十三 あいさつ


 十九世紀中葉、イギリスはハートフィールド。

 この時代、ハートフィールドの知名度はそうは高くはないが、二十世紀頃にはとある熊の誕生と共に世界的に名が知れ渡り、聖地然といった具合にもなった。


 兎角、アッシュダウンの森を越えてきたアリスとシャロはいよいよ目的の場所に到着を果たす。


「ふわぁーっ。大きいお家じゃない、シャロっ」

「まぁ……一応は一帯を纏め上げる豪農の家系ですので」


 草原と田畑に囲まれるように建つのはシャロの実家だった。


 広大な敷地に巨大な家屋。

 それは屋敷のような外観で、想像していた以上の規模にアリスは興奮をそのままに大きな声を上げる。


 纏わりついてくるアリスをいなしながらもシャロはそう言い、特に誇らしげにする訳でもなく敷地へと踏み入った。


 が、アリスの手を引いたままにいざ帰還を果たそうとするが――


「お嬢様、先程も言いましたが……」

「特に期待をするな、召使いもいなければご飯も大したものじゃない、もてなしの一つもない……でしょ?」

「……その通りです」

「そんなの分かってるよ。それに、そんなのがなくったって、シャロの御家族と会いたかったのも本音だしねっ」


 己の抱え持つレディースメイドの親族。

 見て聞いて知りたいと思うアリスは、果たしてどのような一家なのか、と期待に胸を膨らませる。


 聞いた限りでは兄弟姉妹はいないそうで、この大きな屋敷には彼女の父母のみが暮らしているとのことだった。


 果たして如何なる人物達か。

 やはりシャロのように冷徹で寡黙で感情の一つも見せないのか、とアリスは思った。

 それはそれで面白くもあるが、歓迎をしてくれるようなタイプではないな、と思い気分が落ち込む。


 が、ここまできたからには前へと進む他に道はない。

 御者は先程村の酒場に行ってしまった。

 二、三日はハートフィールドに滞在していると言っていたが早速疲れを癒す為に憩の場へと出向いた様子だった。


 兎角、彼のことはさておき、アリスはやや緊張した面持ちでシャロの手を握りしめ、シャロといえばそんなアリスを見下ろすと渋い顔になる。

 何にせよ既に引き返すことは出来ないのは事実。

 肚を括ったシャロは一歩を踏み出した。


「ただいま、お父さん、お母さん」

「お、おじゃましますっ」


 様々な思いを巡らせつつも、意を決したように戸へと手をかけ、それを開けると踏み入り帰還の一声を響かせる。同時にアリスは挨拶を口にした。


 こう言った、所謂一般的な家庭にきたことがないアリス。

 友だちがいない訳ではない。

 同じく貴族のよしみで仲良くなった同年代、或いは年の近い娘達とは互いの屋敷や城を行き来したりもした。


 しかし、果たして特殊や特別な環境とは違う一般家庭での礼儀作法と言うのは如何なるものか。

 これまで培ってきた全ての知識を活かすべく、彼女が紡いだ言葉は実に一般的な台詞だった。


 兎にも角にも、そんな声が二つ響くと奥の方から忙しない足音が響いてくる。


「あらあら、お帰りなさい、シャロ!」


 朗らかな表情、そしてふくよかな体系をした女性だった。

 歳は壮年か、或いはもう少しいった具合か。

 シャロの名を呼んだ彼女こそがシャロの実母だった。


「ただいま、お母さん」

「あらま、お客さんまで? どうしたの、お友だち?」

「いや、その……」


 言葉に詰まるシャロは、己の背後に隠れたアリスへと視線を送る。

 先まで息巻いていた様子とは打って変わり、今のアリスは何故か怯えるような感じだった。

 その理由の全ては緊張、そして恥じらいだった。


(わっ、どうしよう……さっきの挨拶、もしかして早すぎたのかな。て言うか、変に思われてるかも? でもでも、次に何て言えばいいのか分かんないしっ)


 完全に混乱しているアリス。

 彼女の様子を悟ったシャロは一寸の間を挟み――


「私の主様の……アリス・ティレル様だよ、お母さん」

「ひゃっ、ひゃひめまひひぇっ!」

「……え?」


 無理矢理にアリスを己の前へと立たせると彼女の名を口にし、アリスと言えば唐突の出来事に不意を突かれ、改めて挨拶をしたが噛みまくりだった。


 そんな二人のやりとりを目の前で見た母親といえば何度も目の開閉を繰り返し、更にはアリスを間近で見ると驚愕に面を塗りつぶす。


「なっ……ちょ、お父さん、お父さーん! 大変よ! アリスお嬢様が!」


 百面相の限りを尽くすと何度も躓きながら旦那の下へと駆けていくシャロの母。

 玄関に取り残されたアリスとシャロは互いに大きく息を吐き、二人して同時に顔を見やった。


「……ねぇ、シャロ? 今のは少し酷いと思うよ?」

「そうでしょうか」

「そうでしょうか、じゃないよ! 少しくらいわたしにだって準備とか心構えっていうのが必要なの!」

「しかし、あまり遅いと不審に思われます」

「だとしても無理矢理立たせたり、そのっ……」

「……なんですか?」

「なんでもないっ」


 無理矢理に引き寄せるのはずるいとアリスは言おうと思ったがとどめることにする。


 普段のシャロはそういう無理矢理な真似はしない。

 アリスの嫌がるだろうことは確実にしない。

 だが先の所作と言えば、まるで普段の彼女らしからぬ感じで、更には横暴ともとれるやり口がアリスの動揺を誘った。


 現在、シャロの故郷。

 帰ってきたこともあるからか、今のシャロは気が緩んでいるというよりかは素に近い様子だった。

 もしかしたら、本来の彼女の性格は力任せな部分もあるのでは、とアリスは思う。


「いや、そんな、別に恥ずかしいとか、ドキっとしたとかじゃなくって……その、ほら、唐突過ぎてね? そうするとやっぱり焦るでしょう? だから今顔が熱いのも胸が煩いのも、全部驚いたからな訳であってっ」

「……何を先からぶつぶつと言っているのですか、お嬢様?」

「にゃ、にゃんでもにゃいっ」


 人の気も知らずに――内心で思うアリス。それに首を傾げるシャロ。

 やはりいつもの関係はいつもの通りかと落胆するアリスだったが、そんな時だった。


「わっ、なっ、えっ? これはどういうことなんだい、シャロ!」

「ね、ね! 言ったとおりでしょ! アリスお嬢様でしょ!」

「ああ、間違いない! このお方こそはアリス・ティレル様だ……!」


 再度忙しく喧しい足音を響かせてやってきたのはシャロの父で、彼の後を追ってきたのはシャロの母だ。

 父の背は大きく、顔立ちも整っていた。

 若い頃はさぞモテただろうな、とアリスは思うが、しかし父母と言えばシャロに鬼のような形相をして迫り――


「何がどうなっているんだい、シャロ!」

「説明の一つくらいはしてほしいわよ、シャロ!」

「「どうしてお嬢様がこんな田舎村に!」」


 予想通りの台詞にシャロは何とも言えない顔をし、彼女の隣ではアリスが悪い笑みを浮かべていた。

 果たしてどういったものか、とシャロは悩むが、しかしややもせずに彼女はこう言った。


「庶民の暮らしを体験、経験させよう、と……マスターからの令が下ったのよ……」


 そんな苦し紛れな嘘八百に対し、父母と言えば口を大きく開けると、あのお方は何を考えていらっしゃるのか、と同時に言葉を零す。


(こっちが聞きたいわよ……)


 彼女は心の中でそう呟くと、波乱が待つであろうこれからの景色を思い、再度大きく溜息を吐いた。

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