午後の時間に瑠璃は妙な状況にあった。

 普段通りであれば授業に出席して、それの内容が乙女の好みであれば熱中し、苦手な部類であれば四苦八苦とするところだったが、この日においては通常とは異なった。


 乙女は己の住まう棟とは別の宿舎にいた。

 室内の様子はおおむね乙女の住まう環境と変わらない。

 低いテーブルがあって、そこには湯気の立つ紅茶と茶菓子があった。


 それに手を付けもせず乙女は複雑な表情で、視線は幾度も窓の外へと向かう。


「ふふ……先から落ち着きがないのね、あなた」

「え、あ……そりゃあ、まぁ……」


 乙女の様子に小さな笑いが生まれる。

 それに頭を掻きつつ、乙女は己と相対する位置に座る人物を見た。


 亜麻色の髪を赤いリボンで結わえた美女で、同じく赤いスカーフの色合いから上級生であることは明らかだった。


 先の騒動の後、乙女の意思を聞きもしないうちに美女は手を取ると、まるで連れ去るようにしてこの部屋へと招き入れた。

 突然の出来事だったが抵抗の一つもしなかった自身を疑問に思いつつ、兎角として瑠璃はカップを手に持つと内容を啜る。


 中々に味わいは親しみのある風で、それというのは、美女が普段から紅茶を好み、これをよく淹れているからだろうと察した。


 故郷では中々手に入れ難い高級品の一つではあったが、それであっても瑠璃にとって紅茶の味は慣れ親しんでいたものであった為に自然と安堵感に包まれる。


 落ち着いた様子の瑠璃を見て再度笑った美女は、茶菓子も食べるといいとうながす。


「所謂はジャンクと呼ぶのよ、こういった行為を」

「ジャンク……菓子類の持ち込みだとかそれの飲食、でしょうか」

「そうそう。それにしてもやはり似合うわねぇ、こうして眺めていても画になる」


 窓辺で紅茶を嗜む金髪碧眼きんぱつへきがんの乙女というのは、中々に完成されたような美しさがあった。

 それを思ったままに口にした美女に対して瑠璃は照れたようにすると、先と同じように頭を掻いて僅かに顔を伏せる。


 そうしている合間に、何故に己はこのような状況にあるのかを瑠璃は思っていた。


 今も相対する人物のことを乙女は知らないし、お互いは名乗りもせずに自然のことのように午後の茶と洒落こんでいる。

 窓の外では通常の通りに雛達が勉学に励んでいるだろうことを考えると、よもや入学から間もなくサボタージュをすることになるとはと、乙女は自分自身に落胆していた。


「あまり顔に陰を落とさない方がいいわよ。一先ずはお茶を味わうのがいいわ」

「そうはいいますけども、その……今更ですが、何故に私をお誘いに……?」


 へりくだった態度だったが、ずをって美女の目的が不明で気味の悪さを乙女は抱く。


 少なかれ好意的であるだろうというのは分かれども、不良が如く相手の都合もお構いなしに連れ立って、更には罪の意識の欠片もないような、当然な態度が異様にも思えた。


 問いに対して美女は首をかしげ、はて、理由か、と呟いた。


「それというのは結構単純なの。あなたに興味があって、それでね」

「それで、って……あのぅ、私にも学生としての本分というのがありまして、それは恐らくあなた様にもあるのだと思うのですが……」

「至極真っ当なことをいうのね、噂の人物というのは結構常識人のようで意外だわ。けれども私のことはよいのよ、気にしないで」

「いや私の問題でもあるというか、そもそもが私にとっての問題というか……」


 どうにもこの人物は天然めいていた。

 独自の感覚の中で生きているようで疎通そつうに少々のかけ違いを乙女は感じる。


「けれどあなたはついてきたじゃない。で、あるならば今更ではないかしら?」


 ところが美女は実に的確に真実を突きつけるものだから瑠璃は反論の余地を失った。


 実際に、瑠璃は美少女に連れ込まれはしたが、そこに反抗するような素振りはなかったし、手を振りほどくこともしなかった。

 乙女の胸中には驚きと突然の出来事による混乱というのはあれども、何故にかは不明だが、乙女はさっぱり拒絶の意思を見せなかった。


 その事実を突きつけられ、かつ、胸の内で反芻はんすうすると、先の邂逅かいこうから今に至るまで、あまりにも不可思議な状況が続いていると首をひねる。


 或いは、それは魔性のような気質ではないかと乙女は思った。

 視線の先で優雅に茶を楽しんでいる美女は、やはり幾度見ても、どの角度から観察しても完全を思わせる程に美しい。


 仮に美少女の隣に竜胆りんどうミツのような佳人かじんが並んでも見劣りはしないし、どころかいい勝負になるのではないかとも思う。

 しかしその美貌を差し置いても、浮世離れしたような気質というか、纏う空気感だとか佇まいだとか、所作のたおやかさや言葉の穏やかさが自然のように他者の心のうちへと入ってくる気がした。


 また、落ち着いた早さの言葉に声の高低感が耳に心地よく、間の取り方も美女独特の感覚があり、それが不思議な程、気持ちのよいものだった。


 結局、乙女は美女のかもすそれらを真正面から寄越されて、まるで己の意思など介在する余地もないように自然なままに誘われ、現状に至った。


 その事実を美女本人の口から突きつけられたが故に瑠璃は反論も出来ずに口をまごつかせると、諦めたような顔をして再度茶を啜る。


「まぁそうも落ち込まないで。サボタージュといえど初犯でしょうし、私に無理矢理のようにさらわれたとでもいえば、先生方もある程度の容赦はしてくれるだろうから」

「え……? それって、どういう……」


 乙女の不安を払拭ふっしょくする為か否かは不明にせよ、美女は落ち着いた声色のままに言葉を紡ぐ。

 その内容を聞いて、果たしてそれの意味合いとは何かと疑問を抱く乙女だが、美女はただ笑うだけだった。


「えぇと、あなた様は先輩ですよね? そのスカーフの色からして、確か二つ上の……」

「ああそうだった、そういえば名乗りもしていなかったかしら。ごめんなさいね、どうも昔から抜けているのよ、私」

「はぁ……」


 赤いリボンを揺らした美女は瑠璃と向き合う。

 優し気な瞳に邪な色合いはない。

 それは無垢のようで、やはりこの人物は独特な感覚で生きているようだと瑠璃は思った。


「私は伊東いとうフミ……仰る通りに二つ上の歳よ。けれども背の差は然程ないから、実際、歳の差というのは重要ではないように思えるわね」


 姓を伊東、名をフミと名乗った美女は瑠璃に接近すると乙女の頭に手を置いて、次いで自身の頭にも手を置いた。

 その行動の真意は不明だが、気質は魔性といえど内面は子供のようだと瑠璃は思う。

 そうすると、このフミという女性は対極の二面性をあわせ持つ、正しく独特な人物なのだと理解した。


「ええと、伊東先輩、でよいのでしょうか」

「好きに呼んでいいわ、私もあなたのことを好きに呼ぶから」

「じゃあ、伊東先輩……再度訊きますけど、何故に私に興味を……?」

「そうねぇ、新たな雛の内で中々に問題を抱えたのが二人いると聞いたのだけどね」

「はあ……」

「片や竜胆一族の末子で、片や学者の娘だというのよ。そんな結構な肩書を持つ二人がね、まさか入学式をそっちのけで互いの威信をかけて殴り合いをしていると聞けば、それは当然に興味を抱くと思うのだけど」

「あー、然様で……」


 やはり全校生徒に知れ渡っている様子だったが、改めて上級生にいわれると、これが中々に堪えた。


 それというのは羞恥心で、瑠璃は今更ながらに子供の喧嘩というのは第三者から見た場合、実に下らないものなのだろうと痛感する。


 何せフミは面白いように語るのだから、内心では笑い事ではないと叫びたくもあるが、そう反論するのもまた子供のように思えて瑠璃は顔を背けた。


「けれどね、その噂の内容というのは、実際、喧嘩の云々よりも二人の見てくれが顕著だったりもしてね」

「え?」

「ふふふ、面白いでしょう? 人というのは、生まれや家格だとかを重要視するし、そういった暴力行為を咎めもする。にもかかわらず暴力少女の二人が超絶の美少女だと分かると華やいだような騒ぎになるのよ」


 その言葉が意味するところは実に簡単なものだった。

 どうやら雛達の間における瑠璃とミツは人格や家格、暴力性等よりも、見たままの美しさにこそ注目し、終いにはファンクラブのようなものまで出来上がる。


 知らず内に、それも入学から間もなくの間に組織化されていた事実からして瑠璃とミツの人気というのは異常にも思われるが、それ程に皆は乙女と佳人の美しさに夢中だった。


「それでまあ、噂を聞く内に、いつか話してみたいものだなぁと思っていたんだけど……実に都合のよいことに、先の騒ぎであなたを見かけたってわけなの」

「見かけたついでにいい機会だからと、話しの席を設けたということですか……」


 やはり子供のような性格にも思えるが、それを実行して、しかも他の問題を気にしないところが、やはりフミの独特な感性だと瑠璃は思った。


「まあ幾度も訊かれた内容だろうから、何故に喧嘩をしたのだとか、相手を竜胆一族と知ってのことかとは訊かないけれども」

「それは有り難い……実際、辟易へきえきする程にそういった疑問ばかり寄越されるものでして」

「ふふふ、そうでしょうね、何せ女であるのだから暴力なんてものは御法度、どころか考えにも及ばないもの。普通はね」


 不思議と〈普通〉という言葉が強調された気がして瑠璃は疑問を抱くが、乙女の反応を他所に、フミは身を乗り出すようにして瑠璃へと迫った。


「それで、もうこの学校には慣れた?」

「え? ああ、ある程度は、ですけど」

「それならよかった。こういったサボタージュもね、結構、色んな子がやっているのよ。御令嬢とはいえ問題児は少なくはないのよ」

「へえ、意外ですね……」

「何せ年頃の乙女なんだもの。だから皆、色々な問題を抱えたりするものよ」


 問題と口にしたフミを見つめて瑠璃は納得した。

 成程確かにと頷き、それは己の前に座る美女も含まれるのだろうと乙女は思った。


「伊東先輩も、こういうことをよくするんですか?」

「そうねぇ……気が乗らない日というのは誰にだってあるでしょう? そういう日は無理をしないと決めているの」


 当然のような物言いに、これもまたミツとは別の意味合いで我の強い性分なのだろうと瑠璃は察する。


「けれども……こうも自由のように菓子を食べるだのお茶を飲むだのと、伊東先輩って結構、派手にしているのですね」

「派手かぁ、うーん、どうかしらね。特別に許されているわけではないし、やはりジャンクと称するのだから秘密の行為に違いないわ」

「それにしたって私のような下級生を連れ込むだとか、正しく自由奔放に思えますよ」

「そうかしらねぇ。昔からこういう風に生きているから、恐らく先生方も諦めて見逃してくれているのかもね?」

「えぇ、そうも簡単に……?」

「或いは複雑極まる過去があったりね?」


 思わせぶりのように声を潜めていうフミだが表情は笑っている。

 己は揶揄からかわれているのだと瑠璃は理解して、この人物に限ってはそんな過去がある訳がないと呆れた。


 小さく溜息を吐きつつも瑠璃はカップに残った内容を飲み干す。

 洗練された所作にフミは少しばかりの感動を覚え、見事である、と呟いた。


「何れにせよですよ、伊東先輩。こういった持て成しは有難くもありますけど、やっぱり授業に出なければ……」

「うーん、どうにも真面目よね、あなたって。本当にあの三女様と喧嘩したの?」

「ええ、決着はまだですけどね」

「まるで時代を違えたさぶらいのようね。勇ましい。けれど結構、そういうの好きよ、私」


 優しく微笑むフミに再度呆れた顔をする瑠璃。

 乙女は残った茶菓子もそのままに立ち上がると軽く礼をした。


「お茶、美味しかったです。有難うございました、伊東先輩」

「あら、もう行くの? もう少しお喋りしてもいいんじゃない?」

「……父母に申し訳がないのですよ。私は別に不良ではないですから」

「殴り合いの大喧嘩をしておいて?」

「それはそれ、これはこれ、というやつですよ。それでは失礼……」


 魔性の美女のお誘いというのは断る余地すらなかったが、それであっても瑠璃にとってサボタージュのような逃避は考えにはなかった。


 無論、苦手な科目等はあるし、本日の授業に間に合うかといえばそれは否だった。

 けれどもやはり、乙女は不真面目ではないし勉学自体が嫌いではない。

 まして父母の勧めで、かつ、己の意思によるものではないにせよ、折角入学した名門の授業というのはそれだけでも価値があるのは事実だった。


 故に乙女はある程度の満足を果たしただろうフミを一瞥いちべつするとそれきりで、背を向けて部屋から出ようとする。


「ねえ、今度また誘ってもいい?」


 そんな瑠璃の背にフミの言葉が投げかけられる。

 瑠璃は少々の迷いを抱いたが、別に嫌な気持ちでフミと会話をしていた訳ではなかったのは事実だった。


「こういう形式でなければ、無論、構いませんよ、伊東先輩」


 素直に思ったことを口にした瑠璃にフミは安堵したような笑顔を浮かべた。

 振り向いた先にそんな顔があるからか、釣られるようにして瑠璃も笑顔を浮かべ、改めて頭を下げて退室しようとする。


 ところがそんな折に、フミは自然な口調のままに乙女へと言葉を紡いだ。


「或いはその美しさが他者を狂わせるのかもしれないわよ、雲居さん」


 言葉の意味を理解しかねて瑠璃は顔を上げる。


 そこには笑顔がある。

 先と変わらぬまま、亜麻色の髪をした美女の、薄氷に佇む精霊を思わせるような笑顔がある。


「……少しばかり気をつけなさいな、雲居さん。あなた、あまりにも魅力的だから、誰もが注目しているのよ。それがどうにも心配でね」

「え……?」


 やはり意味の分からない内容で瑠璃は困った顔になった。

 対してフミは笑顔を浮かべたままに言葉を続ける。


「もし、稚児ちごの誘いがあれば私のところにくるといいわ」

「ちご……? 何ですか、それ?」

「……そのうち分かるわ。さあほら、真面目なのでしょう? 走れば授業の半分程は間に合うと思うわ。だから走る、走る!」

「え? あ、え? ええと、それじゃあ、また……」


 瑠璃は背を向けると小走りで去っていく。

 その背を見送るのはフミがただ一人。


 暫く開け放たれた扉を眺めていたフミは思い出したように立ち上がると、扉を閉め、再度窓辺へと歩み寄ると先まで瑠璃が使用していたカップを手に取った。


 縁を指先でなぞると、それの輪郭を確かめるように己の唇へと指を這わせ、少々の沈黙を挟み、小さな声量で言葉を零す。


「危ういなぁ、あの子……せめて噂の暴力性が前面に出るような子だったら、幾分も安心だったのに」


 フミは改めて紅茶を注ぐとそれを口に含み、吐息を漏らすと窓辺から外の景色を見下ろす。


 眼下には焦った様子で駆け抜けていく乙女の姿があり、それを見て笑みを浮かべると、やはり真面目な人物だと面白そうに呟いた。

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