アリス嬢と寡言なシャロ

タチバナ シズカ

 イントロ

 梢にとまる鳥が朝の調べを奏で、軽やかな旋律はロンドンに新たな一日を告げる。

 季節は冬。湿度と低い温度も相まって霧の都は今日もドレスを纏った。


 霞に包まれた白い屋敷がある。

 ロンドン市近郊にあるその館はティレル侯爵の持ち物だった。

 十八世紀頃に建てられた館はヴィンテージな空気を醸す。


「お嬢様。起きてくださいませ、お嬢様」


 館の一室には一人の女中がある。

 眼下には金色の髪を持つ少女が寝息を立てている。

 少女を見る女中の瞳は何も語らず、声色も平淡だった。

 女中は無感情な表情のまま一度瞳を瞬かせる。


「お嬢様。アリスお嬢様。朝で御座います」

「ん……」


 女中の澄んだ声に金髪の少女が反応する。

 未だ微睡む意識を引きずりながら、それでも瞼を擦って穏やかに覚醒していく。

 起き上がった少女は霞む視界のピントを修正しながら、大きな瞳を女中へ向けた。


「……おはよう、シャロ」

「お早う御座います、お嬢様」

「うん……」


 アリスと呼ばれた少女は返事をするが、未だ完全に覚醒を果たしていない。

 そんな己の主を見た女中、シャロは、それでも無表情のまま、何をいうでもなく不動に立つ。


「……もう少し寝てもいいかな、シャロ」

「いけません。朝食の用意も整っています」

「んー……だめ?」

「なりません」

「昨日は夜遅くまで起きてたの……だから眠くて眠くて……」

「遅くまで明かりがついていたのは存じておりました。しかし朝は起きるもので御座います、お嬢様」

「んんー……」


 ベッドの上で猫のように伸びをするアリス。

 背を鳴らす少女を見るシャロは何かをいいたそうにするが、しかし表情は変わらずに無のままだった。


「ふあぁ……」

「お嬢様」

「……起こして、シャロ……」

「……お嬢様」

「お願い……」


 うつ伏せのアリスにシャロは数瞬沈黙するが、ややもしてアリスへと近づく。


「失礼いたします」

「んー……」


 シャロの動作は手馴れていた。

 アリスの肩に手を掛け、空いた方の腕で胴体を支える。

 そのまま無理な力を加えずに何とか上半身を起こした。

 宛ら貝が口を開いたような構図で、先まで二つに折れていたアリスは、間近にあるシャロの顔を見つめた。


「流石だね、シャロ。わたしの扱いを熟知してる」

「毎朝のことですので」

「それはイヤミ?」

「否で御座います」


 悪戯をする子供のような笑みを浮かべるアリス。

 紡がれた問いにシャロはやはり無表情のまま、そして無感情を思わせる声で返事をした。

 低いトーンと鉄面皮を寄越されたアリスは、しかし嬉しそうな笑みを浮かべると、そのままにシャロへと抱き付いた。


「……お嬢様」

「ふふっ……朝はやっぱりシャロに触れないとダメだね、わたし……」


 甘えるようなアリスにシャロは瞳を伏せる。

 決して抱き返すこともせず、ただ受け入れるだけだった。


「正しく従者の鑑だね、シャロ。わたしを見ようとしない。いわれなかったら触れようともしない」

「それが従者で御座います」

「……そういうところ、好きだよ。とても」


 瞳を伏せたままのシャロの耳元に悩ましい言葉と艶のある吐息がかかる。


「……うん。それじゃ、起きますかぁ」

「……はい」

「よいしょ、よいしょ……」


 毎朝の儀式を終えたアリスはそこで満足をすると、ベッドから這い出て立ち上がった。

 小柄なアリスを見下ろす形になったシャロは、適当に脱ぎ散らかされていく寝間着を回収しながらアリスの背を追う。

 先までアリスが身に纏っていた衣服からは、そのままにアリスの温もりが残っていたが、それを手に感じるシャロは特に思うこともない様子で、これもやはり手慣れたように扱う。


「今日は……このお洋服?」

「お気に召しませんでしょうか」

「ううん。シャロが選んでくれたものだもん。嫌いになんかならないよ」

「有難き幸せ……」


 アリスは用意されていた白いワンピースを手に取ると優しい笑みを浮かべてシャロを見て、視線の先にあるシャロは深く頭を下げるだけだった。

 無機質な反応だったがアリスは更に笑みを浮かべ、下着姿のままシャロへと接近する。


「じゃあ、お願い」

「畏まりました、お嬢様」


――ロンドン市近郊にある白亜な外観を持つ館にはティレル侯爵の一人娘が住まう。

 娘の名はアリス・ティレル。背の低い華奢な十三歳の少女だ。

 長く柔らかな金髪を持ち瞳は大きく碧眼で、顔立ちは誰が見ても認める程に可憐で美しい。性格も明るく笑顔がよく似合う。


 そんなアリス嬢の身の回りの世話をするレディースメイドがいる。

 名前をシャロと呼び、普段から不愛想で、何を考えているかも不明だった。

 声には感情の一つも宿らないが、しかしその美貌は類見ない程だった。

 緩く巻かれた黒髪と大きな瞳、白磁を思わせる肌の美しさは美の象徴とも呼べた。


 そんな見目麗しき少女と女中は対極な性格だったが、二人のやりとりから窺える通りに、信頼や信用、或いは絆と呼べるものは絶対的にも等しいのかもしれない。


「ねぇ、シャロ?」

「何でしょうか」

「わたしは……綺麗かな?」


 下着姿のアリスに接近されたシャロは、手渡された白いワンピースをアリスへと着せる。

 その途中、訊かれたシャロは数瞬沈黙をするが、躊躇いなく口を開いた。


「……美しゅう御座います、お嬢様」

「本当?」

「はい。本当で御座います」

「そっか……えへへっ」


 相も変わらずの無感情な声色で言葉を紡ぐ。対してアリスは嬉しそうに微笑むが、少女の背に回り込んでいるシャロに見ることは叶わなかった。

 ただ、背のファスナーを完全に閉じるまで、シャロの視線がアリスの美しい背に――穢れ一つない柔肌に釘付けだったのは、誰も知る由がない。

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