十四 タイムリミット


「いいですか、お嬢様。五日間です。五日間だけこの村に滞在します」

「ぶーっ……」


 夜、シャロは自室でアリスにそう告げた。

 相変わらず感情の一つもみせない声色を向けられたアリスは、室内にあるベッドの上を転がりながら不機嫌そうな反応を示す。


「先程、御者に問い合わせたところ五日後には馬を出すとのことでした」

「もっとゆっくり休んでもいいんじゃないかな? 折角の長期休暇を無駄にすることはないと思うよ?」

「わたくしもそう思っておりましたが、予定が変わりました」

「……なんだかわたしの所為みたいな言い方だね?」

「はて、どうでしょうか」

「そこは否定しないんだっ」


 あれから――昼頃にシャロ邸へと到着をしてから、シャロの父母は大慌てだった。

 その理由こそはアリス・ティレル嬢の存在があるからだ。


 何の予告もなしにやってきたのは大恩あるティレル侯爵の一人娘。

 しかもその訪問の理由は教育の一環だという――これはシャロの機転による嘘だ――から更に慌てふためいた。


 このような田舎の、更には大したもののない家で令嬢を如何に持成すべきか、と二人は頭を抱えた。

 しかしこれにアリスは笑みを浮かべながら、己に対して特別な対応は不要である為何も気にかける必要はない、と言う。


 そうは言うがどうあっても主君の娘を雑に扱う訳にもいかない。

 更には教育となれば尚更に模範となるべくして緊張が生まれ、父母はぎこちなくなった。


「でも、優しいご両親だね、シャロのお父様とお母様は」

「……そうでしょうか」

「そうだよ! ご飯も美味しかったし!」


 本日はシャロの帰参に伴い彼女の好物が既に用意されていた。

 田舎の料理は量も多ければ品目も多い。

 アリスは己の前に出された幾つかの料理に目を輝かせて見つめた。


 ロースト肉にサーモンのステーキ、他にも大きなパテ――テリーヌの塊を見るとアリスは仰天し、これは美味しそうだと燥ぐ。


 果たして令嬢の舌に田舎の飯は合うか否か。

 結果から言えば彼女は大層満足した。


「美味しかったなぁ、あのローストビーフ……鶏肉のテリーヌもすっごく美味しかった!」

「お気に召していただけたようで何よりで御座います」

「ね、ねっ。今日のは全部シャロの好きな食べ物だったんでしょ?」

「はい? ええ、まぁ……そうですが……」

「シャロってお肉が大好きなんだね!」

「…………」


 そう言われたシャロは次第に羞恥に顔を赤くし、アリスに背を向ける。


「あれ、どうしたの?」

「……はしたないと、思いますか?」

「え……?」

「いえ、その……申し訳ありません、お嬢様。お嬢様の御前で、その……」


 流石に女人が恥じらいもなく肉に喰らいつくと言うのは如何なものか。

 更には主人の前で臆面なくするというのは頂けない。

 シャロは自身を責め深く反省し、アリスに対して頭を下げる。


「い、いやいや、そんな……なにも可笑しくなんてないよ、シャロ! わたしだってお肉好きだよ?」

「しかし……」

「もう、だから気にしないでよ! そもそも、今のシャロは帰省してる……仕事から解放されてるんだよ? だからそう言う振る舞いを気にしなくったって……」

「そうは仰られますが、お嬢様の前であることは事実です」

「確かにそうだけどぉ……」


 これでは埒が明かないと理解したアリスは、兎にも角にもシャロを手招く。


「シャロ、こっちきて?」

「……はい」


 そうは言うがそのベッドは元々シャロの物で、部屋の主もシャロだ。

 しかし普段からシャロに命令を下す立場のアリスは、そんな事実は他所にシャロを手招くと隣に座らせた。


「ねぇ、シャロ」

「はい、お嬢様」

「そのね? その……難しいことだと思うの。わたしを普段から意識して、いつもいつもお世話をしてくれてるから、今更こう言う距離で普通に過ごすって無理かもしれない」


 その言葉にシャロは内心で強く、それはもう強く頷いた。


「けどね、折角こうして二人きりでお城の外に出られたんだよ? そうなったら、もう……主従の関係はまた別の問題だと思うの」

「……それは、誠に難しい話で御座います」

「やっぱり……?」


 如何に状況が別だとしても、アリスを前にすればシャロは従者のそれとして徹する。

 そういう教育をされてきたし、レディースメイドとしての誇りも確かにあった。


 更に言うならば、シャロの中には強い誓いがある。


「〈このお方の支えになる〉」

「え……?」

「そう……決めておりますので」

「ん、んー……? 何のこと、シャロ……?」


 初めてアリスと出会った時、シャロはそう誓った。

 彼女の為に己は全てを賭し、身を粉にする覚悟までをも固めた。


 それ程までにシャロにとってのアリスとは神格化されたような存在だった。

 それを普段口に出すことはないが、彼女はアリスに忠誠を誓い、己の命をも捧げる勢いだった。


「息苦しいかもしれませんが、どうかご容赦くださいませ、お嬢様。私はやはり、あなた様のレディースメイドで御座いますれば。如何様な状況であろうとも……こうして接する他に手段を存じ上げません」

「むぅー……まぁ、いいけど……」


 出来れば本来のシャロを見てみたかったアリス。

 が、それはそれで戸惑う可能性もあったし、何よりとして見知らぬ土地だが、よく見知った人物が普段通りに接してくれると不思議と安心を得る。


「なので……やはり認める訳にはいきません、お嬢様」

「ぶーっ! いいじゃんいいじゃん!」

「駄目です。同じベッドで寝よう、だなんて……了承できる訳がありません」


 さて、先からシャロの部屋に居座るアリスだったが、その様子からして出ていく気はないようで、更にはベッドから退こうともしない。


 曰く、それこそは一緒に寝たいから、とのことで、シャロはこれを聞くと本日何度目かも分からない大きな溜息を吐き、更には眉間に皺をよせ指を宛がった。


「何でダメなの!」

「お答えするならば、安全性の為で御座います」

「安全性!」

「はい。このベッドは見て分かるようにダブルベッドですが……しかし、もしも私の寝相に巻き込まれたらば、小さなお嬢様では成す術もなく下敷きになってしまいます」

「シャロの寝相が悪いだなんて話し、聞いたことないよ!」

「はい。訊かれたことがありませんので」

「じゃあ、少し距離をあけて――」

「仮にお嬢様がベッドから落ちてしまったら一大事で御座います」

「……あれもダメ、これもダメじゃない!」

「はい、そうです」


 取り付く島もないシャロの態度にアリスは頬を膨らませる。

 シャロは内心では頼むから納得してくれ、と願うのだが――


「命令です、シャロ」

「っ……」


 アリスと言えば自身の権限を最大限に活かすつもりの様子で、シャロは紡がれた台詞に心臓が跳ね、更には無意識のうちに頷きそうになる。


「わたしと一緒に寝て!」

「お嬢様……」

「お願い……」


 寄越されるのは上目使いで、これにシャロはいよいよ陥落してしまった。


「……今日だけですよ」

「わーい、やったー!」


 シャロはどうあってもこの誘いを断りたかった、全ての理由はアリスの暴走だ。

 先日唇を奪われているシャロだが、もしも他者のいないこの家で襲われた場合、果たしてアリスはどこまで突っ走るのか――そんなことまで考えてしまう。


(……何も起きませんように)


 そんな風に祈りながら室内の明かりを消したシャロは、隣に身を横たえた少女――アリスへと意識を向ける。


「むにゃむにゃ……」

「…………」


 ベッドインから三分も経っていなかったが、アリスは即座にブラックアウトした。


「……疲れていたのですね」


 今日一日での経験はアリスにとっては大冒険だった様子だ。

 可愛らしい寝息を立てるアリスを見つめたシャロは、静かに笑みを浮かべ、アリスの頭を撫で摩る。


「……おやすみなさいませ、お嬢様」


 この日、アリスは十分に睡眠をとったが、翌朝、目に濃い隈を作ったのはシャロで、心休まる時はないなと、一人静かに言葉を零した。

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