花瓶

和室の一角。寂しげに俯く机の上には花瓶が置いてある。


花瓶には一輪のチューリップが刺さっていて、きれいな金魚の絵が描かれている。

その金魚の絵は花が霞むほど可憐な模様で、鮮やかな赤と白で彩色されたのと、暗い青と黒を基調としたものが一対となってガラスの海をいきいきと泳ぐ。いや、そのあまりの躍動感から、空を飛んでいるようにも見える。水面に映る、黄色の花びらが夢の中のような幻想を醸している。二対の金魚は鬼ごっこをしているかのようで、赤いのを青いのが追いかける構図となっている。その泳ぎは非常に落ち着いた様相で、ひれの外側にできるひらひらとした水の揺らぎが天使の羽衣のように飾っている。物語として、逃げている白に黒がだんだんと近づき、追いついたかと思えば突然赤いのが消える。まるで食べられてしまったかのように。しかし、その透き通るような海の輝きが悲劇性をどこかにおいやってしまう。そして今度は青いのすら消えていく。残るのは寒々しい海底の冷たさだけだ。


さて、花瓶の横にはお決まりともいえる写真立てが窓の方を向いて、その可愛らしい笑顔を空に見せつけている。思うのだがなんで遺影っていつも笑顔なのだろうか。あんなに悲惨な最期だったのに。葬式でもそうだった。すすり泣きばかりが宙を舞い、線香の匂いが鼻をつんとさす厳かな空間の中で、お前だけが燦然とその眩しいまんまるの笑顔を浮かばせてた。そのほほえみがあまりにも眩しくて、どうしようもなく目の奥に突き刺さって前が見えなくなる。でもさ、どうしてだろうね。ずっと見つめてるのに目が合わないんだ。どこか線香の煙か、遠くに浮かぶ雲か知らないけど、俺のことを見ていないのだけはよく分かるよ。結局俺は、その透き通るような瞳でなく、張り付いたような口元に涙を流してた。ああ、くそ。あと少しで手に入れられるはずだったのに。


気が付けば雨の空気だった。傘を持ってきていたっけ。まあいいや

彼女は、やっぱり笑っている。この写真が憎い。あまりにも憎い。

俺が見ていた君は、こんなに味気ない笑顔を見せるような薄っぺらい存在じゃなかったはずなんだ。もっと生気に満ちていて、いきいきとしていた。振り向くたびに見せる甘い顔をいつも追いかけてた。そう、あなたは私よりずっと小柄で、きれいな花柄のスカートが風に揺れてひらひら舞うんだ。抱き締める度、自分よりずっとあったかい体温に触れる度、その艶やかな肌がぷるんと音を立てる度、心臓の鼓動の早さの違いを埋め合わせようと必死になる度、どうしようもなくなる。そんな彼女が今こんなに窮屈でちっぽけな額縁に押し込められている。苛立ち。焦り。怒り。


写真立てに拳を打ち付けると、あっさり割れた。あの時のように。

写真自体はまだ破れていないが、そんなことはどうでもいい。


ああわかってるさ。わかってるよ?わっかてる。

俺が殺したんだよ?これで満足か?

なにを今さら言い出すんだよ。本当にうるさい。

出て行ってくれないか。出ていけ!出ていけ!

人の心のうちを覗いて楽しいか?娯楽として消費して大層な身分ですなあ!

滑稽か?滑稽だろう。面白いよなあ。

こっちは大切な人が死んで苦しんでんだよ。

邪魔なんだ。目障りなんだ。消えてくれないか?

そうだよ、俺が殺したんだ。

だからどうした?その理由を知って何になる?

それだから悲しんじゃいけないってか?


彼は花瓶を手に持ち、それを壁に放り投げた。

花瓶は割れ、二匹の金魚はぴちぴちと音を立てて逃げて行ってしまった。





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