十八 父の気持ち


 それを告げられた時、アリスは戸惑った。


『いいかい、アリス。お前はいずれベリア卿の御子息の下へと嫁ぐんだよ』


 そう言ったのは実の父であるティレル侯爵だった。

 何故一人娘である己が嫁ぐのかと言うのも疑問だったが、何よりとしてそんな取り決めを交わした覚えが本人にはなかった。


『なんで? わたしはいやだよ。しらない人のとこになんて……』

『なに、きっとアリスも気に召すさ。ベリア卿も、そしてベリア卿の息子殿も気に入るさ』


 通常、女性に爵位継承権は存在しないが英国は例外的にクイーンの同意を得ることで可能にもなる。

 だが大抵は一人娘だろうとも他家に嫁がせるのが普通だった


 貴族の婚姻というのは同格が望ましく、このティレル家もベリア家もほぼ同格の家柄であった為、両家長は大変乗り気だった。


 決してティレル家が絶える訳ではない。

 それは併合を意味し、女子に継承権はなかろうとも生まれた子が男児であった場合は継承権が発生する。


 この場合、子には二つの爵位が叙される。

 侯爵と公爵だ。

 通常は爵位の上位である方を名乗る為、必然的に公爵の地位を賜る。


 兎角、そんな背景はまた別にしてもアリスはまったく納得がいかない。


『いやだよ、お父様! わたしが侯爵になるから、だからよそにいきたくない!』

『……これもお前の為なんだよ、アリス』

『なにをいってるの? わからないよ、お父様!』

『貴族とは、爵位を賜ることと言うのは……このティレルの家督をそのままに受け継ぐことと言うのはね、アリス。それは……血に塗れることを言うんだ』


 それは彼の一つの策だった。


 確かに英国では女人に対する爵位継承も可能となるが、ティレル家こそは騎士の家系。

 戦時となれば真っ先に先頭へと駆り出される。そうなれば如何に女人と言えども関係がない。


 それが貴族。

 それこそが地方を束ねる力を与えらし家柄だ。


 ティレル卿はアリスの頭を撫で、諭すように言葉を紡ぐ。


『幸せを、そして豊かさを……得んが為にと人々は争う。アリス、お前はそんな景色に巻き込まれる必要はない。ベリア卿の下で平和に暮らすべきなんだ』

『わからないよっ……お父様! いったいなにがっ……』

『……クイーンは野心家だ。それは国を育むが……最早英国に血は絶えないだろう。この先の未来、戦火渦巻く世で、お前を絶望から護る為にもこれは必要なことなんだ。それが父の為すべきことなんだよ、アリス』

『お父様っ……』


 父の愛情は娘の思いを粉砕する。

 それは悲しく辛いことだが、それでも死なせるくらいならば恨まれても構わないとティレル卿は判断した。


 幼いアリスには彼の思いが分からない。

 何故好きでもない者のもとへ行かねばならないのかと混乱し涙まで流す。


 アリスの頭の中にはシャロの顔が浮かんでいた。

 許婚の件を聞かされて真っ先に彼女を思った。


(いやだよ……なんでっ)


 恋とはそう言うモノではないはずだった。

 自然的で、或いは運命的なはずだとアリスは幼いながらに理解していた。


 そう、それこそはシャロと出会った時のような、まるで夢の心地に浸るような、そんなものであるはずだ、と。


 ◇


 村から帰陣したアリスとシャロ。

 アリスはシャロの寝室に閉じこもり、対してシャロは居間で一人寡黙になった。


 両親の姿はない。恐らくは何かしらの作業をしに出かけたと思われる。


(……言いすぎたかしら)


 先の問答で口にした台詞。

 それは従者としては紡いではならない言葉だった。

 だがシャロは後悔をしつつも間違いではなかったはずだと思う。


 現実を忘れるだとか無視することは不可能だ。

 アリスには許婚があり、その取決めを破ることも同じく不可能だった。


 アリスには定められた者がいると思うとシャロは胸が苦しくなる。

 次いで先程見たアリスの泣き顔を思い出すと表情は険しくなった。


「……何をやってるの、わたしは」


 あれではまるで余計に追い詰めたようなもので、それはつまり、主人を傷つけたにも等しい。


 これも必要なことだったと言えるが、他にも手段があった筈だとも思う。

 無理矢理に叩きつけるのではなく、時間をかけて彼女の気持ちを正すべきだった、と。


 だが急いてしまった。

 それもこれも、やはり焦りがあるからだ。

 帰省してから三日目の今日、残る二日でアリスに確りと気持ちを伝えようとしていた。


 それは断りの言葉だ。

 彼女の愛に対して、受け取ることは出来ないと、己達の関係はどうあっても主従のみでしかないと。


 既にその言葉は用意出来ていた。

 それは愛を紡がれた日から、アリスが心を解放した時からだ。

 だが今の今まで言い出せなかったがシャロはいよいよ肚を括る。


「このままずるずると先延ばしにしていたら……もっと大変なことになる」


 故のこの大騒動だ。

 あのアリス嬢が城から抜け出してこんな田舎にまで着いてきた。


 暴走の責任はやはりシャロにある。

 曖昧にし続けたツケと呼べる。

 自身を責めたシャロは拳を握り、机に叩きつけ憂さを晴らす。


「……部屋まで占拠されてしまった」


 自分の部屋なのに、とも思うが、悲しみに暮れるアリスを思えばこそ、今はそっとしておくべきだと判断する。


 そうして気持ちを落ち着かせたシャロは立ち上がるとキッチンへと向かい、簡単に夕食の準備を始めようとした。


 そんな時だ。

 本日はシチューにしようと思っていたシャロの背後から軋む音が伝う。


「お嬢様――」


 背後に立っていたのはアリスだった。

 振り返り、そんな彼女を見たシャロは言葉を失う。


「ねぇ、シャロ。わたしは確かにそうなるのかもしれないね。やっぱりベリア家に嫁ぐのが幸せなのかもしれないね」


 肌着せぬ美少女の姿がそこにはあった。

 長い金色の髪に碧の目。その目元は赤く腫れ、声も嗄れていた。


 だがその未発達な身体と言えば神秘的で、対峙したシャロは後退る。


「なにを驚いてるの。いつもわたしの身体、見てるじゃない」

「……御召し物をどうか、お嬢様」

「着せてよ。いつもみたいに。慣れてるでしょう、メイドなんだから」

「……お嬢様……?」


 据わった瞳を理解するとシャロは焦燥をする。

 毎度の如くのアリスの暴走だった。


 だがそれでも本日のシャロは何とか正常を保ち、真っ直ぐに立つとアリスを見つめる。


「ねぇ。命令だよ、シャロ」

「何でしょうか」

「抱いて」


 衝撃的な台詞。

 アリスはその言葉を紡ぐと静かにシャロへと歩み寄り、その細い身体でシャロに纏わりつく。


 が、シャロは動じなかった。

 どころかその瞳でアリスを真っ直ぐに見つめ続けていた。


「乙女らしからぬ振る舞いで御座います。お嬢様」

「仕方ないよ。もう……仕方ないよ」

「何が、とは問いません。ですがお嬢様。お忘れでありましょうか」

「何を?」

「わたくしが如何なる存在かを」


 そう言ったシャロはアリスの身体を引きはがすと――


「お許しを、アリスお嬢様」


 平手を、主であるアリスへと叩きつけた。

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