第四節 娶しの儀は実に静かに

第二十二話

 めあわしの儀は予定通り行われることとなった。

 ただし、きさきを替えて。


 妃の変更は当然、各所に波紋を及ぼした。

 六家りっかの当主たちを集め、清原王きよはらおうは言った。

「私の妃はふじ氏の聖子せいこどのではなく、たちばな氏の嘉子かこどのとする」

「お待ちください! 聖子に何かご不満でもあったのですか? こんな直前になって、そんな!」

 藤氏の当主道足みちたりが怒りを滲ませて言った。道足みちたりは若い当主で、野心を漲らせていた。娘の聖子を清原王の妃とするために、東奔西走していた。


「橘の三人みひとどのに、嘉子かこなどいう娘はいたかな?」

 ひのき氏当主の虎守こもりが鋭い目つきで言った。

「かつて愛した女性が、人知れず私の子を産んでいたのだよ」

 三人みひとは涼しげな顔で応える。

「いったいどのような女性なのだ? 嘉子かこどのとは」

 うるし氏の広成ひろなりが言うと、「わたしも見てみたいぞ」とあし氏の敦海あつみが言った。敦海あつみは五十代後半の女当主だった。敦海あつみは本来、慣例に従って「敦子あつこ」という呼び名であったが、当主の座を継いだと同時に、葦氏男性の名前につけられる「海」の字を用いて、「敦海あつみ」と改名していた。同様に、藤氏は「足」、橘氏は「人」、檜氏は「守」、漆氏は「成」、葛氏は「茂」を名に使うのを慣例としていた。


真榛まはり

 清原王が合図すると、その場に控えていた真榛まはりはいったん下がり、そして嘉乃を連れてきた。

 嘉乃の姿をひと目見た瞬間、一同からほうっという溜め息が漏れた。

「これはこれは……女性のわたしでも、くらっとするぞ」

 敦海あつみはそう言って、笑った。

橘嘉子たちばなのかこです」

 嘉乃はそう言って、静かに頭を下げた。その声も愛らしく仕草も美しく、みな、心を奪われた。

 白い肌を引き立たせる色合いの衣は、薄い空色の生地に撫子色のやわらかい彩りで刺繍が施されていた。差し色の露草色と菖蒲色が、嘉乃を上品に美しく見せていた。不安気な、睫毛の長い目元も、繊細な美しさを際立せていた。


 頭を上げて、六家の当主を見た嘉乃の顔を見て、道足みちたりは、これは適わない、と思った。娘の聖子には気高さはあるが、このような他を圧倒するような美しさはない。そして、この嘉子かこがいいというのであれば、どうしたって太刀打ち出来るものではないと。


 道足みちたり三人みひとを睨みつけた。

 どこから探して来たのだ? このような娘を。

 これまで、聖子を妃にするためにした努力を思うと、はらわたが煮えくり返った。手を強く握り過ぎて、爪が手のひらを傷つけた。


「ところで、嘉子かこどのには、文字の力はあるのかな?」

 これまで発言しなかった、かずら氏の宗茂むねしげがゆったりと言った。宗茂むねしげはこの中で一番の年長だった。

「それは――ありません」

 清原王が答えた。


「では、文字の力のある、私の娘、聖子の方が適任です!」

「しかし、過去には文字の力のない妃がいた事例もある」

「だけど!」

「――私は、嘉子かこを妃とすることに決めたのだ。現在病で臥せっておられる天皇、私の父、白壁王しらかべのおおきみにもそのように報告し、了承を得た」

「あんまりです!」

 道足みちたりが食い下がろうとすると、三人みひとがにやりと笑って「見苦しいですぞ」と言った。


「美しいだけでは、妃は務まりません!」

 道足みちたりがなおも言うと、敦海あつみが「いや、でも、嘉子かこどのほど美しいと、毎日が楽しいだろうよ」と言って、豪快に笑った。そして、敦海あつみは続けて言った。

「清原王も、まるで自分の御意志がないかのような優等生だったが。わたしは逆に安心したぞ。人の子だったのだと思うて」

敦海あつみどの!」

「……清原王は、これまでの天皇よりずっと力の強いお方。そのお方が自分でお選びになったのだ。きっと、この世界の不調もなんとかしてくれようぞ。な?」

 敦海あつみは楽しげにそう言うと、清原王に笑いかけた。


「もちろんです。皇太子としても、いずれ即位して天皇となった折にも、この力で祈りを天に届け、世界に実りをもたらしましょう」

 清原王はそう強い目線で言って、「妃は嘉子かこである。めあわしの儀は予定通りの日程で行う。そう心得よ」と反論が出来ない口調で断定した。

 清原王、真榛まはり、嘉乃が立ち去ったあと、道足みちたりが黒く光る眼をして、唇を噛み締めていた。

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