一 その手の中


「うぅー……」


 ティレル城の食事の間で眉間に皺を寄せて唸る少女がいる。

 可憐な顔を顰め、手に持つスプーンの上に乗るビーンズを見つめていた。


 少女の名はアリス・ティレル。

 侯爵令嬢の身である少女が、現状、この城館の城主代行でもあった。

 本来の主は抱え持つ政務等で忙しなく奔走する日々を送っている。

 齢にして十三の少女だが、しかし侮ってはならない。例え未熟といえど侯爵の子、教育は躾けられているしそれ相応の礼節も弁えている。

 所作も当然、一通りは完璧だった。


 そんなお嬢様はトマトソースで煮付けたビーンズを見つめたまま唸るばかりだった。


「……お嬢様」

「な、なにっ」

「好き嫌いはいけません」

「うぅー……なんで嫌いなのを朝からだすの? わたしが嫌いなの知ってるくせにっ」

「淑女足るもの、我儘は許されません。当然、好き嫌いもです」

「わたしはまだ子供だもんっ」

「……御歳の問題では御座いません。これは精神の問題です」

「ぶー……」


 英国人であるならば紳士淑女であれ、というのはいつの時代にも共通する精神だった。

 アリスの傍に立っている女中、シャロは無表情のままにアリスを叱るが、対してアリスは納得がいかない。


「大体、嫌いなものを好きになる必要なんてないのに……」

「他者に馬鹿にされます」

「別にいいよっ」

「なりません。ティレル家の名折れで御座います」

「そこまでいうのー……?」


 名誉こそが国家の繁栄の全てである英国にとって見栄の一つとってしても欠く訳にはいかない。

 特に名門に連なる侯爵家ならば尚のこと推して知るところがある。


「……じゃあ、これを食べたら、何かご褒美をちょうだい」

「褒美で御座いますか」

「うん」

「対価を強請るというのも考え物です」

「強要されてるのはわたしなの! だったら対価を求めたっては悪くはないでしょ?」


 根本から考え方が違うようだとシャロは内心で思うが、しかし当然口には出さず、そして表情にも変化は出さない。

 思案する際、シャロは瞳を閉じる。彼女を見つめるアリスは窺うような表情だった。


「……分かりました」

「本当?」

「二言は御座いません」

「やったっ。絶対だよ? 約束だよ?」

「……はい」


 アリスの喜びようは不思議なくらいだ。

 シャロはその様子に疑問を抱くがそれを追及することはしない。


 シャロの瞳を見つめたアリスは再度一人で頷くと、スプーンにのっている内容物を己の口腔へと含む。

 そのまま咀嚼をし、味蕾に広がるビーンズの味とテクスチャを感じると、それだけで表情は曇り、眉間の皺も深くなる。

 しかし呼吸を止め風味を誤魔化すことに成功したアリスは、未だ口内に残る内容物を無理矢理に水で喉の奥へと流し込んだ。


「ふふふ、どう? 文句ないでしょ?」

「……品性に欠けます」

「むむっ……もう、シャロはいつも厳しいよっ」

「そうせよ、とマスターから仰せつかっておりますれば」

「お父様は今いないでしょ! それに、シャロは私のレディースメイドでしょ! もっとわたしを褒めるべきだと思います!」


 鼻息荒く胸を張って誇らしげにするアリス。それを見つめるシャロはやはり無表情だ。

 しかし、微かに揺れた瞳の輝きからして、何も思わない訳ではないのだろう。


(……お嬢様)


 心の内でアリスの名を呼ぶシャロ。

 組まれた手は何処となく力が入っているように見受けるが、それにアリスは気付かない。


「……失礼しました、お嬢様。お許しください」

「ん、んー……いいよ、怒ってないからねっ」


 そういう割に頬を膨らませるアリス。

 シャロは再度頭を下げるが、そうするとアリスは逆に慌てて、そこまで謝る必要はないといった。


「シャロは冗談が通じないね……昔からずっと」

「申し訳ありません」

「だからそういう所だよ……もう。ねぇ、もう少しこっちにきて?」

「……はい」


 呼ばれたシャロはアリスへ近づくと目を伏せた。

 シャロの徹底した様子にアリスは複雑な気持ちを抱くが、優しい笑みを浮かべて彼女の手を取る。


「……お嬢様?」

「……これがさっきのご褒美でいい?」

「そんな、私程度が褒美になど……」

「いいの! こうして手を繋ぐことなんてめったにできないんだから」


 主人と手を繋ぐことは通常ならば憚られることだった。

 レディースメイドが如何に特殊で、更には女中において最上格の地位にあるとしても、主人に気安く触れるというのは有り得ない。

 だが、それを求めたのは主のアリス本人だった。

 シャロは僅かに焦燥するも、しかしアリスは嬉しそうだった。


「お嬢様、そろそろ……」

「んー、確かにムードも何もないけど……いつぶりかな、こうして手を握るの?」

「……随分、お久しゅう御座います」

「そうだね。わたしがまだ子供のころは、シャロがいつも手を握ってくれたのに」

「もう、お嬢様は淑女で御座いますから」

「でも、偶にはこうしてほしいんだよ?」


 上目使いを寄越されたシャロは瞳を閉じてその眼差しから逃げる。

 それを照れと判断するか否かは見る者次第だが、アリスはこれを照れ隠しと判断した。


(……シャロ)


 アリスは心の中で彼女の名を呼ぶが口には出さずにいた。

 複雑な心境に変化はなかったが、兎角、ある程度満足をするとシャロの手を離す。


「あっ……」

「え? なに?」

「……いえ。何でも御座いません」


 唐突だったからかシャロは珍しい反応をする。

 アリスは小首を傾げたが、対してシャロはいつも通りに言葉を返すだけだった。

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