第7話 いざ初配信

「良い攻撃だね、凛音くん。でも甘い」


「はぁ...はぁ...ぐっ...がっ...!」


 森の奥深くで何かが激しくぶつかり合う音が木霊していた。衝撃音の元凶は二つの影であり、一つはサラサラとした金髪に整った顔立ちの美男子、もう一つは角と尻尾の生やした悪魔だった。その二つの影が激しく拳を交えていた。


 悪魔のような姿をした凛音はグランの懐に潜り込み、その綺麗に整った顔面へと拳をお見舞いしようとした。しかしオーガを屠った拳をグランはいとも容易く受け流し、勢いよく放った拳が空を切ったことで凛音は体勢がくずれてしまう。すかさずグランは凛音の腹へ掌底を繰り出した。あまり力が込められていないような軽い動作にも関わらず、凛音は3~4mほど後方に吹き飛ばされてしまう。凛音は右手を地面に着けて引っかけ、後ろへ働いている慣性を殺して何とか静止する。


 体の勢いを何とか止めた後、凛音は右手に力を込めた。すると凛音の右の手の平に黒く燃えるような光が集まり始めた。時間が経つとその光は大きく明瞭になっていき、エネルギーが凝縮された一つの球のようになった。その黒い光球を凛音は思い切りグランへと投げつけた。光球は勢いよくグランへと迫っていくが、 グランはそれを避けるような素振りは見せず、握り拳を作ってその手の甲で光球を弾いた。すると光球は霧を払うかのように忽ちに霧散し消えてしまった。


「うん、今日はここまでにしよう」


「はぁ...はぁ...」


 光球を投げ終えた凛音は力を使い果たしたのかがっくりと膝から崩れ落ち、それを鑑みてグランは戦闘終了の宣言をした。


 傍から見れば英雄譚に出てくる勇者が悪魔と対峙しているような構図であり、この場面だけを切り取れば誰もがグランを応援してしまうような状況だった。しかし現実としては悪魔である凛音がどれだけ必死になってグランに攻撃を仕掛けても、ことごとくいなされ逆に手痛い反撃を受けているという始末であった。凛音は息も絶え絶えで全身に走る激痛に耐えながら戦っていたのだが、対してグランの方は飄々とした態度を一切崩しておらず、汗をかくどころか呼吸一つ乱れていない。膂力、技術、精神面、そして経験値。どれを取っても凛音の惨敗であり、二人の間には隔絶した力量差を見て取ることができた。


「お疲れ様凛音くん、すぐに手当てしてあげるわね」


 茜は地面にへたりこんでいる凛音へ近づき背中に手を当てる。すると凛音の体内から痛みや疲れといったものがすっと抜けていき、凛音は体が軽くなっていく感覚を覚えた。


「あ、ありがとうございます...」


 弱々しい声で凛音は茜に感謝の言葉を伝えた。既に凛音から角や尻尾といったものは無くなっており、現在茜に介抱されているのはどこにでもいる凡庸な男子高校生であった。


「全くだらしないわね。一発くらい顔面に入れなさいよ、顔面に」


「無茶言わないでください...」


 情けない姿で治療を受ける凛音に対してステラが苦言を呈し一喝した。しかしグランと実戦形式での特訓を始めてから、凛音の攻撃がまともに当たったことは一度もなく、グランにかすり傷一つ負わせることができなかった。


「ははっ、さすがの僕もあの一撃を顔に喰らいたくはないかな」


「そんなこと言って余裕綽々のくせに。ほんといけすかないわね」


 常に余裕があり飄々としたグランの態度がステラには面白くないようで、凛音とグランが一対一で組み手をする際には必ず凛音の側に立っていた。凛音の側に立つと言っても掛ける言葉は野球観戦をしているオヤジの野次のような言葉ではあるのだが、一応は凛音のことを応援しその成長を見守っている様子だった。しかし先ほどの戦闘を鑑みるとステラの期待に応えることができるのはまだまだ先になりそうであった。


『まあグランさんに一泡吹かせようなんて100年早いってことだな、オリオン』


「う、うっさい...」


 グランとの組み手を見ていた足立がなぜか得意気に凛音へと声をかけた。『なんでお前が得意気なんだ』とツッコミを入れたかった凛音だが、激しく消耗した後で疲労がピークであったため必要最小限の応答だけに止めておいた。


「いや、最初の頃に比べると日に日に引き出せている力は大きくなっているし、魔力のコントロールも格段に安定してきている。この調子で続けていけば僕なんて目じゃないよ」


「い、いや...俺なんてまだまだです...」


 凛音をべた褒めするグランだったが今の凛音とグランとの間には雲泥の差があることは明白であり、その賛辞は圧倒的強者であることから来る余裕の現れだということを感じとることができる。そのためかえって凛音は萎縮して自信を無くしてしまい、力ない声で謙遜をするしかなかった。


「ほら!こういうとこ!分かるでしょこいつのムカつくとこ!」


 天然で悪意なく凛音の自信を喪失させたグランに対してステラは更に反骨心を募らせた様子だった。


「はいはい、あんまり大きい声出さないの。グランくんの調子に響くでしょ」


 大声をあげてグランに反発するステラを茜は慣れた様子で宥めた。


「凛音くん、体はどう?」


「はい、もう大丈夫です。だいぶ楽になりました」


 グランとの組み手を終えて数分ほどで全快とはいかないものの本調子の7割ほどは回復した感覚があり、凛音は改めて茜の力の凄さとありがたみを噛み締めていた。


 森での特訓が始まってから2ヶ月が経過しており、右も左も分からなかった頃に比べれば力の扱い方もかなり板についてきていた。もちろん元々研鑽を積んできているグランや茜、ステラにはまだまだ敵わないのが現状だが、それでもいざという時にはそれ相応の対処ができる最低限の力は身に付いていた。


 ステラが魔力の操作について、グランが実戦について指導を行い、茜が特訓場である森への移動や特訓後のケアといったサポート、そして足立がドローンカメラを通して特訓の様子を撮影しフィードバックを行う。その日の予定によって欠員が出たりすることはあるのだが、基本的にはこの4人が凛音の特訓にあたっていた。


 自分のためにここまで手を焼いてくれている四人には感謝してもしきれないが、同時に貴重な時間を使わせていることへの申し訳なさも凛音は感じていた。早くステップアップして誰の手も借りなくて大丈夫なようにならなければ、という使命感が凛音の中で日に日に大きくなっていた。


「じゃあ今日はここでお開きね。一旦事務所に戻るから皆手を繋いで」


 時刻は午後7時を指しており、深い森の中という環境も相まって7月の半ばという夏真っ盛りの時期でありながらあたりは薄暗くひんやりと肌寒い。時刻や各々の予定、そして凛音の体力を鑑みて本日の特訓は終了の宣言がなされた。


 茜が促すとこの場にいた全員が互いに手を繋ぎ合い一つの円陣を組んだ。


「皆ちゃんと手は繋げてる?それじゃあいくわよ、瞬間移動テレポート


 全員の手が繋がれていることを確認して茜が呟くと森の中にいた4人は同時に忽然と姿を消した。


 一瞬の浮遊感と嘔吐感の後、周囲の気温や臭いが変化したのを感じ取ると凛音はゆっくりと目を開けた。先程まであたり一面を囲んでいた背の高い木々の姿はすっかりと消え失せ、今凛音の周囲に広がっているのはパソコンや書類の置いてあるオフィスだった。


 森の中にいた4人は森から忽ち消えたかと思うとキラキライブの事務所へと姿を現した。


「皆さんお疲れ様っす~」


「おやおや、みんなおかえりだねぇ~」


 事務所へと帰還するや否や、4人へ二つの声がかけられる。


 一つは先程までドローンカメラ越しに会話をしていた足立のもので、もう一つのひどく間延びした声の主はキラキライブ代表取締役のトミー冨岡その人だった。


「ただいま戻りました」


「ただいま~」


「トーマもトミーもお疲れ様」


「お疲れ様です」


 グラン、茜、ステラ、凛音は斗真と冨岡へとそれぞれ言葉を返した。


「今日も手も足も出てなかったな、オリオン」


「これでも頑張ってるんだよ...」


 森の中で悪戦苦闘していた凛音に対して足立が茶化すような言葉を投げ掛けた。凛音はそれに疲れた様子で返答した。


「オリオンがグランさんに転がされてるとこ、ばっちり撮っといたからな」


「別に面白いもんでもないだろ」


 凛音を笑うネタができたとばかりににやつく足立だったが、もちろんその動画は凛音の情けない姿を見て笑うために用いるものではない。グランとの実戦練習を行う凛音を見返し、動きや戦い方を洗練させるためだった。


「こら斗真くん、あんまりいじわるしないの」


「すんません、オリオンの反応が面白くてつい。反省してま~す」


 茜に窘められた足立は全く申し訳なさを感じさせない態度と声色で反省の言葉を述べた。


「?、でも斗真くん、一緒に動画を見たとき『やっぱりこいつはやるやつなんですよ』って誉めてなかったかい?」


「ちょ...グランさん...!」


「ほ~ん...、そんなこと言われたことないけど...」


 グランが良い意味で空気を読まずに裏での足立との会話を暴露した。足立は思わぬ横やりに焦ってしどろもどろになり、凛音はそんな足立をジト目で見た。


「あらそうだったの?なんだちゃんと認めてあげてるのね」


「トーマは素直じゃないとこあるもんね」


 グランの発言を聞いて茜は頬を綻ばせ、ステラは足立のひねくれた性格について一定の理解をしていた。


「ステラも『リオンが努力した分の結果は出てるって感じかしら。ま、結構頑張ってる方ね』って言ってたね」


「ア、アンタ...、余計なこと...!」


 グランの良くも悪くも裏表のない性格はステラにも牙を向き、ステラは声を荒らげた。


「ス、ステラさんも...?」


 凛音は思わず目を丸くしてしまう。ステラはいつも誰に対しても突っ慳貪な態度であり、人を誉めるような発言を滅多にしないタイプであった。それは凛音にも例外ではなかったため誉められた側の凛音もなぜか動揺してしまう。


 しかしステラの言動を思い返してみると、確かに言葉では刺々しく相手を突き放すような態度を取るが凛音の特訓には毎回参加しており、凛音の特訓の進捗やステップアップするための課題についても事細かに記憶していて、発言とは裏腹に非常に丁寧で手厚い指導していた。


 この2ヶ月程度で凛音はステラの性格について片鱗を掴んできており、ステラと初めて会うときに茜が言っていた『最初はちょっと取っ付きにくい所もあるけど、とっても良い子』という評価を何となく理解してきていた。


「ホントアンタそういうとこよ!」


「グランさん、マジでそういうとこっす」


「...?」


 足立とステラは抗議の声をあげるがグランはいまいちピンと来ていない様子だった。完璧超人であるがゆえに感情の機微に疎く、良くも悪くも真っ直ぐすぎるグランの性格もこの2ヶ月ほどでぼんやりと凛音は掴んでいた。


「あらあら、2人とも裏ではちゃんと凛音くんのこと誉めてあげてるのね~。何だかとっても微笑ましいわ~」


「茜まで!」


「何かすげえむず痒いです茜さん...」


 茜は素直ではない2人を微笑ましくも少しからかうような言い方をした。茜は特訓メンバーの4人よりも少し年上ということもあってかいつも温かく見守っているような言動が多く、基本的には優しく面倒見が良い。しかし先ほどの足立の発言を窘めたように良くないところはきちんと指摘する場面が多く、専ら母親や姉のような立ち居振舞いをすることが散見された。


 キラキライブのメンバーの中でグラン、茜、ステラの3人に関してはいつも凛音の特訓に付き合っているため、この3人に関して凛音は大まかな人となりを把握し始めていた。


「いや~みんな仲睦まじいようで結構結構~」


 4人の会話の様子を見て冨岡は満足そうな表情を浮かべていた。この人物に関してはまだ関わりが少ないせいか性格がまだ掴めておらず、未だに胡散臭いという印象を拭えないでいた。そもそも事務所に来ると大抵デスクに座ってくつろいでいる様子しか見たことがないため何をしているのかも謎であった。


「実際のところ凛音くんの調子はどうなんだい~?」


「そうですね、斗真くんとステラも誉めていたように始めた時とは比べ物にならないほど力を付けてます」


 2人の苦言が全く響いていなかったのかまたもやグランは斗真とステラを引き合いに出し凛音について言及した。それに対して無駄だと感じたのか2人はもう反論をしなかった。


「実際にもう何度か一人で魔族を退けてますし、魔法に関してもかなり安定して使えるようになっています」


 冨岡の質問に凛音の特訓の統括官のような役割を担っているグランが進捗を答えた。


 最近では週に1.2回ほど魔族たちと遭遇するようになっており、始めこそオーガと戦った時のように不安定で危うい面もあったが、何度か戦闘を重ねていく内に一人でも安定して魔族たちを撃退できるようになっていた。スライム、ゴブリン、オーク、凛音もミノタウロス...等々様々な魔族たちと戦いその姿や名前や種類についてもある程度知識が付いていた。


「それは何とも頼もしいねぇ~」


 グランの報告を聞いて冨岡は満足そうに頷いた。


「当たり前よ、わたしが教えてあげてるんだから。むしろそれくらいできてもらわないと困るわ」


 冨岡とは反対にステラは厳しい態度を取るがその表情はどこか誇らしげであり、声色にも喜色が混じっていた。そんなステラを見て茜はまたしても笑みをこぼした。


「凛音くんはもうキラキライブの立派な戦力の一人です」


 グランはステラと違って隠そうともせずにまるで自分のことのように誇らしげに凛音の成長を喜んでいた。


「そこまで言われるほどじゃ...。皆さんが力を貸してくれたおかげです」


 致死量の称賛を浴びて凛音は居たたまれない気持ちになりギブアップの謙遜を繰り出した。しかしこの言葉は純度100%の謙遜ではなく、むしろ凛音の本音だった。凛音だけではこのような力を身に付けることはありえないことであり、魔族に襲われた時もこの4人に助けてもらう場面が何度もあった。


「そんな成長を続ける凛音くんに一つ提案があるんだけどねぇ~」


「提案ですか?俺にできることなら...」


 ここ2ヶ月ほどできつい特訓や魔族との戦闘を経験してきた凛音は、ある程度の無茶な要望でも何とかなるだろうという心構えができていた。


「ど~だい凛音くん、配信を始めてみる気はないかい~?」


「...へ?」


 しかし凛音に投げ掛けられた提案は予想外のものであった。






 ────────────────────






「あと3分...」


 凛音は自室でしきりに時刻を確認しており、手に持ったスマートフォンの左上には『19:57』と数字が表示されていた。1秒1秒と時が進む度に凛音の心臓の鼓動は早くなっていき、じんわりと汗もかきはじめていた。


 現在凛音は初配信に向けて待機をしている状態であり、残り3分で凛音の声が全世界に向けて解き放たれようとしていた。


 凛音が座っている目の前には広いデスク大きなモニター、キーボードにマウス、そしてマイクといった物が並んでおり、デスクの下には排気音を響かせている巨大な機械が鎮座していた。身近に見たり触ったりしたことがあるのがノートパソコンくらいであったため、初めて本格的なパソコンを自室に置いた時は想像以上の大きさに凛音は思わずギョッとしてしまった。また今座っている椅子もゲーミングチェアという椅子であり、これもかなり巨大で自室の中で異彩を放っていたのだが、いざ座ってみると非常に座り心地がよく、何なら祖母にも一つ買ってあげたいと思ったほどだった。


 これらの機材全てがキラキライブの経費で買ってもらったものであり、総額で高校生の凛音では到底支払えるような値段ではなかった。そのような物を経費で落として準備してもらうことは非常に気後れしたのだが、他のメンバーの機材もキラキライブが準備したものであり、凛音がこれから快適に配信できるなら、と冨岡をはじめ会社の経理を担当している人物たちは快く承諾してくれていた。


 また必要なものを揃えてもらっても凛音はそういった機器に疎く、諸々の設定は足立が担当してくれていた。そういったことも含め配信環境を整えてくれた裏方を担当している人々に凛音は感謝の念が絶えなかった。


 そして残る問題は凛音の心の準備だけという 状態であった。


 冨岡から配信の提案をされた時、凛音は最初は断ろうと考えていた。凛音は人前で何かをすることに抵抗がある性格であり、それが不特定多数の人間が相手なら尚更だった。また自分に人を楽しませることができるとも思えず、何の取り柄もない人間がキラキライブという人気絶頂のグループに入ることはむしろ反感を買ってしまうのではないか、という心配もあった。


 しかし凛音の中でキラキライブにとって何か役に立ちたいという気持ちが日に日に強くなっていた。キラキライブのメンバーには何度も命を助けられ、魔族たちを退けられる力を身に付けられたのもキラキライブのメンバーのおかげだった。それらのことに関して何も恩返しができていないことを凛音は歯痒く感じており、また仮にもキラキライブに所属していながらその一員として会社に何も利益をもたらせていないことにももどかしさがあった。


 冨岡の言によれば配信はキラキライブにとって収益的な話でも影響力の話でも比重が大きい重要な活動であり、そこに凛音が加わってくれればキラキライブとしては非常に助かるという話だった。今の凛音は戦闘経験も力の練度もまだまだであり、高校生の身であるということもあってグランや茜のように第一線で戦うことはまだ早かった。そのため戦闘以外で何か役に立てないかと考えていた時に冨岡から配信活動を勧められたことは凛音にとってありがたい話でもあった。ただ配信のために高額な機材をいくつも用意してもらったため、かえってもどかしさや申し訳なさが増した結果となってしまっていたが。


 また他のメンバーに配信活動に関して話を聞いてみると好意的な意見が多かったことも凛音にとって大きな追い風となった。


 そういった経緯から色々悩んだ末に凛音は配信をすることに決めた。


 ピピピピピピ────


 凛音が物思いに耽っていると唐突にアラーム音が鳴り響いた。


「うおっ」


 耳をつんざく不快な音に凛音は思わず情けない声をあげながらのけ反ってしまう。のけ反ったことで座っていた椅子にもたれかかってしまい、結果としてゲーミングチェアの心地よい反発性を感じることとなってしまった。自分でセットしたタイマーの音で驚いてしまい、凛音は自身を滑稽だと思い笑みがこぼれた。


 スマートフォンには『20:00』と表示されており、いよいよ予定の時刻が来てしまった。パソコンもモニターも電源は入っており、配信をするための準備も既に完了していた。


 凛音は大きく深呼吸をし、配信ソフトの『配信開始』という表示を意を決したようにマウスでクリックした。


「あーあーあー...声入ってますかね...」


 凛音は恐る恐るマイクに向かって声を出した。


『あーあーあー...声入ってますかね...』


 すると6.7秒後に凛音のスマートフォンから凛音の声が聞こえてきた。凛音はスマートフォンで自身の配信を視聴しており、こうすることで配信がきちんと始まっているか、声はちゃんと入っているかということを確認していた。ただ客観的に聞く自分の声というものは中々耐え難いものがあり、少し気味の悪さを感じてしまう。しかしそれ以上に衝撃的な光景が凛音の目に入ってきた。






 '''きちゃああ'''

 '''こんばんはー'''

 '''声ちゃんと入ってるよー'''

 ''お?'''

 '''新人きたあああ!'''

 '''声結構若い?'''

 '''ばんわー'''

 '''うおおおおおお!!!'''

 '''きこえてるよー'''

 '''はじめましてー'''

 '''こんばんわー'''

 '''ちょっと声ちっちゃいかも'''

 '''こん魔王~'''

 '''きちゃきちゃ~'''

 '''こんちゃす'''

 '''こんばんは!!'''

 '''割りとダウナー系?'''

 '''きたきたきたあああ!!'''

 '''お邪魔しま~す'''

 '''始まったあああ'''

 '''ちーっす'''

 '''魔王キター'''

 '''久々の新人だあああ'''

 '''期待してるぞー'''


 画面には上から下へと滝のように文章が流れていた。所謂コメントというものが画面上を支配していた。


「!!??」


 殴りつけるようなコメントの暴風雨に気圧されてしまい、凛音は固まって言葉が出なくなってしまう。


「あっ...えっと...こんっばんはぁ...」


 一瞬呆然としたが画面の向こうの不特定多数の人間に見られていることを思い出して気を取り直した。何とか声を絞り出して挨拶をしたが声が詰まってしまい、気味悪い声色で不自然に跳ねたリズムで挨拶をしてしまった。


「え~...き、キラキライブ新人ライバーの...い、伊織凛音です...」


 挨拶を終えた後、間を開けてはいけないと考え凛音は急いで自己紹介を始めた。その話し方はたどたどしく非常に不安を覚える声色だった。


 '''緊張してる?w'''

 '''www'''

 '''初々しいな~'''

 '''ガンバレー'''

 '''凛音くん~'''

 '''カタコトで草'''

 '''楽しみ~'''

 '''何かこっちもドキドキする'''


 凛音の声を聞いた視聴者たちは各々抱いた感想をコメントに書き込んでいく。他のキラキライブのメンバーの配信を見たことはあるためコメントが流れる様子も知ってはいたのだが、そのコメントが全て自身に向けられているという状況に凛音は圧倒されていた。声を出そうにも喉がつっかえるような感覚を覚え、口の中が急激に渇いていった。


「これからキラキライブの名に恥じない活動をして参りますので...何卒よろしくお願いします...」


 一度大きく深呼吸をし、凛音はこれから配信活動をしていく上での決意表明を一気呵成に述べていく。


 '''めっちゃ丁寧で草'''

 '''選挙活動?'''

 '''こちらも不束者ですが...'''

 '''何卒って実際に言う人いるんだ'''

 '''www'''

 '''構えすぎやろw'''


 凛音としては大勢の前で、加えてキラキライブの名前を背負っているため失礼があってはいけないとできる限りの丁寧な態度を取っていただけなのだが、その慇懃すぎる言葉選びがかえって視聴者から面白がられていた。しかし何を話そうかということに意識が集中していることと、大量に流れるコメントの中身を精査する余裕をまだ凛音を持てておらず、そういった視聴者の雰囲気を読み取れないでいた。


「え~っと、まずは自己紹介から...。俺は...僕は...いや、私は...?」


 自身が何者かを紹介しようと思った矢先、凛音はとあることが引っ掛かり話が止まってしまう。凛音が気に掛かったのは一人称だった。普段は『俺』という一人称を用いていたがそれをそのまま配信の場に持ち出してよいものかどうか、そのことに話し始めてから気づいてしまった。


 '''????'''

 '''どうしたの?'''

 '''人格増えた?'''

 '''電波悪い?'''


 凛音の歯切れの悪さにコメントも幾ばくか混乱していた。


「その、普段は『俺』なんですけど...公衆の面前だとフランクすぎるというか...もっと丁寧な方がいいのかなと...」


 '''草'''

 '''真面目すぎるやろw'''

 '''一人称定まってないことある?'''

 '''既に設定ガバガバすぎない?'''

 '''普段使ってるやつでええやろ'''

 '''俺でいいんじゃない?'''

 '''自由にすればいいと思う'''

 '''ネットなんだから適当でいいよ'''

 '''やりやすいのが一番いいよ'''


 視聴者の意見を聞くため、ここで初めて凛音はコメントを注視した。瞬く間に流れていくコメントを読める時間はほんの僅かであり、一つ一つをしっかり把握することなどとてもではないができなかった。しかし目を皿にして懸命に読み解いた結果、反応としては凛音の言葉を面白がるコメントが半分ほどであり、もう半分は凛音の好きなようにすればいいというものが大半であった。


「コメントを見た感じだと好きにしていいってことだったんで...じゃあ『俺』でいきたいと思います...!」


 凛音は恐る恐る視聴者へ向けて了承を取るように今後の一人称を決めた。『僕』や『私』はといった普段とは異なる一人称を用いるのは何だか気恥ずかしい感覚があったため、凛音は視聴者の言葉を真に受けることにした。


 '''88888888'''

 '''一人称決定!'''

 '''なんやこれ草'''

 ''一人称は大事だからね、しょうがないね'''

 '''これ3万人も見てて草生える'''

 '''初配信で一人称を決めた男'''

 '''8888'''

 '''今回の新人もやっぱ変わってるなー'''


「じゃあ改めて自己紹介を...、俺は高校1年生の15歳です。趣味はゲームしたりyoutube見たり...です。特技は...すいません...あんまり思い付かないです...」


 凛音は自己紹介のテンプレートを矢継ぎ早に捲し立てていった。これからライバーとして活動していく身としてはもっと奇抜で外連味のある自己紹介をするべきなのだろうが、凛音はほんの2ヵ月ほど前まではごくごく平凡な高校生の一人であったため、非常に無味乾燥で特徴のない自己紹介となってしまった。


 '''短くね?'''

 '''内容うっす'''

 '''もっとなんかあるだろw'''

 '''薄味で草'''

 '''俺じゃん'''

 '''ホントに新人ライバーですか?


 視聴者たちも凛音のあまりにあっさりとしすぎた自己紹介が気になったのか、ツッコミのコメントが大量に流れてくる。


「す、すいません...。俺、ホントにただの高校生で...。異世界から来たとか、陰陽師の家系とかそういうの無くて...」


 '''今度は逆に一般人の設定か'''

 '''むしろ斬新か...?'''

 '''親近感あるなw'''

 '''俺じゃん'''

 '''一般人枠'''

 '''俺ら代表'''

 '''逆に主人公っぽい'''


 凛音の凡庸な人間性に対して視聴者の反応は様々であった。


 '''あれ?魔王云々は?'''

 '''魔王の魂宿ってるんじゃないの?'''

 '''twitterで変身してるの見たぞ'''

 '''悪魔に変身できるって聞いたぞ'''

 '''悪魔の力は?'''

 '''魔法使えるんじゃないの?'''

 '''グランから魔法習ったんでしょ?'''


 ただ視聴者の中には凛音の身の上について知っている者も少なからずいた。twitterやキラキライブのチャンネルに凛音が魔族と戦っている様子をまとめた短い動画を紹介映像としてアップロードしていたことが功を奏していた。


「あ~...魔法とか魔王とかそういうの知ったのはホントに最近で...。まだ自覚があんまりないというか...」


 一般人にはない力を宿していることは事実であるが、凛音の人生においてそれはごくごく最近のまだまだ短い期間のことであり、15年間どこにでもいる一般人として過ごしてきた凛音には他のメンバーのような特殊な背景は非常といったものはほとんどないに等しかった。


 '''これからどんな配信するの?'''

 '''バトル配信はいつ?'''

 '''youtube何見てる~?'''

 '''最近までただの一般人だったってこと?'''

 '''好きなゲームは?'''

 '''アニメとか漫画は見る?'''

 '''変身ってどんな感じ?'''

 '''他のメンバーとは絡みあるの?'''

 '''普段の生活どんな感じ?'''


 あまりにも不馴れな配信でかつあまり特徴のない自己紹介しかできなかった凛音だが、視聴者たちはそんな凛音に興味を持ったのか様々な疑問を投げかけた。


「これから何をやるかはあんまり決まってないです...。視聴者の皆さんの要望があればできるだけ応えていきたいです...配信は週2.3回ほどを目標に頑張ります!」


 '''やっぱりバトル配信が一番見たい!'''

 '''コラボとかはするの?'''

 '''ホラゲ配信やってほしー'''

 '''歌は歌うの?'''

 '''オタクトーク聞きてえよ'''

 '''ウォチパとかは?'''


「バトル配信はいつやるか分かんないです...。予定が決まったら多分twitterとかで告知します」


 '''マジで楽しみ!'''

 '''twitterフォローしといたわ'''

 '''早く見てぇ~'''

 '''どんくらい強いの?'''

 '''待ちきれねえよ'''


「youtubeでよく見てるのは動物系の動画とか料理系とか...あとはゲーム実況とか芸人さんのyoutubeも見てます...!お気に入りは『ニャン吉の部屋』っていうチャンネルとか...『ローマの野郎ども』っていう実況者グループの方たちとか...」


 '''ニャン吉いいよね'''

 '''ヨシキって配信者おすすめ'''

 '''クッソ趣味合いそう'''

 '''私もローマの野郎ども見てる~'''

 '''vtuberは見てる?'''


「2ヵ月くらい前にいきなりゴブリンに襲われて...もうダメだって思ったときにグランさんが颯爽と現れて俺を助けてくれて...!そこからキラキライブのこととか、魔王の力のこととか色々聞いて...」


 '''こっわ'''

 '''俺だったら漏らしてそう'''

 '''やっぱグラン様よ'''

 '''その時は何の力もなかったの?'''

 '''俺も魔王の力に目覚めねえかなぁ'''

 '''マジでラノベ主人公みたいだな'''


「好きなゲームかぁ~、う~ん...難しいなぁ...最近はエルダの伝説の最新作が面白かったですね。あとは隻眼とか...レトロゲームだとFATHERとか...」


 '''エルダマジでおもろかったな'''

 ''隻眼プレイ済みか'''

 '''中々良いチョイスするやん'''

 '''FATHER好きなん!?'''

 '''fpsとかはやんないの?'''

 '''ソシャゲは何かやってる?

 '''この前の天々堂ダイレクト見た?'''


「アニメとか漫画はゲームほど詳しいわけじゃないですね...ちゃんと見たことあるのはレンジャー×レンジャーとかはぐれの錬金術師とか...有名どころを見たことあるくらいですかねぇ...」


 '''ハグレンめっちゃすこ'''

 '''レンジャは義務教育だからな'''

 '''今季アニメ何か見た?'''

 '''レンジャの信能力何が好き?'''

 '''スポーツ系とかは?'''

 '''ヂョヂョは?'''


「悪魔に変身する時は身体中がホントに痛くて...インフルエンザの時の関節痛の5倍くらいの痛みが全身に流れてる感じで...特に頭とお尻が割れるんじゃないかってくらい激痛なんです」


 '''うげぇ'''

 '''聞いてるだけでもキツそう'''

 '''あれやっぱり苦しいんだ'''

 '''でもちょっと憧れるよな'''

 '''ケツは元々割れてるだろ'''

 '''ヒエッ...'''


「他のメンバーとは...そうですねぇ...グランさんと茜さんとステラさんは魔法の特訓の時にすごくお世話になった3人で...キラキライブについてもたくさん教えてもらいましたし...」


 '''俺も茜さんに教えてもらいたいぞ'''

 ''そういえばステラそんなこと言ってたな'''

 '''特訓って何するの?'''

 '''その3人に囲まれて特訓してぇ~'''

 '''キツそうだけどちょっと羨ましいかも'''


「普段の生活ですか...学校行って...普通に授業受けて...お昼ごはん食べて...家に帰ってyoutube見て...う~んあんまり面白そうな話はないですねぇ...」


 '''あんま俺と変わんないじゃん'''

 '''めっちゃ普通で草'''

 '''いつもの俺かな?'''

 '''くっそ親近感あるわ'''

 '''聞く限りホントに普通だな...'''

 '''地味すぎない?'''


 始めはぎこちない凛音だったが視聴者たちからの質問に答えている内に少し緊張がほぐれていき、気付けば2時間ほど時間が経ち凛音はこの日配信を終えた。

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