洞の穴
窓際の席を見つけて座ると、すぐに電車は発車した。
木枯らしが吹き抜ける住宅街やシャッターの下りた個人商店が綿々と続く横丁、車通りが急に多くなる総合病院など見慣れた街並みが続いたあと、紅葉した木々が疎らに見えてくる。
次第に木は林へ、そして森へと密度を増していきすっかり電車は森へと囲まれてしまう。森の中を走っているようなものだ。色付いた葉は目を愉しませてくれるものの、森はなお暗く、独自の生態系が暗がりの奥で息づいていた。
あの人は、これを見ながら何を思っていたのだろうと吉良は想像を膨らませた。
声は聞こえていたのだろう。両の耳を覆うような幾重にも響く赤子のあの声だ。暗闇から忍び寄るように聞こえてくる助けを求めるような声。あれは、体に毒だ。切迫感が引き出され、焦りと恐怖とが呼び起こされ、反射的に怒りが沸き起こる。最後には感情が揺さぶられ、心が不安定にさせられ、何もできない無力感に押し潰されそうになる。
たとえば、一つ一つの声を木の
耳を強く塞げば途端に
写真に現像した椿の日記を今一度読む。記録の断片に過ぎない文章と睨み合ったところで今更何かがわかるわけでもないが、カウンセリングを終えたあと、椿が何を考えていたのかは文字の形から透けて見える気がした。
日記が新しくなるにつれて安堵感が増していく。廃病院の暗闇の中へ『置いてきた』効果が如実に現れていたのだろう。
当初の予想を遥かに超えて二年もかけて自身の内に宿った声をおろしていった。代わりに心が軽くなったことだろう。体が軽くなったことだろう。
そして、新しくいろんな音が入ってきたはずだ。
吉良は僅かに視線を上げた。
──見ていたのだろうか、この窓からの景色を。聞いていたのだろうか、電車の音を。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます