ばしていく。


 その内の一つに伊東いとう一家はあった。

 東京に根差ねざした当組織は頭目に伊東の大親分なる人物を頂き、その支配力や影響力というのは帝都全域にまで広がったという。


 例えばユリの御家は大店おおだなで知られる蘇芳すおう屋だが、これとの関係性は以前からのもので、他にも大きな間口まぐちを持つ複数の商店と関わりがある。


 また、伊東の大親分は帝都一の〈高利貸し アイスクリーム屋さん〉とまで揶揄やゆされたというから、その懐と彼の持つ影響力というのは、正しく帝都の闇を牛耳ぎゅうじる悪の親玉と呼べた。


「何もそんな反応しなくてもいいじゃない、雲居くもいさんったら。それに蘇芳屋さんも大袈裟な風にいわないで欲しいんだけどなぁ。私自身がヤクザだってんじゃないんだから」


 大声をあげた瑠璃に対して周囲の雛達は何事かと注目する。

 そうすると瑠璃とユリの他に上級生がいると分かり、更にその人物がフミであることを知った複数名の雛達は黄色い声をあげた。


 理由としては単純なもので、このフミもやはりというべきか、名の知れた人物だったのは間違いない。

 無論、そこには伊東一家という名が関係するが、それはまた別にしても、やはり圧倒する程の美貌だとか、その飄々とした態度や無頼ぶらいをも思わせる自由気ままな姿に多くの女生徒は憧れを抱いていた。


 例え本人が大親分の一人娘であるとはいえ、それとこれとは別という意見が多数あり、実際に恐れる人々もいたが、恐怖する割に視線には熱が籠っているのもまた事実だった。


 兎角、皆は予想外の人物と、時の人の扱いをされる瑠璃が会話をしている光景に歓喜のさまだった。

 片や田舎娘に、片や極道の娘とはいえ、それらの情報が霞むくらいには絵画に匹敵する程の美しい光景に映った。


 皆は注目をする訳だが、咄嗟に出た大声に瑠璃は恥じ入るように顔を赤く染めて、ユリはユリで強い眼差しで、フミは困ったように頭をかいていた。


 フミ本人からすれば他者からの注目は慣れたものではあるが、流石に大勢に、しかも授業の最中に騒がれるのは本位ではないし、出来るならば見過ごして欲しい本音もある。


 何せこうも注目が集まって、更には騒ぎになってしまうと、普段から見て見ぬふりをしている教師陣も注意をしない訳にもいかず、現に今し方、盛り上がっている雛達を叱りつつも人波を割いてやってくる大人の姿があった。


「伊東さん、何をしているのですか!」

「あーあ、ほらね……」


 駆けつけたのは体操の授業を受け持ち、今現在も雛達に指導していた人物だった。

 教師の女性は渋い顔でフミの前に立つと、全くといっていい程に反省の色のないフミを見て嘆息たんそくし、眉間みけんに寄った皺を解しつつ冷静に言葉を続けた。


「……伊東さん。流石に下級生の授業まで邪魔をされては困ります。こうもなっては注意せぬ訳にはいきませんので、生徒指導室にどうぞ」

「ええ、当然のことだと思いますよ、特に不服もありませんので……そういう訳だから、また今度話そうね、雲居さん」

「え、あ……はい……」


 腕を掴まれて連行されるフミは瑠璃にそんなことをいう。

 対して瑠璃は未だ呆けたような反応だったが、呆気無く簡単に確保されたフミが意外でならなかった。

 性格的に反発するだとか、暴力を好むようには見えなかったが、かといって教師の命令に大人しく従う性分でもないように思っていたからだ。


「はぁ、何とかなったね……全く、あれ程に自由奔放なお方も他にはいないよ」


 ユリの言葉に瑠璃は頷きかけるが、果たしてあれは自由だとか気ままの程度で済むのかとも思う。

 それというのは身勝手な様子と何が違うのか、という疑問だった。


 マグノリア女学校には多くの令嬢があり、その生まれというのは千差万別だが、それでも大多数は世間的にも名の知れた家格かかくの雛達ばかりだった。


 確かにフミの御家というのは、恐らくは特殊に匹敵する程の家格と呼べるが、だとしても勝手気ままに過ごす生き方というのは自由ではないし、教師陣の顔から伺えたのは、触れ難い人物という風なものだった。


 そうなると誰も直接にとがめることも罰することも出来ない訳で、それに乗じるように本人は日々を過ごしている。

 そこに苦労や努力は伺えないし、やはり先日の茶の席からしてもあまりにも身勝手だった。


 元より独特な人物だという思いが瑠璃にはあったが、今し方のやり取りを前にして思うのは、あの美貌が惜しく思える程に放漫ほうまんが過ぎるというような呆れだった。


「それにしても……よもや先日の件が伊東様関連だとはねぇ、雲居さん」

「あっ。あー、そのぉ、なんというかね、こう、あまり他者を問題の発端のように語るというのがね、私はどうにも嫌でね、あはは、あは……」


 じろりとユリの視線がやってきて瑠璃は焦ったような反応になる。

 更には接近されるとしどろもどろに後退るが、尚も詰め寄ったユリは責めるような口ぶりだった。


「そうはいえども先輩に、ましてあの伊東様に無理矢理に連れ攫われたら逆らえる人物なんて数が知れるじゃない。で、あるならば雲居さんは悪くないでしょう?」

「けれども事実として私は授業に参加していなかったのだから、それを仕方がないで済ますというのもまた違うでしょう?」

「いやいや、発端があるとして、それも無理強いのような形だったのなら釈明しなきゃだって。さもなきゃ一方的に悪者にされてしまうじゃないの」

「いわんとすることは分かるんだけど、なんかなぁって。それって言い訳じみている風に思えてしまってね……」

「言い訳じゃないよ! 兎角、そうと分かったんなら先日の件も含めて、後で教師の方々に説明をしなきゃ!」


 奮起するようなユリに対して瑠璃は心底困った顔だった。

 元より済んだ事柄だったし問題を大きくするつもりもない。


 確かにフミに対する呆れのようなものは生まれたが、それでも瑠璃の中に彼女を嫌う気持ちはなかったし、先日の一見が面倒だったという気持ちもない。


 ただ、時と場合が全てだったと乙女は結論している。

 それこそ休日の何もない日であれば瑠璃は満足するまで茶の席を堪能しただろう。


 会話にせよ何にせよ、その距離感も含めて独特で、これまでの生涯で出会ったことのない人種だったのもあり新鮮だった。

 時に困りもしたが、やはり統合して拒絶を抱く程の、または嫌悪する程の人物だとはならなかった。


 だから瑠璃はいきどおるユリをなだめようとするが、これは難儀しそうだと瑠璃は思う。

 恐らくは古くからの知り合いが相手だからというのもあるだろうが、そうはいっても当人の意思としては波風は立てぬが吉という判断だった。


「大丈夫だって、蘇芳さん! そうも心配してくれるのは嬉しいけど、もう終わった問題なんだから!」

「いいえダメよ、あのお方はね、一度徹底的に叱られねば分かりゃしないんだって! あの性格だって幼い頃からのものでね、それこそ自由が過ぎる程に何でもかんでも許されてきたんだからね!」

「いいから落ち着いて、蘇芳さんってば!」

「ぐぬぬ、思い出したら尚のことに許せない! これだから伊東の人ってのは!」


 騒ぐ乙女達の声というのは学舎の中にまで届いていた。

 今も尚授業の最中にある雛達は何事かと窓辺から様子を伺うが、そんな空気に教師の方々は苦言を漏らす。


 説教混じりの授業に雛達は不服そうな顔をするが、その内の一人は先から教師の文句も他所に、未だ大声で騒ぐフミや、それを宥める瑠璃を見て、何とも無様な奴らだと呆れの息を漏らした。


「ミツ様、如何なされましたか?」

「何かご不満な出来事が?」


 嘆息したのはミツだった。

 窓辺の席に座る佳人かじん眉根まゆねを寄せていた訳だが、そんな佳人の反応に耳聡みみざとく機嫌を伺うのは隣席と前席に座る生徒達だった。


 まるで侍女じじょが如くで、寄越された台詞に対してミツは一度ばかり視線を少女達に向けると、何をそうも大袈裟にするのだと改めて溜息を吐いた。


「別に、外が喧しいという、それだけのことよ」

「成程氷解ですわ。確かに喧しいですわね」

「ええ、声からして、あれは……ああ、蘇芳屋の娘さんと、雲居様ですわ」


 名前を挙げた前席の雛は頬を赤らめて、やはり騒ぎの絶えない人物だと笑っている。

 それはあざけりではなく素直に面白がるような反応だった。


 分かりきっている内容だったミツからすれば、一々言葉にするなという感想だったが、耳を傾けていたクラスの雛達は花咲いたように空気が盛り上がった。


「やだ、また雲居さんが騒ぎを? 困った人ね」

「いやいや、騒いでいるのは蘇芳屋のご息女よ。あの方もお声が大きいから」

「もう少し落ち着きを持ってほしく思いますわね。まるでわらべのようで恥ずかしいわ」

「しかし様と呼ぶのも如何かしら、こうも男児の如くにはしゃがれては敬う程の人品にはね」

「あらま、では雲居様の学力や健康的な姿は評価に値しないと?」

「そういうのとはまた違う、謂わば品格でしょう。正しく人品骨柄じんぴんこつがらというものよ」

「なら尚の事に様と呼ぶに値するんじゃあないかしら。あの豪放磊落ごうほうらいらくな様を見なさいな」

「いやいや、それはよっぽどに淑やかとは程遠いじゃないの」

「ええ、正しく男児を呼ぶ言葉だわ。淑女足らぬわよ」

「分かっていないのね、あなた達。快活かいかつな様こそに女性の本質があるのではなくて?」

「どういう意味よ? よもや嘘偽りのない姿にこそ美しさがあるとでも?」

「ちょっと、それだとまるで私達が偽りに塗れた風な物言いじゃないのよ」

「実際にそうではなくて? そもそも当人を他所にして格付けして騒ぐというのが――」


 次第に波及はきゅうする話題に心底うんざりするのはミツと板書する教師だった。

 いよいよ争いでも生まれそうな空気になると、そこで教師は振り向いて叱責しっせきに大声をあげる寸前だった。


 ところがそれに僅かに勝る速度で立ち上がったのはミツで、佳人は冷めた口調で言葉を紡ぐ。


「少し体調が優れぬので、失礼いたしますわ、先生」

「え、あ、分かりました……誰か付き添いは?」

「要りませぬ。それでは」


 静かな足取りで教室から出ると、それまで小さな騒ぎのあった教室では怒りを露わにした教師のお叱りが響いた。

 つんざくような声量にミツは耳を塞ぐと変わらない速度で階下へと向かった。

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