第15話 決意
「な、なんなのさ、あの怪物?! なんなの、あんた達っ?!」
腰が抜けた座り込んだ体勢のまま、オネットが悲鳴のような叫びをあげた。
……考えれば、彼女の言動はもっともだ。
僕も最初アーリマンを見た時は驚いたし動揺もした。だけど僕にとってはシャリテとの出会いの方が衝撃を受けた出来事だったから、シャリテに見とれてぼーっとしていてそれほど取り乱しはしなかった。だけど彼女はそうじゃないだろうし、友達が急に怪物化して、しかもそれが討伐されたんだ。動揺しないわけがない。
「あ~~っと、え~~っと……」
困ったようにきょろきょろとみんなの方を見回すシャリテ。だけどオネットの混乱は続く。
以前もアーリマンを見たことのある僕とリリムや、もう慣れているだろうシャリテとマスティマは落ち着いたものだ。だけど初めてこの異常に遭遇したオネットは、自分と周囲の温度差にさらにヒートアップして叫ぶ。
「な、なんであの子たちが急に怪物になったのさ! もしかして殺したの?! 殺したって言うの? あの子たちはあれでも貴族様なのだわ?! それに取り巻きの子が殺されたなんて聞けば、クリュエッテ様がなんて言うか!!」
「あ、ちがうの。殺してはいないの、あれはアーリマンっていう怪物で……」
「殺してない? でも死んだようにグッタリしてるのだわ、なんで大丈夫だなんて言えるのさ! それにあんな化物になっちゃって、これからどうしたらいいのさっ?!」
「い、いや、だからね……それをこれからシャリテが……」
次々と言葉を投げかけるオネットに、シャリテがたじろいで数歩下がる。
シャリテは困惑の表情だが、そんな様子の彼女に憤慨したのがマスティマだ。
「ああ、もうウルサイじゃん! 今からシャリテがなんとかするじゃんか、オマエは黙って見ていればいいじゃん!」
「はァ?! なんなのさ、その言い方! いきなり怪物が現れたのよ? 説明くらいしてくれたっていいじゃないのさ!」
「なんでシャリテを虐めていた奴らに、ワシちゃんがわざわざ説明してやらないといけないじゃん! 事情の分からないヤツは黙って見ているじゃん!」
「な、なによそれ!! あたしの気も知らないで、どうしてそんなこと言われないといけないのさ!!」
マスティマは怒りながら突き放すように言うが、オネットも黙ってはいない。自分の権利を主張するように、ヒートアップした状態でまくしたてる。
いやいや……お互いにその言い方はどうなのよ。
「いや、ちょっと落ち着いてよ。非常時で説明している時間は無いのは分からないでもないけど、彼女だって説明のひとつくらい欲しいと思うよ?」
アーリマンを見るのは二回目で、オネットの気持ちもよく分かる僕が間に割って入る。
するとオネットがほらみろとばかりに笑みを浮かべ、マスティマは露骨に嫌な顔をした。
「ほら見なさいだわ、やっぱりあんたが悪いのさ! 早くさっさと説明するのだわ!」
「え~、イヤじゃん、悪いのはオマエじゃん? ワシちゃん悪くないじゃんね、美少女無罪ってやつじゃん」
勝ち誇ったようにまくしたてるオネットと、どこ吹く風のマスティマ。
同じようなやりとりがその後なんどか続き、戸惑う僕とシャリテを見かねてリリムも会話に入ってくる。手の中にあった二振りの風の剣を消すと口を開いた。
「今までの会話からして、オネット様たちはクリュエッテ様たちに言われてご主人様やシャリテ様に意趣返しをしにきたと推察しました。オネット様のスキルで今のところ表沙汰になってはいませんが、オネット様が証言すれば問題にすることも可能でしょう。その点を公式に追及すれば、あのクリュエッテ様たちの言う事を聞く必要もなくなると思われますが?」
「そ、そうなのだわ! クリュエッテ様だわっ?!」
善意でアドバイスをしたリリムにオネットが、はっと顔を跳ね上げた。
「そ、そうなのさ、これはクリュエッテ様に言われて来たのに、なんてことしてくれるのさ! これじゃあたし達がクリュエッテ様に叱られちゃうじゃないのさ!!」
「い、いえ、ですから……この事を上手く利用すればそんな必要もなくなるかと思われますが……」
「そうじゃんそうじゃん、リリムもそう言ってるじゃん。それがいいじゃんね」
クリュエッテに叱られてしまう、と怯えるオネットにそんな事は必要ないと説明するリリムとマスティマ。これからはクリュエッテの言う事を聞く必要なんてないんだ、と。
だけどオネットは怯えたように見開いた目でふたりを見つめ、必死の形相で叫んだ。
「あんた達、勝手な事いわないでよ!!!!」
拒絶するように両手を振ると、続けるオネット。
「クリュエッテ様と仲良くなってヴェルス侯爵家と繋がりを持つのは、父様の言いつけでもあるのよ?! そんなことしたら父様に怒られちゃうじゃないのさ!!」
「えっ?」
戸惑う僕たちの前で、小刻みに震えながら自分の体を抱え込むオネット。
そして周囲を拒絶するように、ぶんぶんと頭を振る。
「あたしの実家のワルキャリテ商会は王都三大商会なんて言われてるけど、貴族とのつながりは弱いのだわ。だから父様はあたしに学園に入学して高位貴族との繋がりを作るように言われたのさ。……ここでクリュエッテ様の機嫌を損ねてヴェルス侯爵家を敵に回したら……ワルキャリテ商会は終わりだわ。ほかの商会も便乗して攻勢をかけてくるのさ……そうなったら、いくら父様でも……」
オネットが力ない笑いを漏らす。
「父様にも母様にも怒られるのさ、商会を継ぐために頑張っている兄様の努力も無になってしまうのだわ。あ、あたしのせいで……あたしがクリュエッテ様の命令をこなせなかったから……クリュエッテ様に嫌われちゃったから…………」
いやいやをする様にかぶりを振ると、よろよろと数歩下がる。
そんなオネットの普通ではない状態を心配して、歩み寄るシャリテとリリム。
「ねぇ、だいじょうぶ? 顔が真っ青なの」
「通常ではない状態だと認識します。オネット様、落ち着いて状況を整理する必要があるのではないでしょうか?」
「いや、いや……」
近づくシャリテとリリムに、ぶるぶると震えながら遠ざかっていくオネット。
シャリテとリリムは間近でオネットの表情を注視していたため、
「シャリテ!! リリムッ!!」
「シャリテ、悪意のエネルギーじゃんっ?!」
僕とマスティマが叫びを上げるが――
「きゃあっ?!」
「っ?! これはっ?!」
そのままシャリテとリリムをぎりぎりと締め付ける触腕の前で、オネットはどこを見ているのか分からない空虚な瞳でブツブツと呟いていた。「終わりなのだわ、もう終わりなのだわ、あたしのせいで……」と繰り返すオネット首から下が、ぶよぶよとした肉の塊へと姿を変える。そしてその肉の身体はみるみるうちにその体積を増し、あっという間に3メートルほどのアーリマンへと姿を変える。
「モウおわりダ……もうオワリだ……ミンナみんなオワリダ……」
「あうううっ?!」
「くうっ?!」
そしてオネットの変貌したアーリマンはそのまま無数の触腕を伸ばし、シャリテとリリムを雁字搦めにする。
「ああっ?! マズイじゃんっ?! シャリテは今アフラ・マズダ持ってないじゃんっ!」
「ええっ?! そんなっ?!」
マスティマの切羽詰まった声を聞き周囲を見回してみると、少し離れたところにシャリテの漆黒の大剣、聖剣アフラ・マズダが突き刺さっていた。……たしかに、シャリテが最後にルーン魔術を使うとき、アフラ・マズダを地面に突き刺していた。
「ゆ、油断したのっ……! アフラ・マズダがあればっ……?!」
「くうっ、この状態では私も魔術を使えませんっ! このままでは……っ!」
表情をゆがめるシャリテとリリム。
ルーン魔術の欠点は、指などで空中にルーン文字を描かないと使用できない事だ。今みたいに全身を拘束されて身動き出来ない状態になってしまうと、ルーン魔術は使用できない。
「セメテ、セメテあんたダケでもナントカできレバ、くりゅえってサマもオぉーーーーッ!!」
「うああああっ?!」
「くううううううっ?!」
アーリマンが手に入れた戦果を披露するように、触腕でシャリテとリリムを目の前に持ち上げる。
触腕にぎりぎりと締め付けられ、悲鳴を上げるシャリテとリリム。
「シャリテッ?! リリムッ!」
思わず声を上げる。
上げる、が……僕の両足はまるで地面に縫いつかられたように微動だにしない。
「くそっ……! 僕はこんな時になっても……ッ!」
目の前には巨大な化け物と、窮地に落ちたシャリテとリリム。
だけど、僕の両足はがくがくと震えるだけで、一歩が踏み出せない。僕は『錬金王』なんて御大層なスキルを授かって、いくつか傑作ともいえる魔導具を作り出すことも出来たけど、僕の中身はずっと前世から変わらず引きこもりのまま。学園も途中で行くのをやめてしまったから剣術の練習なんかやってないし、戦闘はおろか喧嘩だってしたことない。
そんな僕が、あんな巨大な怪物と正面から戦えるはずがない。
情けない……僕は…………ッ!!
じわりと滲む視界の向こうで
「何するじゃーーんっ! シャリテを放すじゃーーんっ!!」
アーリマンへ向かって突進するマスティマの姿が。
「ナニするノヨ!! ハナしなサイよッ!!」
「アーリマンの分際でシャリテになにするじゃーん、ぎにゃあっ?!」
小さな妖精はシャリテを取り返そうとアーリマンの周りを飛び回るが、まるで小さな虫を払うようにぺしっと叩き落される。
「ぐぬぬ……可愛いワシちゃんはこんなことで負けないじゃんね! 超絶美少女ヒロインは話の途中で脱落したりしないじゃん、だから負けることはないじゃん!」
地面に叩きつけられたマスティマは、謎理論とともにがばりと起き上がる。そしてまた突撃し、叩き落される。
「ウルサイーーーーッッ!!」
「うにゅわあぁ~~っ!! シャリテを、シャリテを離すじゃああーーん、ぐきゃあっ?!」
その姿は情けなくはあったけど、僕はそこから目が離せなかった。
ひたむきに、勝てなくても立ち向かうその姿を、とても、とてもかっこいいと思った。
「マスティマ、もうやめるのっ! くあっ、あうううううっ?!」
そんなマスティマの姿に悲痛な声を上げたシャリテが、さらに強く締め付けられ苦悶の表情を浮かべる。
「う、うぁ…………」
そしてその姿からくたりと力が抜け、シャリテの細い手足がだらりと垂れ下がったとき、思わず叫んでいた。
「シャリテッ!!!」
気が付けば、右足は一歩前へ。
相手が怪物だとか、勝てっこないとか、そんな考えは頭からすっ飛んでいた。
あるのは、助けたい、その気持ちだけ。
ただ、叫ぶ。
「来たれ!!
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