第五章 未来に託された思い

第一節 運命の子ども

第三十二話

 その日は抜けるような青空だった。

 雲一つなく、どこまでもいけそうな空。

 その空から、何かが降って来るのをみなが見た。

 季節外れの雪のように見えるそれは雪ではなく、ユキヤナギの花だった。ユキヤナギの花と、白く淡く輝く光が、空から無数に降って来たのだ。

 いくつものいくつもの、白く光る美しい光の粒。

 まるでダイヤモンドダストのように煌めく花と光に、世界は包まれた。


 その花と光に触れた人々は、あるものは病が癒えあるものは傷が癒え、またあるものは陰鬱な気持ちが消えて晴れやかな気持ちになれた。

 光が地面に吸い込まれ消えると、地面からは新しい芽が出た。

 木々は青々とし、山は萌え、花は咲き乱れた。

 鳥たちがどこからか来て、祝福するかのように鳴いた。

 風は慶びの歌をうたい、動物たちも嬉しさに震えた。



 お生まれになった、運命の王が。

 長いことお待ち申し上げていた、予言の王が。

 この世を豊かで平和なものへお導きになる王が。



「男の子です……!」

 御典医ごてんいが言う。

 嘉乃は、男の子であることは知っていた、と思いながら、その生まれたばかりの子を抱く。

 ああ、本当に、白い髪だ。目は開いていないけれど、きっと金色なのだろう。


嘉子かこ、お疲れさま」

 清原王きよはらのおおきみが入ってきて、恐る恐る赤ちゃんを抱く。

「随分小さいな」

「赤子ですもの」

「……髪が白い……目を開いたぞ。……金色の瞳だ……! これは――‼」

 清原王きよはらのおおきみは振り向いて、控えていた真榛まはりを見た。

真榛まはり! この子は、大瑞たいずいしるしである祥瑞鳥しょうずいちょうのようだ。祥瑞鳥しょうずいちょうの白い羽根のような髪に、祥瑞鳥しょうずいちょうと同じ金色の瞳、僥倖ではないか⁉」

「これは――大変珍しいことです。確かに祥瑞鳥しょうずいちょうのそのものです。――白の王と黒の妃が並び立つとき、国が繁栄するという言い伝えがございます」

 真榛まはりの言葉に、嘉乃はぴくんと反応した。



 白雪ゆきじもの 御髪みぐしなびかせ 神光じんこうの 金のまなこを いだきたる 大君おほきみ天降あも

 (雪のように白い髪をなびかせ、神の光が宿った金色の瞳を持った王が

  この世にお生まれになるのです)


 御姿みすがたは 祥瑞せうずいの鳥 表して 濡烏ぬれがらす 共にり 

 (そのお姿は祥瑞鳥を表していて、

  濡烏の髪と瞳を持った妃がともにいらっしゃいます。)


 大異たいいの鳥も 安らかに はらひ給ひて

 (大異鳥をも安らかに慰め従えなさって)


 白と黒 いや繁しげに 万代よろづよに かくもあらむと

 (白と黒のおふたりが国をますます栄えさせ、

  万代までこのように豊かでありましょうと)


 白の君 白き小さき 花花はなばなを 父母ちちははとして 黒のは 外よりきた

 (白の君は、白い小さな花を象徴花に持つ方々を父母としてお生まれになり、

  黒の妃は外からいらっしゃいます)


 白と黒の世 千万ちよろづに いや常世とこよまで うるはしく 栄え給ふぞ

 (そのようにして、白と黒の世は千万に、常住不変の国として

  永く永く豊かに美しく栄えなさるのです)



 祥瑞鳥しょうずいちょうのような、白い髪と金色の瞳を持つ王が生まれ、濡烏ぬれがらすの黒い髪と瞳の妃とともに、国を万代よろずよまで豊かに栄えさせる――と、夢の中の予言の神話は言っていた。この子は間違いなく、予言の王。そして、濡烏の髪と瞳の妃も、いずれ現れるのだろう。

 真榛まはりは、わたしが夢で聞いた予言は失われた神話ではないかと言った。しかし、神話の一部は言い伝えられていたのだ。

 白の王と黒の妃が並び立つとき、国が繁栄する――


 嘉乃は、清原王きよはらのおおきみに手を伸ばし、生まれたばかりの我が子を受け取り、腕に抱いた。

 ……なんて愛しいのだろう。

 嘉乃の目には涙が浮かんだ。


 わたしはこの子が成長するまで、生きていることは叶わない。

 赤子の手が、何かを求めるようにしたので、嘉乃は自分の指を差し出した。指をぎゅっと掴まれ、この子の運命の苛酷さを思うと、本当はずっとそばにいてあげられたらいいのに、と思わずにいられなかった。

 金の瞳が嘉乃を捉えた。

 生まれたばかりは目が見えないと言うが、この子はわたしのことがちゃんと見えているみたいだ、と嘉乃は思った。

 生まれたばかりの無垢な瞳。この瞳の輝きがそのままでありますように。

 きっと、わたしのことなど忘れてしまうのだろう。

 それでもいい。

 どうか、無事に大きくなって。


嘉子かこ、この子の名前は何としよう?」

清白きよあきというのはいかがでしょう? あなたの名前から一文字、それからあなたのお父さまから一文字いただいて。そうして、この子は清らかで、そして祥瑞鳥しょうずいちょうの羽根と同じ白い髪を持ちます。――だから、清白きよあき、と」

 嘉乃は清原王きよはらのおおきみに問われて、ずっと考えていた名前を答えた。

清白きよあき……よい名だ……! 真榛まはり、どうだ?」

「よい名だと思います」

 清原王きよはらのおおきみは嘉乃にそっと口づけをし、「ありがとう、嘉子かこ。これできっと何もかもがうまくいくだろう」と言った。

「はい」と答えながら嘉乃は、でもわたしは、わたしの命に代えてもあなたをお守りするのです、と思った。


 だけど、まだしばらくはいっしょにいられるはず。

 その間、精一杯愛を注ごう。

 清原王きよはらのおおきみにも、そして清白きよあきにも。

 嘉乃によく似た面差しの赤子は、未来など知らずに、嘉乃の顔を見てにっこりと笑った。


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