十五 朝食
アリス嬢がシャロ邸に来て二日目の朝、彼女はシャロの焼いたターンオーバーとベーコン、そしてブレッドを小動物のように貪っていた。
「はむはむはむ……おーいーしーいー!」
「大袈裟ですよ、お嬢様……お水をどうぞ」
「んーっ、あひはほーっ」
水を受け取りつつもアリスは一般的な朝食を楽しむ。
「んむぅっ……ふへー、なんだろう、いつも食べてるのより味が素朴? 薄い? のかな?」
「城で揃えている物は全て一級品ですので。やはり味の質は違うかと」
「でもでも、この目玉焼きとベーコンすっごく美味しい! なんで?」
「卵は今朝方取れたものですので。ベーコンは恐らく焼き方が城のコックとは違うのでしょう。我が家のやり方では蒸し焼きです」
「そうなんだ! うーん、このターンオーバー……しかも見事にオーバーミディアム! よくわたしの好みを理解してるね、シャロ?」
「レディースメイドですので」
そう言いつつシャロも席へとつくと遅れて朝食をとる。
通常であれば主人と食事を共にすることも、まして同席することもあり得てはならないことだった。
しかし昨夜にアリスは「慣例は悪例だ」といい、どうか一般的普通のように、当たり前のような食事を親しい人々と共にしてみたいと彼女は希った。
一応の建前は世間に対する教育だというから、それならばとシャロの父母も頷き、シャロは大きく反対をしたが、結果的に食卓を囲むことになる。
そうして現在、朝の食卓ですらも向かい合う位置に腰かけて食事をするのだから、成程、「慣例は悪例だ」とは正しくだとシャロは思い、これが習慣になってしまうだとか、当然になった場合、主従や、或いは上限関係といった明確な差がなくなってしまうとシャロは痛感すらも抱く。
兎角、胸中で様々な思いを巡らせるシャロだったが、食事の席に両親の姿はなかった。
この日、シャロの父母は早くも仕事に出ていた。
冬と言えど農家にもやることはある。流石にシャロ達にばかり構っていられる訳でもなかった。
「ふふっ……」
「如何なされましたか?」
「んー……あのね?」
ロンドンよりもやや南にあるハートフィールド。
時期が冬とはいえ然程厳しい環境でもなかった。
そもそも英国の冬に雪が降ることは少ない――地域にもよるが――ので、煩わしいのは肌寒さと高い湿度だけと言える。
が、ハートフィールドの村は低湿度の様子で、その過ごしやすい環境を気に入ったアリスは御満悦の様子だった。
「いい所だねぇ、ハートフィールドって」
「田舎で御座います」
「そんなことないよ! のどかで素敵じゃない!」
「娯楽らしい娯楽もありませんよ、お嬢様。明日、明後日と過ごせば早く城に帰参したい、と思うでしょう」
「ぶーっ……別に、娯楽とかはいいよ。何より……こうして朝、ゆっくりとシャロと朝ご飯食べられるのって、奇跡に近いし! これだけでも儲け物なの!」
「……然様で御座いますか」
そう呟きつつ、シャロはパンを口へと運ぶ。
そのままに咀嚼をすると淹れたてのコーヒーを啜り、一つ呼吸を置いて再度食事の手を進める。
「ところでお嬢様」
「なに?」
「……サラダ、お嫌いで」
「ぎくっ」
「如何にお嬢様と言えど、よその家で礼儀や作法を欠くと言うのは――」
「だ、だって、ビーンズ入ってるんだもんっ……というかわざとでしょ、これ!」
賑やかしい朝の景色。普段ならば他にも従者やらが傍につき、そんな者達の視線を前にして一人で食事をとる。
アリスはそれを不思議な光景とは思わなかった。
それが生まれながらに当然だったからだ。
時に父や親しい間柄の誰かと食事の席を囲む時もあったが、そういう時以外――普通に食事をする分には孤独が常だとアリスは思っていた。
だがこうしてシャロと適当な会話をしながら食事をしてみれば、不思議な程にアリスは胸の中が温かくなった。それと共に幸福もあった。
(なんか、これってあれみたい。その……新婚さん?)
シャロの手作り料理。食すのは初のことで、実の所アリスはかなり待ち遠しく思っていて、食事が並べられるとナイフとフォークを鳴らすように逸った。
が、お叱りを受けては料理も冷めてしまう為、ある程度我慢をしつつ、ようやっとよしの合図を得ると、後は先の反応の通りだった。
「……? 如何なさいましたか?」
「あ、いや、そのっ……」
そしてシャロが食事をする様子だ。これにアリスは釘付けだった。
別に見たことがない訳ではない。
だがその数も一度か二度、ないしは三度程度だった。
果たして普段の彼女のマナーを含む作法といったものが如何程の程度かは不明だが、少なからず今見ている限りではアリスよりも遥かに気品があった。
並ぶ料理はどれも簡単なもの、且つ大した内容ではない。
しかし食器を操作する手の動きから口へと運ぶまでの時間、他、食事の音は――咀嚼等も含め――ほぼ皆無だった。
「……ずるいよね、シャロって」
「はい……?」
まるで完璧超人で、見惚れると同時に嫉妬を抱く程にシャロは極まっている。
そもそも彼女の所作と言うのはどれをとっても完璧で、例えば歩き方の一つを注目しても文句のつけようはなかった。
「何でも出来ちゃうよねぇ、シャロは……超人?」
「レディースメイドですので。万事完璧にこなすのが役目で御座います」
「あー、模範となるべく、だっけ?」
「はい、その通りで御座います」
レディースメイドとは何か。
それはレディ――この場合はアリスにあたる――の一切の身の回りの世話を任され、更にはハウスキーパー等の監督役からの指示を無視することも出来る。
メイドの中でも別格中の別格と呼ばれるが、これを任される者はまず歳若く、それでいて素養のある人物でなければならなかった。
シャロは元より勉強家ではあったが、城勤めになると想像を絶する程の苦労をしてきた。
(言えないわね……絶対に)
過去のことを思い返すと正に血の滲むような日々だったとシャロは思う。
彼女を扱き上げたメイド長と言えば鬼さながらで、一つのミスも許さなかったし、仮にミスが発生すればお仕置きとして尻が腫れ上がるまで叩かれもした。
日々涙目になりながらも弛まぬ努力をした彼女は、今、結果的にアリスの傍に立つことが出来ている。
「ふぅ、お腹いっぱいっ」
「お口にあいましたか?」
「うん! どれもすっごく美味しかったよ!」
「有難き幸せ……」
食事を終えたあと、シャロはアリスの反応を見ると少々上機嫌になった。
(……美味しかった、か)
そう言われると不思議なくらいに心臓は高鳴る。
普段から彼女の世話をしているシャロだったが、こう言った地――普段の生活からかけ離れた場所で、更には自身の料理の感想を告げられると、これが意外と効果覿面だった。
一人鼻歌交じりに食器を洗うシャロ。
さて、そんな彼女の後方から忍び足で迫ってくる少女が一人。
お分かりの通りにアリスだった。
(こ、これはレアな場面なんじゃ……給仕服のそれとはまた別に、エプロン着てるシャロってすっごい新鮮!)
桃色のエプロンをするシャロに心中穏やかになれないアリス。
彼女は興奮のままに背後からシャロへと抱き付こうとする。
しかしそんな彼女に対してのシャロの台詞と言えば――
「そう言えばお嬢様」
「え? な、なにかなぁ?」
「いえ。折角こうして時間も大量に有り余っているので、どうせなのでわたくしと一緒に如何でしょうか」
「な、なに? 何かするの? あっ、もしかして一緒に遊ぼうとか? んふふー、それなら大歓迎――」
「いえ。お勉強を少しばかり」
「……わぁーい……」
そんな、まったくもって色気の一つもない彼女らしい言葉だった。
しかしそう言う性格なのはとうに理解していたし、そんな彼女だからこそ好きになったのだろう、と自答したアリス。
間も無く、折角の長期休暇だというのにも拘らずシャロが教鞭を振るう姿があった。
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