五感で感じたはずのもの

 電車が揺れる音、ブレーキが掛かる音、人々の間を行き交うヒソヒソ声、風の音、木々のざわめき、自身が発する音──世界は音で溢れている。電車を降りればもっと多様な音が支配する。仮に全ての音を一律に処理しなければいけないとしたら、気が狂いそうなほどに。


 だが、幸いにも人間は必要な音を聞き取るように制御されている。不必要な音は雑音として処理されるのだ。


 その音一粒一粒を椿はどう感じていたのだろうか。泣き声の代わりに聞こえてきた音は幸福なものだったのか不幸なものだったのか。新鮮に感じていたのか、懐かしく思ったのか。


 車窓へと目を移すと森を抜けた電車は田圃を走っていた。今年も左に右にと揺れ動いた天気に負けじと実った稲が敷き詰められて黄金色の絨毯を作り出していた。綺麗に区画整理された稲田は幾何学的にも美しい。


 この風景も見ていたはずだ。今は人やトラクターはいないが、もしかしたら稲を刈る様をも見ていたかもしれない。稲はつまり米だ。主食であり生命を育む米。美味しい食物の象徴。


 何かを思わずにはいられないはずだ。泣き声が求めていたものが、まさに眼前に広がっているのだから。


 目を逸らしたろうか、それとも凝視し続けたのだろうか。お腹は空いたか空いてないか。空いたとしたら何かを食したか。食せるものなのか、この景色を見ながら。


 「あんパンが食べられるのは嬉しい」──当時の日記にはそんな言葉も綴られていた。飢えに苦しむ赤子の声を耳栓で塞いで、空を眺めながら思っていた。同じ場所を同じ時間を過ごしているはずなのに、別の次元にいるかのようだ。結局あんパンは買ったのだろうか。買って、食べたのだろうか。どこで食べたのか。自宅か、あるいは泣き声の密集した家畜所か。さぞかし美味しいのだろう。飢える子らを眺めながら、弱る声を音楽に食べるあんパンの味は。あんパンの甘味はあるいは母乳に通じるところがあるのかもしれない。


 子どもがはしゃぐ声が聞こえていつの間にか閉じていた目が開いた。小学校に入学したかしないくらいの子どもが車内を走っている。後ろから追ってきた父親らしき人物は、視線に気がついたのか曖昧な笑みを浮かべて軽く頭を下げながら横切っていく。あまりにも日常に溢れた光景だった。


 あの子は何も思っていない。ただ楽しさと興奮のあまりに走っているだけ。父親の方も何も考えてはいない。誰かに迷惑を掛ける前に止めなければと思っているだけ。それだけだ。

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