十七 決め事


 その日、アリスはシャロを連れて小さな村を回る。


 彼女を知る者達は即座に出向き礼をするが、対するアリスは、どうかこのことは内密に頼むとお忍びであることを明かす。

 その台詞に村民達はことを察し、御令嬢もそう言うお年頃だ、広い城と言えど鳥籠の中は窮屈なのだろうと皆は笑った。


 彼女は皆に快く迎えられたが、しかしシャロはやはり複雑な心境で、綻んだアリスを見ると咎めようにも咎められなかった。


 兎角、アリスは今現在、村の一画にある小さな飯屋にきていた。


「うーん、ハーブティー……独特だね、この味」

「お気に召しませんか?」

「ううん、不思議なくらい気分が落ち着くから好きだよ!」


 先日、距離が戻った二人は午後の茶を楽しむ。

 城の外でアフタヌーンティーをする貴族というのも変な画で、店の主人は何故茶を飲むのだろうかと首を傾げた。


 アフタヌーンティーの文化はこの時代に生まれたが、それは貴族の内でのみ流行った。

 後の世ではイギリスを象徴する文化になったが、ある意味貴族というのは流行の最先端だった。


「活発で御座いますね、お嬢様」

「ん? 何が?」

「いえ。先日のアッシュダウンの森に引き続き、村を見て回りたい、とは……」

「だってシャロの生まれ故郷だもん。見て知りたいと思うよ?」

「……然様で御座いますか」


 それはどう言った意味か、と問うことはない。


 どうあっても従者、どうあってもレディースメイドの佳人は瞳を伏せてカップを傾けるのみ。

 対してアリスはバターをふんだんに使ったクッキーを齧り、歓喜の声を上げると小動物よろしく頬を膨らませて貪る。その様子を眺めながら再度シャロは苦悩を抱く。


 先日、距離が戻った事実は内心では喜ばしいがこの状況が問題だった。

 人目に彼女が晒される事実――噂の一つでも立つのが当然だと言える。


 幾ら口を封じようともお喋り好きな者はいる訳で、こんな寒村であろうとも噂はたちまちに広がり、やがてはロンドンにまで届き、下手をしたらティレル侯爵の耳にまで届くかもしれない。


 気が気でいられないのは当然のことだった。

 アリスはこの日、好奇心を抑えられずに村の様子が見たいとシャロに願った。

 当初はこれに猛反対した彼女だったが――


「いいじゃないか、シャロ。折角いらっしゃったんだぞ? 是非見て回って頂きたいです、アリスお嬢様」

「そうよ、シャロ。堅苦しいわねぇ。さぁさぁアリスお嬢様、外は冷えます故、温かいお着物を選びましょうね」


 呆れることに彼女の両親はアリスの意見を尊重し、シャロに対して非難までをもする。


 味方がいないとなっても孤軍奮闘せんとするシャロだったが、最終的にアリスの瞳に涙が浮かぶと、彼女は諦めて頷いてしまった。

 両親はせっせとアリスの身支度を進めるが、果たして実の子の帰参に対してそう言った態度は如何なのか、とシャロは若干怒りを抱く。


 が、傍目から見ると、まるで孫でもあやす翁と媼のようにも見えて、シャロは何となく両親の気持ちを察する。


(孫、か……)


 早く結婚して孫の一人は作って欲しい――いつか言われた台詞が頭に浮かぶ。

 結婚と言う単語に触れると彼女の眉間に皺が寄り、次いで瞳には何とも言い難い感情が浮かんだ。


「どうしたの、シャロ?」

「いいえ、何でも御座いません」


 そんなシャロの変化をなんだかんだで見ていたのはアリスで、疑問を口にするがそれに対する返答は簡単な物だった。


 少々不機嫌なのは村に出陣してから変わらない。

 やはり人の前に姿を見せたことを怒っているのだろうか、とアリスはしょぼくれた。


「……別に」

「え?」

「別に、怒ってはいませんよ、お嬢様」


 が、そんな彼女の気分の沈み様に対し、シャロは静かにそう紡ぐ。

 顔をあげ、内心でも読まれたかとアリスはたじろいだ。


 けれども既に関係は八年かそれ以上続く訳で、つまり、二人の間において、対する者の胸中と言うのは案外察しがつく。

 更に言えばシャロはレディースメイドであるからして、主人の考えを理解するのが当然とも言えた。


「考えておりました」

「何を?」

「多くのことをです」

「曖昧な言い方だね……」


 アリスは言いつつハーブティーで唇を湿らせる。


「多くのことって……なに?」

「そうですね。端的に言うならば将来、で御座いましょうか」

「将来っ」


 また漠然とした台詞だとアリスは思う。


「お嬢様は先のことを考えたことはおありで」

「そりゃ、あるけど……」


 急な話題だった。

 更には饒舌な様子にアリスは少々戸惑いを抱いた。


「ではその先の未来に……私はいますか」

「っ――」


 その台詞をどう判断するかは難しいものがある。


 普通に考えれば従者として付き従うか否かと言う話題だ。

 だが既に二人は向き合っている。

 未だ答えは存在せず、明確に意思を示すことはないにせよ互いは互いと対峙する。


 アリスはこの質問を試練だと思った。

 己は試されているのだ、と。


「いるよ。当然でしょ」

「然様で」

「シャロ意外の人なんて考えられない」

「然様で」


 アリスの返答はよい機転と呼べる。

 それはどんな意味にも捉えることが出来る。


 従者として彼女以上に素晴らしい人物は存在しないという意味で、かつ彼女のみにしか恋情は抱かないと言った。

 それにシャロは瞳を伏せるばかりだったが――


「ではあなた様の隣に立つのは誰ですか」

「……っ」


 迫ったその台詞にアリスは顔を伏せた。

 ついで口を固く結び、膝の上で拳を握る。


 分かり切っている質問だった。

 それは彼女の未来そのものと言える。


「お答えは」

「…………」

「……お嬢様。わたくしの両親は……私に早く結婚をしろと急かします」

「えっ……」


 それは親心としては当然の台詞だが、アリスは恐ろしい台詞を耳にした気がした。


 急かされる――それは彼女が他の誰かのものになると言うことだった。


 まるで追い詰められているような気がしてくるアリス。

 対するシャロは平然と構えるが、彼女の瞳には悲しみの色合いがあった。


「子を成し、家庭を持つ。それは女性ならば誰もが憧れることです。ですが私は度々見合いの話を断ってきました」

「えっ……そうだったの……?」

「はい」

「それは、なんで――」

「わたくしは、あなた様の物で御座いますれば」


 シャロはアリスの瞳を見つめて真っ直ぐに答えた。

 その台詞はアリスの胸中に垂れこめた暗黒の淀みを掻き消した。


「……わたくしは、ずっとそうして立ってきました。ただ、それだけは知っておいてほしかったのです」

「シャロ……」

「あなた様の生活を完全足るものにする為に全てを捧げようと決めております。故に私はあなた様が望む限りは傍におります」


 だが、と彼女は言葉を続ける。


「あなた様〈も〉いつか誰かのものになるのです」

「…………」


 当然のことだ。

 それは決められたことだった。


「御存じでしょう、お嬢様。あなた様は――」

「知ってるよ。分かってるよ。だって〈そう言う約束〉らしいから。知ってるよ」


 ティレル家と親しい間柄に名高きベリア家あり。


 公爵の位を頂く名家で、特に当代の当主であるベリア卿とティレル卿は親しい間柄だった。

 そんな二人は取り決めをしていた。


「可笑しいよね、一人娘なのにね。わたし、嫁ぐんだもんね。ベリア家に」


 それは許婚と呼べるものだった。

 本人たちの意思を無視したその取決めを告げられたのはアリスが齢十程度の頃。


 それはシャロが激変した時期と符合する。

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