第3話 超能力やら魔法やら異世界やら...

 夕焼けごろの住宅街に、片やカッターシャツと学生ズボンといういかにも学校帰りのどこにでもいそうな学生が一人。片や端正な顔立ちにサラサラと艶やかな金髪、加えて背中にマントを靡かせているお伽噺の王子様のような美男子が一人。


 現在凛音には体に鉛を入れられたような重い疲労感と体の節々から主張してくる鈍痛、そして何よりも命の危機を切り抜けた後の脱力感が襲いかかってきており、きちんと誰かの話を聞き入れることのできる状況とは到底言い難かった。


『君にはキラキライブに所属してもらう』


 そのような状態の最中に上記のような文言を告げられた凛音の脳は、完全に言葉の意味を理解することを拒んでいた。


「すいません...もう何が何やら...急にそんなこと言われても...俺にはどうすることも...」


 自分に襲いかかってきた緑色の化け物は一体何なのか?なぜ凛音に襲いかかってきたのか?先程まで自身に馬乗りになっていた怪物の一匹が一瞬にして居なくなってしまったがどこへ消えたのか?そしてその一瞬のうちに感じた熱気はなんだったのか?


 凛音の脳内には処理しきれていない疑問がいくつも転がっていたが、疲労と脱力感とかけられた言葉が重なりあって思考が完全に停止していた。


「君は今混乱の真っ只中にいると思う。こんな事態に巻き込んでしまったこと、本当に申し訳ない。ただここで悠長にしているとまた魔族たちが襲ってくるかもしれないし、それにまわりの人々にも気付かれてしまう。今はとにかく僕の言うとおりにしてほしい。絶対に君に危害は加えない、約束する。」


 お伽噺の王子様、もといグランは凛音の目を真っ直ぐと見据えながら優しくも強い口調で凛音に語りかけた。そうして手を差し伸べコンクリートの地面に尻餅をついていた凛音を立たせると、グランは先程凛音と2匹のゴブリンがいたアパートへと入っていった。


神聖付与ホーリーエンチャント


 グランは何やら呪文めいたものを唱えながら剣の刀身に手を沿わせる。すると剣は光を帯び、その剣を構え大きく真横に薙ぎ払った。


「ギャギャギャー!!」

「ギャ!ギャギャ!」


 目も眩む閃光が辺りを照らし一瞬不快な悲鳴が木霊した。光が収まると、凛音に消火器の粉を浴びせかけられ地面をのたうち回っていたゴブリン2匹は跡形もなく消え去っていた。


「よし、これで取りあえず大丈夫だろう」


 凛音にとっては訳の分からないことの連続で、グランの一挙手一投足をただただ呆然として眺めていることしかできなかった。


「おーい、グラン君~?大丈夫~?」


 不意にグランへと女性のものと思われる声がかけられる。凛音は住宅街に響き渡る声の主の姿を探すが、四方八方を見渡してもそれらしき人物は見当たらない。


「茜さん、魔族は今のところもういないです。後は凛音君を事務所へ連れていくだけです」


 グランの方が先に声の主を見つけ、に向かって会話を始めた。グランと同じように上空を見上げた凛音は、空中に浮かんでいる一人の女性を見つけた。


「あら、そうだったの。じゃあ今からは私の出番ね」


 長い黒髪に柔和な面持ちをしている女性で、呼ばれた名前や見た目から日本人だということが分かる。正常な状態であれば宙に浮いている女性ということに驚くはずなのだが、今の凛音にはそういった反応を見せる元気すら失われており、目の前の超常的な現象を唯々諾々と受け入れるしかなかった。


 茜と呼ばれた女性はふわりと凛音のそばへと降り立つと凛音を一瞥し、その右手で凛音の左手を握り手を繋いだ。


「えっと...これは?」


「いきなりごめんなさいね、すぐ終わるから。グラン君は左手を」


「分かりました」


 いきなり初対面の女性に手を握られ些か困惑する凛音だったが、対してグランは手慣れた様子で茜の空いている方の手を握った。


「じゃあ凛音君はちょっと目を瞑ってて。開けていいって言うまで開けちゃダメよ?最初はびっくりしちゃうから」


「は、はぁ...」


 状況が全く掴めない凛音に対してグランも茜もぐいぐいと自分達のペースで会話を進めていく。疲弊と混乱がピークに達している凛音は頭が全く働かず、聞き分けの良い子供のように二人の言うことを全て聞き入れてしまっていた。


「じゃあ、いくわよ。瞬間移動テレポート


 茜がそう言うと凛音は一瞬ジェットコースターに乗ったときのような強い浮遊感に襲われ少しばかり吐き気を催した。


「はい、もう目を開けても大丈夫よ」


 茜の声に促され凛音は固く閉じていた目蓋を開ける。すると先程まで眼前に広がっていたコンクリートの道もブロック塀も、立ち並ぶ家々も軒先から伸びた植物も全て視界から消え去っており、代わりに事務用の机や大量の書類にパソコンといった、いかにもオフィスといった光景が凛音の目に写しだされていた。


「これが明晰夢ってやつか...?」


 目の前の光景を見て凛音はそうポツリと呟いた。


 これが夢であると自覚しながら見る夢、確かそんな現象があると昔見たテレビで言っていたはすだ。そんな記憶を呼び起こしながら凛音は現状を最も論理的に説明できる理由を見つけようとしていた。


 急に全身緑色の化物に襲われたかと思えば金髪の美男子がそれを一瞬で消し去り、空から女性が降りてきたかと思うと一瞬で別の場所へ移動している。まさしく睡眠時に見る夢のような状況だった。


 最近何度もキラキライブの動画を見ていたためその動画で見た人や物が夢の中に登場しているのだろう。全く足立のせいで恐ろしい夢を見た。にしても夢という自覚がありながら夢を見るなんて初めての体験だ、起きたらこのことは覚えているんだろうか?足立に話したらきっとからかわれるだろうな。


 このようなことを思いながら凛音はほっと胸を撫で下ろし安心しようとしていた。


「...?茜さんメイセキムって何ですか?」


「確かこれは今夢を見てるんだって自覚しながら見る夢のことじゃなかったかしら?」


 凛音の発した独り言にグランが反応し、その疑問に茜が答える。


「要するに今凛音君は自分が夢の中にいるって思ってるんじゃないかしら?確かにさっきまで起こったことを考えてみると夢みたいな内容よねぇ」


「なるほど、それはちょっと困りましたね」


 分かりやすく簡潔に凛音の考えを要約した茜の意見にグランは納得し、凛音もわざわざ説明の手間が省けたと感じた。


「えっと、グランさんと茜...さん?でしたっけ?先程は助けていただいてありがとうございます。」


 これは夢だと認識した凛音は緊張がほぐれ始め、きちんとコミュニケーションを取れるほど平静を取り戻していた。


「えっと...その...俺さっきまで学校から帰る途中で...だからすぐ家に帰りたいんですけど...」


 そもそも自分が下校中だったことを思い出した凛音は取りあえずに帰りたいという意思を示した。壁にかけられた時計を横目で見ると針は5時を指しており、学校を出たのが4時前であったため実に1時間ほど時間が経過していた。夢であればここへ来た時のように一瞬で家に帰ったりできないだろうか。


「え~と、話さなきゃいけないことはたくさんあるんだけど、とりあえず体はどう?どこか痛んだり怪我とかしてない?」


 色々思案していた凛音だが茜から身体の調子を聞かれ、忘れていた感覚をじわじわと思い出してきた。


 全身に鉛が埋め込まれたかのように重い疲労感が走り、普段運動などてんでしないのに急に駆け出したせいかふくらはぎや踵のの筋肉がジンジンと痛む。また棍棒で殴られたり地面へ強く押し倒されたりしたため手や背中に鈍い痛みが未だに残っている。そして何より刃先を突きつけられた喉元からは熱い感触が徐々に戻ってきていた。喉を触ってみると指にヌラリと血が付いてしまった。


「えっと...手とか足とか...なんか所々痛くて...それに喉から血も...」


 夢なのに痛みとか疲れとか感じるんだな、と謎の感慨を覚えながら凛音は茜に聞かれたことに素直に答えた。


「あらあら!気が付かなくてごめんなさい...。そうね、ちょっとそこのソファに座ってくれる?」


 凛音の返答を聞いた茜は少し驚いた後、凛音に近くにあったクリーム色のソファへ座るように優しい声色で促した。凛音は言われるがままソファへ腰を下ろした。


「ちょっとごめんなさいね...」


 凛音がソファへ座るとソファ越しに凛音の後ろへと回り込み、短く謝辞を述べると凛音の背中へと両手を置いた。


治癒ヒーリング


 茜が凛音の背中に手を置きながら一言呟いた。すると凛音は全身を蝕んでいた重い疲労感がみるみると抜けていくような感覚を覚え、手や背中や足に残っていたジンジンとした痛みも忽然と姿を消した。


「よし、このくらいでどうかしら?」


 5秒ほど経つと手を離し茜は凛音へと確認を促した。


「えっ...全身が軽い...それにどこも痛くない...」


 先ほどまで身体中を駆け巡っていた疲れや痛みが忽ち霧散し凛音は驚きを隠せないできた。全身を確かめる過程で喉元に手を当ててみるが血などどこにもなく、それどころかかさぶたや傷口の痕さえなかった。


(やっぱり夢ってなんでもありだな...)


「よし、やっと本題に入れるわね。」


 夢のはちゃめちゃな万能さに凛音が驚きと少しの可笑しさを覚えていると茜が両手で手をパチンと一回叩き、場の空気を一度リセットした。


「色々話したいことはあるけど...まずは凛音君の疑問に答えた方がいいわよね?多分びっくりしたことがいっぱいあったでしょうし...あ、その前に!」


 茜は何かを思い出したかのような反応を見せると徐に後ろへと振り向いた。


「こっちの部屋に来てくれるかしら~」


 茜は振り向いた視線の先にあった部屋へドア越しに呼び掛けた。数秒後呼び掛けに応じるように黒く真ん中がガラス張りになっているドアが開かれた。


「よう、オリオン」


 開かれた扉から姿を見せたのは凛音が毎日顔を合わせている、よく見知った人物だった。


「あ、足立!!??」


 まさかの登場人物に凛音は思わず面食らってしまう。突然訳の分からない出来事に巻き込まれ、突然訳の分からない人物が出てきた所で急に良く見知った人物が現れたことで逆に凛音の混乱はより深くなってしまった。


「な...なんでお前が...?」


「www、お前のそんな表情なかなか拝めないな」


 驚きに満ちた表情をしている凛音を見て足立は愉快そうに笑う。


「今集まれるメンバーはこのくらいかな。じゃあ話を戻して凛音君の質問に答えるとしましょうか。まずは何から聞きたい?」


 会話のペースは完全に茜の主導で行われていた。足立もグランも茜の提案に異議を唱えることなく凛音の言葉を待っている。


「い、いや、とりあえずなんで足立がここに...?二人とはどういう..」


 聞きたいことは山ほどあったがまさかのサプライズに真っ先に浮かんだ疑問はなぜ友人がこの場に出てくるのかということだった。


「あっはは、まあそうなるよな。いきなり親友が出てくるんだから...う~ん、どこから話せばいいのか...」


 凛音に問いかけられた足立は目を瞑りしばらく思案した後ゆっくりと口を開いた。


「まず俺のことからだけど...俺はここの事務所で色んな雑事やらせてもらってんだ。配信環境の整備とか資料や情報の整理とか...まあ裏方作業全般かな」


「あ、足立が...いつの間に...?」


「うーん、確か4ヶ月くらい前からかな?受験が終わって暇な時期だったじゃん?で、うちの姉ちゃんがここで働いててさ、俺パソコンとか周辺機器とかそういうのに詳しいから、そういうのを使う仕事の手伝いしてたんだよね。そしたらあれよあれよと言う間にこんな感じに...」


「なんだか信じられないな...お前ってそそっかしいし、そういうのできなさそうだけど...」


 普段の足立と全くイメージが違っていたため、凛音は言われたことを素直に飲み込むことができなかった。確かに足立はそういった機械に強い印象ではあったが、まさか一つの会社で仕事を任されるほどだとは知らなかったし、そもそも一介の高校生に過ぎない足立にそのような仕事を任せるということにも疑問を呈さずにはいられなかった。


「あらあら、斗真君、すごく頼りになるのよ?いつもテキパキ仕事をこなしてくれるし、裏方の皆も斗真君のおかげですごく仕事が楽になったって言ってるし」


「そうだね、表で日の目を浴びることな少ないけれどうちへの貢献度は計り知れないよ」


「ですよね!!お二人ともさすが分かってらっしゃる!!どーだオリオン、俺って結構すごいんだぜ?」


 二人から太鼓判を押され鼻高々といった様子の足立。


「あ、あの足立が...」


 お調子者の友人が仕事を任され、加えて高い評価を得ているという事実を凛音は俄には受け入れがたかった。しかも本人がおふざけで口にしているのならともかく、他者からのお墨付きというのだからこれも驚きだった。


「というかお前、こんなんで一々驚いてたらこの先もたないぞ。で話の続きだけど俺に任された仕事は裏方だけじゃなくもう一個でかいのがあったんだ。それがオリオン、お前のお目付け役だ」


「...???俺の...お目付け役...?」


「ははは、ホントさっきからびっくりしっぱなしだな、オリオン」


 感覚が麻痺してきてもう何に驚けばよいのかよく分からなくなってきている凛音は更によく分からない単語を突き付けられた。対して宣告した方の足立はカラカラと愉快そうに笑っている。


「そりゃびっくりするだろ、何だよお目付け役って。俺は御曹司か何かか?別に誰かに世話してもらう必要も、ましてや足立になんて...」


 確かに凛音は高校生で、まだまだ大人に保護されている身分と言えるがそれでも最低限身の回りのことくらいはできている。誰か特別な手助けがいるような状態では全くなかった。


「いや、俺も最初聞いたときはびっくりしたよ。確かにお前は友達少ないけど、でもしっかりしてる性格だろ?」


「友達少ないは余計だ」


 友人の余計な一言に凛音は思わず苦言を呈するが、当の足立は構わず話を続ける。


「オリオンは最近唐突に記憶がなくなったりとか、急に何時間も時間が経ってたことない?」


「...!!なんで足立がそれを...!?」


 凛音は本日何度目か分からない、しかし今までのどれよりも明瞭に驚きを示した。急に身の回りで起きたことを引き合いに出されたため一連の話の当事者であるという自覚が凛音の中に急に湧いてきた。


「その反応やっぱり気付いてたかー。そりゃそうだよなぁ。俺の知る限りじゃその現象をお前は4回経験してるはずだ。」


 唐突に言われ混乱するがすぐに頭を落ち着かせ、凛音は思い当たる節を頭の中で探ってみる。しかし思い出すうちに足立の言葉と凛音の記憶で食い違いがあることに気が付いた。


「4回...?俺が覚えてるうちじゃ3回しかないけど...」


 凛音の頭の中に浮かんでいるのは4月の中旬に図書館へ行く道中の公園で1回、5月の初めにコンビニからの帰り道で1回、そして今日の朝の1回の合計3回であり、足立の言葉と矛盾する。


「あれ?まあ覚えてないのも無理ないか。え~と確か4月の中旬、確か昼くらいに1回。次に5月の初めに夕方に1回。で今週の月曜の夜に1回、で今日の朝に1回の4回だ。」


「えっ?今週の月曜、夜...あっ...!」


 身に覚えのない経験を聞き、記憶を探っていると一つふと思い出したことがあった。


「あの夜...確かニャン吉の動画見てたときだ...」


 今週の月曜の夜のことを思い出し頭の中で再現していると、とある違和感について記憶が蘇ってきた。布団に入りニャン吉の動画を見ていると外から何か大きな物音が聞こえ、確認しようと窓を開けた瞬間、そこから記憶が消え失せ気付けば1時半になっていた。ニャン吉の動画を見始めたのが10時半頃であったため、凛音は気付かないうちに寝てしまっていたのだと思っていたがあれもこの事件の内の一つだったらしい。


「おっ、なんか思い出したみたいだな。で、結論から言うと...あれはまあ...半分くらいはこっちのせいなんだ...。あ、でも勘違いすんなよ?別にオリオンに危害を加えるためにそんなことしたんじゃないからな?むしろお前の身を守ってたんだから」


 足立は少し言い辛そうにしながら結論を述べた後、早口でその理由を捲し立てた。


「もう訳が分かんないこと言われ過ぎて...それがホントだとしたら何のために...?」


 もう驚くことに疲れてきた凛音は今ではすんなりと話を聞く態勢に入っていた。


「オリオン、さっきゴブリンに襲われてたんだろ?」


「あの緑色のやつか...というか足立、なんでそれも知ってるんだよ。お前あの場にいなかっただろ」


「言っただろ?俺はお目付け役だって。いついかなるときもお前の動向はチェックしてるってわけよ」


「うげぇ...」


「俺だって好き好んで見張ってるわけじゃねえよ!」


 凛音の反応に心外だと感じたのか、足立は全力で抗議の声をあげた。


「ああいうバケモンに襲われるの、実は凛音は初めてじゃないんだ。さっきので5回目。要は今までに4回ああいうのに襲われてんだ。」


「4回も...?でもそんな記憶...」


 足立の言葉に全く身に覚えがなかったが、全く身に覚えがないということが一つの答えになっていた。


「俺が記憶を失っていた時はああいう化物たちに襲われてたってこと?」


「おっさすがオリオン、察しがいいねぇ。そういうこと。この数ヶ月間俺はオリオンのことを常に見守ってて、もしああいうバケモンが近づいてきたらここにいるグランさんとか茜さんとか、他のメンバーとかに連絡してオリオンのこと助けてもらってたの。で事態が片付いた後、オリオンの記憶を消して何事もなかったように偽装してたわけ」


 凛音はどこから突っ込んでいいか分からなかったが、取りあえず真っ先に気になったことから足立に質問した。


「常に...?学校いるときも、寝てる時も...?」


 凛音は恐怖を覚え、目の前の友人に対する認識が大きく変わろうとしていた。


「ああ。GPSとか小型のドローンカメラとか、色々。でも言っとくけどずっとカメラでお前のこと覗いたり、GPSで位置を見てお前が何時にどこに入ったかとか逐一確認してたわけじゃねーぞ。諸々の機械にはバケモンの気配を察知したらこっちに知らせてくれる機能が付いてて、それに反応があった時とかにそっちの様子を確認してたくらいだからな」


「そ...そうか、それならまあ...。要するに俺の身を守るために見守ってくれてたって言いたいんだな?」


「そうそう!そういうこと!別にお前の裸とかお前の個人的な趣味とかには一切触れてねーし全く興味ねーから安心しろ」


 他人に自身の行動を知らないうちに監視されていると聞かされ全身が強張ってきたが凛音だったが、足立が自分を毎日監視していたなんてことを信じられるわけもなく、ましてや自分が知らないうちに化物に襲われていたなんてことや記憶を消されていたなんてことは、凛音にとってはいそうですかと受け入れられるはずもなかった。


「いや、もう次から次へぶっ飛んだこと言われてどっからツッコんでいいかわかんねえよ...。普段から足立はおふざけが多かったけど、今日のはさすがに処理しきれねえよ...」


「まあ、そうなるよなぁ...」


 全身緑色の得体の知れない生物から急に襲われ、よく分からない場所に急に連れてこられ、そして足立からの一連の話。凛音は何をどう処理してよいのか皆目検討もつかなかった。


「分かった...、これはドッキリか何かの動画なんだろ?今日襲ってきた化物、前にキラキライブの動画で見たことあるぞ?中に人が入ってて...で俺を襲わせてあわてふためいてる反応を見る、みたいなそういうやつだろ?ここで働いてる足立とたまたま知り合いだったからそれで俺がターゲットにされたんだろ?ハハハ、勘弁してくれよ、俺そういうの上手くリアクションできねーよ...」


 今まで説明されたことを受け入れられず、凛音は思わず捲し立てるように自身の理論を展開した。まるで自分に言い聞かせているように。


「まあ、取りあえず一旦休憩しましょ?コーヒー淹れたから。あとお菓子もあるわよ」


 凛音の座っていたソファの前にあった長机にコトンと4つのコーヒーカップと数種類のお菓子の乗ったトレーが置かれた。話に夢中で気が付かなかったが、気を利かせた茜が足立と凛音が話している間に用意してくれたようだった。


「あ...ありがとうございます...いただきます...」


「はい、どうぞ。お口に合うか分からないけれど、これで少しは落ち着くと思うわ」


 まずはカップに手を掛けコーヒーを口へと運んだ。凛音は大の甘党であるため、普段はコーヒー本来の味がなくなるほどミルクや砂糖を使用したものを好んで飲んでいるのだが、茜が淹れたものはほんのわずかに砂糖の甘味とミルクのまろやかさを感じる程度のものだった。しかし凛音にとって少し苦いと感じるコーヒーの風味や味、そしてそれを味わう時間がかえって凛音の脳や心を落ち着かせた。


「お、美味しかったです...大分落ち着きました...」


「そう、それはよかったわ」


 自身の淹れたコーヒーを飲み干してもらえたからか、凛音が落ち着きを取り戻したからか、はたまた両方か、茜は柔和な笑みを浮かべながら凛音の言葉を受け取った。


「どう?話の続きは聞けそう?」


「は、はい...なんとか...」


 まるで園児にでも話しかけるかのように優しく問いかけられ、凛音は素直に答えた。


「おう、気にすんな、色んなこといっぺんに言われて混乱するのは当たり前だからな」


「いきなりゴブリンたちに襲われて、知らない場所に連れてこられたと思ったら今の話だ。取り乱すのも無理はないよ」


 グランと足立にも先ほどの凛音に対してフォローの言葉を投げかけた。


「ふぅ~...。分かりました。とりあえず今はお話を聞くことに専念したいと思います」


 凛音は大きく深呼吸をすると同時に自身の気持ちを固めた。例え夢や質の悪いドッキリであってもこの状況でじたばたしても仕方がないため、凛音は目の前の人物たちの突拍子もない話を最後まで聞き遂げる方向に考えを改めた。


「え~と、それで、まとめると、足立とお二人はああいう化物から俺を守ってくれてたってことでいいんですよね?」


「ああ、あと他にも何人かいるけど」


「まず聞きたいのは今日襲ってきた全身緑色のやつのことなんだけど...確か足立に見せられた動画に出てきて、ゴブリンって呼ばれてなかったっけ?」


 足立に見せられた動画の中で登場し、先ほど目の前に現れ襲いかかってきた化物。凛音にはあれらが何なのか皆目見当もつかなかった。


「それに関しては僕から説明するよ」


 凛音の問いかけに今度は足立ではなくグランが対応する。


「凛音君が今日襲われたゴブリン、あれはこの世界の生き物じゃない。僕が住んでた世界の生き物、こちらの世界から言うと異世界と言えばいいのかな?」


「い、異世界...?」


「そう、僕やあのゴブリンたちはこの世界とは違う世界から来たんだ。」


 またもや出てきた突飛な単語に凛音は今日何度目になるか分からない困惑を示した。


「ああいう生き物はゴブリン以外にもたくさんの種類がいてね。人間に敵意を持ち危害を加える存在で、僕たちの世界では総称して魔族と呼ばれているんだ」


「そ、そんな漫画やゲームみたいな...」


「ハハハ、その漫画やゲームというものを初めて見たとき驚いたよ。魔法を使って人類が発展してるとか、人類に危害を加える魔族がいるとか、僕たちの世界のことが書かれてたんだから」


 グランによるとゲームや漫画でよく目にする魔法や魔族といった設定は空想などではなく実在しているということであるが、すんなりと受け入れられる話ではない。しかし話を最後まで聞き遂げると決めた凛音は口を挟まずグランの次の言葉を待った。


「本来は滅多にあることじゃないんだけどこちらの世界とあちらの世界とで人や物が行き来することがあるんだ。恐らくだけどこちらの世界の出身で僕たちの世界に足を踏み入れた人物がいたんだろう。そしてそこで見たことや聞いたことを漫画やゲームといった創作物として残したんだろうね」


「その反対で、グランさんやあのゴブリンたちはその異世界から俺たちの住んでいる世界にやってきた...」


 グランの話を咀嚼し、凛音は聞いた話を自分なりに整理していく。


「そういうこと。僕は元々あちらの世界で魔族から人々を守ることを生業としていてね。こちらの世界でも魔族から人々を守っているんだ。でもこちらの世界には元来魔族なんていなかった。だからこちらの世界の人々に気付かれないように秘密裏に魔族を倒していて、もし目撃されてしまった場合は凛音君のように一部記憶を消去させてもらってるんだ」


「その...記憶の消去って...すごく物騒に聞こえるんですけど...。そもそもそんなことできるんですか?」


 意図的に他人の記憶をしかも消したい部分だけ消去できるなど俄には信じがたいことであり、仮にそれが事実であったならば人体への影響や犯罪への悪用などぱっと思い浮かぶだけでも数々の懸念点が見つかる。


「実際凛音君は一時的に記憶や意識がなくなるという体験をここ最近何度も経験しているだろう?その君自身の体験を証拠としてもらうしかないかな。悪用については...今はもう無条件に信じてもらうしかない。ただ君がこの事務所に所属して活動すればその懸念は必ず払拭できると誓うよ」


「実際何か物盗られてたとか知らない傷が増えてたとかそういうことなかったろ?今は俺の顔に免じて納得してくれよ」


 グランの釈明に足立もここぞとフォローを入れた。疑いが完全に晴れた訳ではないが、先ほどのゴブリンから助けてくれたグランと短くはない付き合いの友人の言葉を凛音は信じることにした。


「でもそれだとどうして俺にその秘密を話してくれるんですか?俺は見ての通りただの高校生でお二人と違って何かすごい力を持ってる訳でもないですし...足立と違って裏方で役に立てるようなスキルを持ってる訳でもないですし...」


 秘密裏に魔族を倒し一般の人々に気付かれないように平和を守っているのだとしたら、凛音は間違いなく一般の人々に属している存在だった。にも関わらず彼らの隠すべき事情や情報をこうして共有している理由が凛音にとっては不可解であった。


「その理由こそが僕がこちらの世界へ来た理由でもあるし、今日の話の核心でもあるんだけど...」


 そこでグランは喋ることを中断し、次に何を言うか考え始めた。これまで凛音の質問に淀みなく答えていたグランだったが、ここで初めてその言葉に躓きが生じた。唐突に訪れた沈黙だったが、足立も茜も口を挟むことなく固唾を飲んでグランと凛音を見守っていた。十数秒ほど経ち、グランは意を決して口を開いた。


「簡潔に言うと、君には魔王の魂が宿っているんだ」


「......へ?」


 グランの言葉に凛音は思わず間抜けな声をあげてしまう。

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